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わからないままでいることが幸せなのかどうかわからなくなったんだ。


動脈愛好



 なにをしているんだろう俺は、と思いながらアスマの脱いだ服を持ち上げた。ドア越しにシャワーの音はまだ続いている。ざあざあ。さっきまで降り続いていた雨よりもくっきりとひびく水音。もれる光の向こう側に、シルエットがゆれた。
 たぶん足元に流れる飛沫は、透き通らずに濁っている。まっしろいタイルの床に、流れつづける赤、赤、あか。熱いお湯で、すこしずつすこしずつこびりついたものをそぎ落としながら、アスマはいつものアスマに戻る。
 そうしないと、毎日毎日ふり積もったもので、潰されてしまうのだ。彼はやさしい男だから、とくに。

「因果なモンだよな」

 呟きは彼の耳に届いただろうか。因果なもの。幼い頃から、当たり前のようにこの道を進んできたくせに、いまさらになってそう思う。忍であることの意味が、じわじわと身体に浸透し始めたのは、中忍になってからのこと。

「いんのか、そこに」
「………」

 暗いところから明るいところはよく見えても、逆はそうではない。だから、アスマからこちらは見えないはずだ。気配もすっかり消している。なのに気付かれた。
 気付いてくれたことがうれしい。

「なんだァ?覗きか」
「だれが。おっせーんだよ」
 いつまで入ってんすか。俺だってはやく入りてえのに。

 持ち上げたアスマの服からは、誰のものかわからない血の匂い。ドアの向こう側では、水音が続いている。
 今日もあんたは、その手で誰かを傷つけたんだろう。傷を負わせた相手とおなじくらい、あんたも一緒に傷つきながら。
 そんな日に、あんたは俺をここに呼ぶのだと気付いたのも中忍になってから。あんたが傷ついていることを、俺は知っていなくちゃならないのだ。

 なにをしているんだろう、なにをしたいんだろう。思いながら、汚れた忍服に鼻を押し当てる。
 生々しい匂いのずっと奥、混じる煙草の香り。アスマがいつも煙を手放さないのは、もしかしたらこびりつく鉄錆の匂いをごまかすためなのかもしれない、と思った。やさしい。やさしすぎる男だから。

「どうでもいいけど、バスタオル持ってきてくれ」
「ったく、ちゃんと自分で持ってけっつうの」

 言われる前から、手にはしっかりバスタオルが握られている。だいたいアスマはいつもなにかを忘れるのだ。替えの下着だったり、甚平の下衣だったり、詰め替え用のシャンプーだったり。わざとなんじゃないか、と思うくらい。
 この前もその前も、毎回なにかしらを忘れては、ドア越しに俺を呼んだ。デカイ声で。だから今日は呼ばれる前に持ってきた、それだけのことだ。
 そうだ。タオルを忘れていることに気付いたから、呼ばれる前に持ってきた。そのついでに、あんたの脱いだ服を持ち上げた。
 いったい俺がいなかったらどうすんだ。びしょぬれの身体のままで、畳に染みを作るんだろうか。違う。たぶんアスマが忘れモノをするのは、ここに俺がいるときだけ。それは推論じゃなくて確信。アスマってのは、そういう人間だ。
 あんたが、学習能力のない大人のふりをしているだけなのはわかっている。なのに、その理由はわからない。わからないけど、わからないままでいい気がした。わかるということは怖いことだと、どこかで俺は知っている。

「シカマル?」
「へいへい。どーぞ」

 ホントに俺が怖いのは、あんたがいつも俺を呼ぶ理由じゃなくて。わざとそんなふりをしている大人の本心に気付いたあと。どうすればいいのか、どんな顔をすればいいのかがわからないこと。それが怖い。
 なにもかもが見通されていて。もっと近寄りたいのに、自分では近づけないもどかしさや、臆病さも全部。
 気付いているくせに気付かないふりをして、あんたはいったいなにがしたいんだ。俺をどうしたいんだ。俺はどうしたいんだ。

「いつもわりぃな」

 細く扉がひらいて、ぬれた手首がのびてくる。バスタオルを手渡しながら見上げる。
 いつもは額宛てで押しあげられた前髪が、重力に従っておりている。素直に。
 半分隠れた瞳、ゆっくりと頬を伝う雫。ぬれた髭、首筋に浮いた血管。そこを流れおちる水滴。

「いい加減にしろよな」
「サンキュー」

 つつ、したたる透明な雫。湯気に包まれた首筋。それを見たかった。それを俺はすごく見たかったのだ。
 こびりついたものをすっかり洗いながした、ぬれた姿。そんな姿を見せて、あんたはどうしたいのかわからなくて。ただ首筋をつたう水滴を見つめつづける。
 すべりおちて、鎖骨にとまり、窪みに溜まる液体。
 心臓がうるさい。顎をあげたまま、固まった。

「……」
「おい」
「………」
「シカマル、はなせ」

 いつのまにか、指には力がこもっていたらしい。バスタオルに食い込む指先。アスマが丁寧に、握りしめた指を一本、一本、ひらいている。

 やっぱり俺は。
 覗きにきたのかもしれない。いつもの姿に戻ったばかりのあんたを。

「お前もさっさと入っちまえ」

 固まったままの俺の目の前で、アスマが無造作に雫を拭った。


動脈愛好

 少年よ、そんなに物欲しそうな顔を見せないでくれ。


2009.09.21 mims
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