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 いまはもう、そんな時代じゃないと呑気な男は言うけれど。俺はいつだって、あんたに殺されていた。


サイケデリツク・ホロコウスト



 安易に口にするのは憚られること。そんなことがある。そんなことがこの世にはある。そんなことばかりだ、この世は。
 放課後の教室で彼女を待ちながらシカマルの頭をよぎるのは、いつもどうでもいいこと。口にするのを憚られるなら、口にしなければいいだけ。

「お先」
「ああ、じゃあな」

 去っていく同級生の背中に一瞬だけ目を向けて、また頭のなかはどうでもいいことに戻る。口にしなければイイこと。
 たとえばいつも気怠そうなあの男が時々は必死な表情をするのも。それに気付いているのに女は知らぬふりで微笑んでいることも。多分ふたりは隠れて付き合っていることも。それに気付いた自分が変な気分になっていることも。いつも無表情なマスクのあの人がこっそり思っている男のことも。そういうことが世の中にはあるモンだと素直に受け入れている自分も。なのにどこか混乱していることも。黙っていればいいこと。

「お待たせ」
「そんな、待ってねえよ」
「帰ろうか」

 差し出された彼女の手を、とる。胸のなかはフラット。なにごともなかったように穏やかだ。この女のことは嫌いじゃない。

「いいお店見つけたの。ちょっと寄ってもいい?」
「ああ」

 連れて行かれた店は、極彩色の内装に甘い香り。お香でも焚いているんだろうか。苦手な空気だ。別にこの女のことは嫌いじゃないけれど、彼女がいいと思うものに共感できないのなら、彼女とは根本的に合わないのかもしれない。なんで一緒にいるんだろう俺は。
 そんなことを考えながらも、ドアは自然に開けてレディファースト。重たい荷物も無意識で持っている。
 それにしてもこの香り。頭が痛くなる。早く外に出たい。

「退屈?」
「…いや」
「そう。よかった」

 退屈ではないが、不愉快。そういえばきっと彼女は悲しそうな顔をするだろう。そんなものは見たくないから、言わなくてイイことは言わない。嘘はついていない。
 正確に言えば彼女の悲しそうな顔を見たあとに訪れる時間がめんどくせーんだけど、泣きそうな顔を笑顔に戻すために払わなくちゃならない労力が。でも、とにかく嘘はついていないから。嘘はつかずに面倒なことを避けられたから、それでいい。

「おう」

 微笑みを浮かべたまま、棚に視線をもどした彼女は幸せそうだ。ごちゃごちゃと並んだ俺には無価値なもの。なにがそんなに嬉しいんだか、と窓の外を見た。ここには俺の見たいものはない。じゃあ、俺の見たいものってなんだろう。
 ショーウインドーの向こう、カップルが近づいてくる。デカイ男と髪の長い女。ふたりの親密さをあらわすようにしっかり組まれた腕。ごちゃごちゃと物の散乱する棚よりも、もっと見たくないもの。

「痛っ」

 惰性で握ったままだった彼女の手を反射的に締め付けていた。

「わり」
「どうしたの?もう出ようか」

 彼女のそういうトコは好きだ。鈍感なようで敏感なところ。さりげない声に滲む気遣い。俺には出来すぎた彼女だと思う。
 だけど。
 ちょうど店の前で立ち止まったふたり。男が煙草に火をつけようとしている。眇めた瞳がゆっくりと角度を変えて、俺をとらえた。なんでこっちに気付くんだよ、バカヤロー。

「いや、なんか買ってやるよ」

 わざとらしく指を絡めて、わざとらしく微笑む。
 嬉しい、と笑顔になる彼女に心のなかで詫びる。お前を喜ばせたいというよりも、あいつに見せ付けてやりたいだけなんだ、俺はそんな男なんだ、ごめん。

「…シカマル」
「んあ、決まった?」
「あれ。うちのクラスの紅先生」
「へえ―…」
「隣にいるの、シカマルの先生じゃない?」
「さあ、な」
「付き合ってるのかな」
「んなのどうだっていいだろ。さっさと決めろよ」
 気ィ変わっちまうぞ。

 待ってよ、急いで選ぶから。再び棚を物色し始めた彼女を横目に、もう一度外を見る。瞳を細めて煙を吐き出すあんたと目が合った。





「お前のそういうトコ好きだよ」
「は?バカじゃねえの」
「それそれ」
「ワケわかんねえんすけど」
「バカバカって言っても、無視したりしねえトコ」
「何言ってんの、おっさん」

 そのおっさんが嫌いじゃねえくせに。ニヤリと歪む口元、隙間から立ち上る紫煙。

「頭おかしいんじゃねえ。気持ちわりぃな」
「ああ。多分おかしい」
「開き直んな」
「頭おかしくなりそうなくらい可愛くて堪んねぇヤツがいる」
「はあ?」
「生意気で俺を足蹴にしてばっかのヤツ」
「……知ってる」

 口にするのが憚られることがある。紅センセだろ。知ってるけど言わない。教師同士の恋愛は対生徒にとってタブーだから、じゃなくて。単純に口にしたくないだけだなんてのは言えないけど。

「賢いんだ、そいつ」
「そーなんすか」

 あんたの付き合ってる女の自慢話なんて聞きたくない。いつも鮮やかな女の姿が目に浮かんだ。なんでこんなに苦しいんだろう。頭のなかがぐるぐるする。何も期待してないのに。バカは俺。

「同い年の彼女がいる」
「……」
「いっつも綺麗なピアスしてて」

 何言ってんだあんた。何触ってんだよ。擽ってえっつうの。見せ付けるように女と腕組んで歩いてたくせに紛らわしいことすんな。教師のくせに生徒に、それも自分のクラスの男子生徒にそんなやらしいさわりかたすんじゃねえ。バカヤロー。
 硬い指先に触れられた耳たぶが熱い。浅い窪みに指の腹が埋まって、俺のなかにじわじわと侵入してくる。

「止めろって、気持ちわりぃ」
 やっぱあんたバカだろ。

 顔も見れず俯いたら、耳元に響く低い声。



「ほんとに止めていいのか、」
「……」
「嘘つき」




サイケデリツク・ホロコウスト

やっぱりまたあんたに殺られるんだ




2009.09.06 mims
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