BL | ナノ
 


 微笑みが苦しい。非の打ち所もないきれいなほほえみ。裏のないやわらかい表情は俺をぐちゃぐちゃに壊してゆく。
 だから俺はいつだって目を閉じて、見ないふりをする。
 オトナは狡いから。ひどいことをするから。いくら悪態をついてもなにも変わらないのだけれど。

孕む



 苦しみを取り除くためにすべきことは簡単だ。苦しみの原因になっているすべてを止めてしまえばいい。期待することも、待つことも、想うことも。
 明日からすべてを忘れてしまえばいいのだ。明日と言わず、今日。たったいま、この瞬間から。記憶を上書きして、あんたとのことなんてぜんぶ消してしまえば。
 心のなかで吐き捨てて、シカマルは残りの缶ビールを呷った。

「おいおい、今日はえらく威勢がいいなあ。大丈夫か」
「放っとけよ」
 
 秘密は秘密のままだからこそ美しいのだと思う。だから知らないままでいたかった。
 疑いを持って99パーセントの可能性でひたすら疑い続けてそれでも事実を知らない状態は、100パーセントの事実を知ってしまった状態とあまりにも違う。たった1パーセントでも信じられたなら幸せだったのにと悔やんでも、もうどうにもならない。知る前に戻りたいといくら望んでも、どうにも。

「アスマ」

 俺とは違う高い声があんたの名前を呼ぶ。酔いで麻痺した頭にも伝わるふたりの空気。

「…ん?」
「私は先に帰るから」

 彼の面倒、みてあげて。って、あんたに頼まれる筋合いなんてないし。アスマが俺の面倒みるってことがどういうことなのか知らないくせに。あんたは知らずに微笑んでるだけのくせに。なのに、俺は、俺は。
 アルコールの作用が、記憶の上書きを助けてくれるなんてのは幻想だ。たった一時、感覚を麻痺させて、そのあとに戻ってくるのはもっとどうしようもない絶望感。分かっているのに、アルコールの作りだす麻痺状態を欲してしまう。不安材料なんてない、たった一瞬でも思い込めたらそれでいいと。

「もういっぽん」
「やめとけ」
「じゃあ、」

 代わりにアスマを頂戴。ほかには何もいらないから。お酒なんていらないから、あんたを頂戴。一番言いたい台詞を心の中に飲み込んだ。

「煙草、一本くれよ」
「ったく。しょーがねぇガキだな」
「ガキじゃねえ」
「ガキ、だろ」

 ほらよ。差し出された煙草をもぎ取るように受け取って、くわえる。
 あんたにとって、あんたらにとっては、なんでもないことなのかもしれない。だけど、俺は違う。ってことは、やっぱり俺はまだガキなのかな。
 アスマのつけてくれた火が、先端でちりりと焦げている。
 俺は違うから、あんたらと違って傷つくんだから、だから。だから、どうして欲しいんだ。
 あんたのせい。あんたらのせい。俺のせいじゃない。
 誰かになんとかして貰えると、どこかで思っている。そんな甘えた自分が嫌いだ。
 やっぱりガキです、すんません。
 心の中で謝ったのと同時に、煙を吸い込んだカラダが拒否反応。肺の薄い膜から広がっていくものを、全身が拒絶するように咳きこんだ。

「お前にはまだ早ぇよな」

 早いと知っていたら、なんで手を伸ばしたんだ。間違ったことだと知っていたくせに。だけど、俺が逃げないこともあんたは知っていた。オトナは狡いから。
 手をのばして、俺に触れて、カサついた指先がゆっくりと俺を開いて。それから、名前を呼んで。それから、それから。

「早く、ねえよ」

 まだ苦しんでいる肺に思い切り煙を吸い込む。血液がぐるぐると循環する。アルコールほどじゃないけど、煙草にも感覚を麻痺させる作用があって、酒との相乗効果なのかなんなのかよくわかんねえけど、頭がぎゅうっと締め付けられて、いつもみたいに回らなくなる。
 身体によくないものには中毒作用ってのがあるんだ。いちど手を出すと、また次が欲しくなる。先には進めても、後戻りは出来ないように出来ている。あとで苦しむのは自分だって分かっているのに、また欲しくなる。欲しくなって深みにはまってもがいて苦しんで抜け出せなくて。そういう仕掛けになっている。まるで罠だ。酒も、煙草も、あんたも。
 止めてしまえばいい。簡単な事なのに。

「もう、やめるか」
「……むり」

 そうやって俺を見下ろす視線は、いつもあまりにもやさしいから。
 くわえた煙草を抜き取って、代わりに口を塞ぐあんたのかさついた唇があまりにもあついから。
 無理に決まってる。
 知ってるくせに。
 与えられるものを黙って受け取るだけで、頭がおかしくなりそうになるから。
 卑怯だ、と思うのに。あんたはいつも卑怯なのに。卑怯なオトナの指先に翻弄されて、溺れていく幸せなコドモ。

「…シカマル」

 唇が触れたまま髪を撫でられて、名前を呼ばれて。ずぶずぶと沈んでいく俺が、幸せそうに見えるから。
 どこかに、深みにはまっても抜け出せなくてもいいような、そんな都合のいい明日が待っているんじゃないかと、バカな俺は思うんだ。




孕む

まぼろしの在処を教えてよ



2009.09.11 mims
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -