out of control

 そもそも感情を上手にコントロールしようと思うこと自体が無駄なのだと私が薄々勘づいたのは、3分前。

 音、光、色、形、声、匂い、文字。
 この世はさまざまな情報で溢れていて、時々刻々と自分の内側へ入ってくるたくさんの刺激に対して、ひとつひとつ自分がどんな反応を示すのか読めない。まったく読めないうえに、何が自分にとっての刺激剤になるのかも分からないような、そんな手探りの日々を送ることしかできないのが人間なのだから。
 アウトオブコントロール。
 制御不能。
 言うなれば誰もが、まるで予測不能の本番一発勝負の舞台に常に立たされているようなものだ。シナリオなんてどこにもない。誰も正解なんて教えてくれない。

 カラオケボックスの人工的なライティングのなかで仄白く浮かび上がる菅原さんが、いつもより数割増しできれいに見える。
 ほら、また胸が跳ねている。

──捕まった。たぶんこうなるのは必然で逃げる術など最初からなかった。

 数分前。部屋が暗転し、マイクの拾った菅原さんの声が狭い空間に広がった瞬間から、びっくりする位高鳴る心臓をもて余し気味の私が考えていたのは、そんなこと。
 
──ああ、捕まってしまった。


 最初は引っ張られたのかと思った。
 私の首に巻き付いた見えない糸を菅原さんにくいっ、と引っ張られたみたいに視線が吸い寄せられていた。
 マイクを持つ菅原さんの、眉間に寄った薄いしわにが目に入ったら、理由もはっきりしないのに、直感的にまずいなあ、と思った。
 音程に合わせていつもより細まった瞳のそば、いつも通りの泣きボクロが思いがけずセクシーに見えてしまって益々まずいなあ、と思った瞬間、瞳と一緒に耳も引っ張られた。声しか耳に入らなくなった。
 我ながら、なんて高性能な耳なんだろう。大音響で流れているはずの音楽とかざわめきを全てすっ飛ばして、鼓膜が菅原さんの声だけを拾い上げるのだ。やわらかくて優しくて少しだけ掠れた、適度な低音ボイス。
 菅原さんは歌が上手いだけではなく、声も良いということに気づいてしまったら、息が苦しくなった。
 良い、だけではなくて好みの声なのだ。物凄く私好み。適度な力の抜け具合は、みぞおちに真っ直ぐ染み込んで、カラダの内側をじわりじわりと溶かし始める。
 理想の声って、まさにこれです!って言い切ってしまえるくらい好き、かも知れない。かも知れないじゃないかも知れない。好きだ。どうしたらいいのか分からないくらい好き。
 世界中の人の声を聞くことなんてこの先絶対ないと思うけど、全宇宙生命体の声帯を通って奏でられる音をいくらたくさん聞かされたとしてもこれ以上好きな声に巡り会えることなんてない、と断言できるレベルで好き。大好き。
 ものすごく好きだと思って聞いていたら、なんの変哲もない歌詞が、心臓のど真ん中に切り込んでくる。なめらかにワンコーラスが終わるまで、息をつくのも忘れそうになっている。苦しい。
 苦しいなあ。
 菅原さんの声が好きすぎて苦しい。

「お前、大丈夫か」
「な にが」

 声をかけられるまで、隣に田中が座っていることさえ忘れていた。菅原さんしか見えていなかった。大丈夫じゃない、全然大丈夫じゃない、と思う。コントロールはやっぱり不能。
 今がたまたま曲の間奏じゃなかったら、返事も出来ないくらい菅原さんの声に集中していた。

「スガさん歌いだしてからずっとバカみたいに口開けて固まってるべ」
「嘘つけ」
「嘘じゃねえって。その顔ますますバカに見える」
「うるさい」
「うっとりしてるというか、いつもよりぼんやりしてるというか」
「………」
「魂抜かれたら、人ってこんな顔になんだなあって感心しながら見てた」
「こっち見んな!セクハラ田中!」

 仕方がない。胸のあたりで弾ける寸前まで膨らんだものが、心臓を追い立ててぎゅうぎゅうに押し潰しているから。いま私の中は、菅原さんで、菅原さんの声でいっぱいいっぱいだから。
 マトモに働かない心臓のせいで身体中の機能が停止して、今の私は半分ポンコツ。だから表情筋だってぐだぐだに違いない。仕方ない。

「正直スガさんは確かに歌上手えけど、お前の顔見てる方が断然面白い」
「観察禁止!」
「つうか目、ハート?」
「田中 黙ってて」

 だって、もうすぐ間奏が終わる。
 菅原さんが、一旦降ろしていた腕を持ち上げて、マイクを口元にポジショニングしている姿を見たら、いても立っても居られなくなって、田中の不審気な表情なんて無視せざるを得ない。菅原さん以外のすべてが取るに足りないものに成り下がる。

 深呼吸して、息を止めた。
 ためいき交じりの叫びが漏れそうで、両手でしっかり口を塞ぐ。
 口を塞いだ代わりに耳は澄ます。一声も、息継ぎの音さえも聴きもらさないように、聴覚を研ぎ澄ます。
 だって、あの声がまた。

「お前、やっぱり変」
「………」

 変でもなんでも良いよ。良いから今は、私の邪魔をしないでください。菅原さんの声だけに集中させてください。今はそれしか欲しくないんです。それだけあればいいの。
 心の中で呟いて菅原さんを見つめた瞬間にバッチリ目が合って、そのまま彼の視線が離れないものだから、私も瞳を反らせなくなる。
 視線を重ねたまま、菅原さんは歌う。
 そんな風に歌われたら、まるで私のために歌っているみたいじゃないか。なんて思ってしまったら、ますます息が苦しくなる。周りで囃し立てる声は、鼓膜を素通りしてなにも聞こえない。菅原さんの声しか聞こえない。
 高音でかすかに裏返ったみたいに透き通る声の出しかたとか、やわらかく包みこむような優しすぎる音の繋ぎかたがいちいち胸をわしづかむ。
 多彩すぎるのに嫌みじゃないビブラートとか、時々上擦って掠れる声に泣きそうになる。
 どうしよう。胸が痛い。胸が、痛い。

 放っておいたら口から飛び出してきそうな心臓をなんとか体内に留めるために口を塞いだ手に力を込めたら、呼吸困難で死にそうになった。

 切ないラブソングの歌詞は、にぶい想い人への募る愛情を訴える。早く気付いてと訴える。
 菅原さんの目は、ずっとこっちを見ている。私を、見ている。まるで私に対して訴えているみたいだ。

 ツーコーラス目を歌い終えて、菅原さんは深く息を吸う。彼の周りの空気に溶けて、一緒に私も吸い込まれてしまえばいいのにと思った。菅原さんの心臓を、肺を、正常に動かす空気になりたかった。菅原さんのことしか考えられなくて、泣きたくなった。

「お前、なに泣いてんの」
「…、っ」
「歌聞いて瞳うるうるって、お前は恋する乙女ですか」 

 田中の言葉を聞いても、不思議には思わなかった。ああ、やっぱり。私泣いてたか。その程度。
 だけど、茶化す言葉には咄嗟に反応できなくて、へんな声がでた。

「え、え、」
「スガさんに惚れた?」
「な!ば、バカじゃないの田中ってバカじゃないの!スガさん歌上手すぎてキモい。超キモい なんなの素人じゃないでしょコレなんなの!?」
「照れんなって」
「照れてないし!本気だし!田中は黙れ」

 口から勝手にこぼれ落ちる思ってもいない憎まれ口はなかなか止まらなくて、自分の制御不能っぷりに絶望していたら、菅原さんがそっと唇に人差し指をあてて沈黙を促す。
 
 反射的に口を閉じたら、すうっと表情を和らげた菅原さんが私を見据えるから、また目が離せなくなって。見たこともないような、それはもう優しい、目眩がしそうなほど優しすぎる瞳に釘付けになる。

(しっかりきいてて)

 口パクで私に告げた菅原さんはマイクを握り直す。
 短い間奏のあとに一瞬だけ不敵な笑みを浮かべ、溜めにためた声を音に乗せて、ラストのワンフレーズをさらっと私の名前に差し替えたりするから。
 心臓の鼓動が振り切れた。

out of control
笑うな惚れる 気絶する
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2013.12.24

菅原さんは確信犯。
歌上手い人には壊滅的に弱いです。
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