恋をしている女の子は、キレイだと思う。ただ綺麗だ、と無責任に外から眺められるうちは。
二十五時の幕開け イズモの影響で、コテツが人間観察をしはじめたのは、つい最近。
たしかに面白い。他人の視線を気にしていない人間というのは、思いも寄らない行動をとることがあるから。最初は、目に見える動きを追い掛けるのが、楽しくて仕方なかった。
嬉しさを素直に表して跳びはねる姿、悔しいのを隠せずにじたばたする姿。地団駄を踏むという言葉があるけれど、それってホントなんだって改めて他人の仕草を見て納得したり。綱手さまの矢継ぎ早な言葉に、文字通り頭を抱えている自分に気が付いたり。
わかりやすい動きを目で追うことに満足したあとには、もっとわかりにくいものの観察に心が動いた。
控えめだけど雄弁な視線の動きとか、ちいさく漏れるため息とか。彼、彼女の些細な仕草の背景をこっそり想像すること。きっとイズモが面白いと言ってたのはこのことだと思う。
目に見える軌跡をなぞるより、ずっと興味深い。
「また見てるんだ」
「おう、お疲れイズモ」
「ああ、お疲れさん。次のターゲットは誰?」
「んな人聞きわりぃ言い方すんなっての!何か犯罪者みてえじゃねえか」
俺のは、純粋な好奇心なんだから。
「似たようなモンじゃない」
「ひで…」
でも、その通りかもしれない。
表情やその裏にある事象を追いかけようと思うと、どうしても対象を絞って観察したくなる。誰彼なしに観察したいと思う訳ではなくて、見ていたいと思わせる種類の人間というのがいるのだ。
「コテツ」
「…ん」
窓の下を歩くひとりの女を顎で指す。イズモはその小さな動きだけで、気が付いてくれたようだ。なるほどねえとこぼす横顔を見る限りでは、イズモにとっても観察に値する人物という事だろうか、それがちょっと嬉しかった。
最近もっぱら観察の対象になっている彼女は、かなり年下で新人中忍奈良の同期らしい。ときどき並んで歩いているところも見かける。ちなみに、奈良も観察していると面白いと思わせる種類の人間だけれども、今は、ひとまずは彼女。
今日の彼女はひとりで歩いている。手には紙片が握られていて、おそらく報告書だろう。任務を終えて、受付に提出をするためにすこしずつこちらに向かってくる最中のようだ。
辺りはもう随分暗くて、彼女の背中の後ろには淡い月明かりに照らされた彼女の影が伸びている。伏し目がちな黒眼の先には、多分彼女自身の爪先と地面しか映っていない。それを見ながら彼女は何を考えているのか、と想像してみる。
一歩一歩、左右交互に踏み出される足。建物の二階から覗いている俺たちの所に、足音は聞こえて来ない。静かな夜。
軽やかだったり、重たげだったり、見る時によって違う歩調から感情を推し量る。今夜はほんの少しだけおもたげ。もしかしたら任務で、思わしい結果を残せなかったんだろうか。受付所に報告を提出してしまえば、いまは彼女しか知らないその結果が公に知られるところのものになる。それがイヤで、彼女の足取りに現れている、ということだろうか。
失敗なんて付き物だから気にすんなと、ひとこと声を掛けられたら。今から受付に向かえば、彼女と会えるだろうか。そう思った瞬間、隣から静かなイズモの声が聞こえた。
「コテツ、さ」
「ん?」
「ずいぶん熱心なんだな」
観察される者とする者は、非接触だからこそ面白いモンなのに。その境界を無意識で踏み越えようとしている俺がいた。むしろ、踏み越えたいと願っている自分。それは、何故?
「そんなことねぇよ」
「あんまり深入りすんな」
「んだよ、それ」
「あの子は、無理だから」
「へ?」
「ほら」
あの子はムリって、別に惚れてる訳でも何でもないし。単純に見ているのが面白いからって、それだけだし。
ほら、というイズモの言葉に釣られて視線を動かしたら、木陰に立っているひとつの影。ちょんまげ頭の、あいつ。
女らしいなめらかな白い顔が、ほんの少しだけ上気して。男のほうへ向かう足取りは、さっきより軽くなっているのがわかる。
「あ…」
「な?」
「ちげえって、俺別にそんなつもりじゃ」
なんの言葉をかけることもなく、彼女の心を軽くする存在が、彼女にとってどんな位置づけの人間なのか。考えなくても分かってしまう。分かりたくなかったのに。
いつも俺の見ている光景は、瞳が受け止めた情報を脳が処理した結果として映像化されたものだ。そこにはきっと、こうあってほしいという無意識の欲望がフィルターとして加味されている。最近の彼女が日に日に綺麗に見えていたのもそのせいで。だけど、いま遠目に見えている彼女はいままでで一番キレイだ。
「最近キレイになったもんな、彼女」
「…うん」
恋する女はキレイ、か。
「分かった?」
「……うん」
見られていることには気付かずに、寄り添うふたり。明るい昼間に見る、同期の忍同士とはあきらかに違う空気が、その男女の間に流れている。手を繋いでいる訳でもなく、触れ合っているわけでもないのに、並んでいるだけで親密な雰囲気。
「悔しい?」
「ちょっとだけ、な。奈良の野郎、ずりい」
「やっと自覚した、か」
「そうみてぇ」
そうなんだ。彼女の表情から目が離せなかったのも、足取りで感情を推し量ろうとしたのも、ずっと見ていたいと思ったのも、全部、そういうことなんだ。いまさら気付いても遅いけど。
「飲みにでも、行く?」
「午前様になってもよければ」
「絡むのはナシな」
「約束デキマセン」
「……勘弁」
「気付いた途端に失恋、ってのも酒の肴にはオツかも」
「悪い酒になりそうだね」
「今日だけはいいだろ?」
俺の言葉を聞いて、眉根を寄せて困ったように笑うイズモ。その顔、観察対象としてはなかなかのモンかも、と思った。
二十五時の幕開け いつから付き合ってんのか、明日問いただしてやる!- - - - - - - - - -
2009.09.10 mims
無垢な叫び(鹿夢)の彼女。