「泊ってくだろ?」
ごく当たり前のことのようにさらりと紡がれた台詞に、抵抗するなんて馬鹿げていると思った。
それがどういう意味なのか、無論俺には分かっていて。ざわざわと胸が騒ぐのは、決して不愉快だからではない。寧ろ、嬉しいからだ(なんて、この髭野郎を喜ばすだけだから絶対言わねぇけど)。
「つう訳で、もう一局。な?」
「ったく。またかよ…」
お決まりのぼやきを漏らすと、ふわり、頭を撫でられる。
その子供扱いするみてぇな仕草、止めろっつってんだろ?くしゃくしゃと髪を乱されて、心まで乱れた。
つうか、期待してんのは俺だけで、よこしまな感情を抱いてるのも俺だけで、あんたは純粋に勝負してぇだけ?
崩れてしまった髪が不快で、結い紐に手をかける。ぱさり、解けた髪が頬に掛かる。頭を数回左右に振って、欠伸をひとつ。あんた、俺の髪をおろした姿、好きだったよな?
「俺、眠ぃんすけど…」
「まあ、そう言うなって。あと1回だけだから」
んな事言ってて、それで終わんねぇのがアスマだろうが。つっても、仕方ねえか。でなけりゃ、俺がここに居る意味がなくなる。
いや、なくなりはしないけど…ただあんたの顔を見ていられるだけで、俺にとっては充分に大き過ぎる理由なんだけど。でも、そう思ってる事を見抜かれた時点で負けになるっつうか、悔しい。そんなことを考えしまうのは、俺がガキだからか…尚更、悔しい。
目の前の男は、ただ勝負だけに夢中のような顔をして、盤に駒を並べている。あんたが持つと、小さな木片は随分頼りなく見えんのな…その指で早く俺に触れてくれれば良いのに。
つうか、めんどくせぇ…んな風に勝手に煽られてる自分がめんどくせぇ。
あんたの所為だからな――
眉間に力を入れて睨み上げると、包み込むような視線に捉えられて。同時にごつごつした指先が頬を撫で下ろす。
つい眼を閉じてしまう。あんたのその指…好きだ。何が好きって、ざらつく感触なのに限りなく優しい所も、自分より僅かに高い体温も何もかも。皮膚の細胞に染み付いたような煙草の匂いも、無遠慮で粗野な触れ方も、臍の奥をむずむずさせる。
「シカマル……」
「んぁ?」
眼を閉じたまま答える。
その声もすげぇ好き。低い響きが脳を直接撫でる感じも、ずんと身体の芯に伝わる痺れも、堪んねぇ。
相変わらず臍の奥からはむず痒い感覚が沸き上がり、それが全身に広がる。アスマの視線を感じる…俺、今あんたに見られてんだよな。ぞくぞくする。
俺って今どんな顔してんだろ、煩悩塗れの腹のうちがアスマには見えねぇと良いな。
「シカマル、お前……」
「んだよ?」
口の端まで滑り降りてきた指先に、軽く歯を立てる。苦い煙草の味。くわえ込んだ口内で、指紋に添って舌を使う。軽く吸い上げる。
あんたの所為でますますヘンになる。俺ばっかりが追い上げられて、いつもあんたと繋がっていたくて。
言い訳しておくと、別に俺だって四六時中発情してるワケじゃなくて。追い上げられるというのも、そういう意味だけではない(いや、勿論いまはそういう意味だけど)。
気持ちに応えたくて、無茶もして。だけどそれが全然苦にならねぇんだよな。俺って相当の面倒臭がりのはずなんだけど。あんたの為なら、なんでも出来るっつうか。何でもやりたいっつうか。守られるばっかじゃなくて、守りたい。追い付きたくて、早く肩を並べたくて。でも取り敢えず今は、いわゆる性的な意味で追い上げられてんだけど。
ふわり、空気が揺らいで、煙となんとも言えない男臭さの混じった香りが鼻孔の奥を擽る…アスマの匂い。
薄く瞳を開くと、思いがけず近くにあんたの顔があって。今にも触れそうな髭にそっと指で触れてみた。
やわらかいのにちくりと掌を刺す感触は、心の襞をダイレクトに刺激する。
やべ…なんか泣きそうだ。
掌なんかじゃなくて、頬を擦り寄せてしまいたくなる。鼻頭を押し付けて、匂いをいっぱいに吸い込みたくなる。
また追い上げられてんじゃねぇか。あんたには敵わねぇのかな。
でも、今はそれでもいいか――
「勝負、保留な…」
「なん……」
組み伏せられて、視界いっぱいに愛しい髭面が迫って、胸が苦しい。
ごつり、硬い床板と接触した後頭部は鈍い痛みを訴えて、目尻から涙が押し出される。
「お前…その表情は反則」
俺……
どんな顔してた?
ただ其処にある感情これが恋愛という枠組みを飛越えて、とんでもなく高い位置にあるんじゃないかと思うんだ- - - - - - - - -
2008.10.06 mims
thanks:
夜風にまたがるニルバーナ