雨と無知 お天気って絶好の小道具だと思うのと力説する金髪少女の声は、雨宿り中のシカマルの耳になんとかとどいた。かろうじて。
細いカラダに似合わないおおきめの傘を手に、いのは立っている。口調の勢いとは対照的な、頼りない姿で。
小ぬか雨の降る、秋のはじめ。
葉をひろげた大きな木が、雨を遮ってはいたけれど、隙間を縫ってときどき落ちてくる雫は、なぜか肌の露出したところばかりを濡らす。ぽたり。シカマルの白い首筋をまたひとつ大きな水滴が流れおちた。
避けてもよけても、またうなじに落ちる雫には、なにかの意志が宿っている気がする。嫌がらせだとしたら、なにが、何のために。
天が、俺のために?まさかな。
なんの意味もない。自分が天に嫌がらせを受けるほど大層な人間だと、自惚れるつもりもなければ理由もまったく思いうかばない。
でもこれでは、雨のなかに立ち尽くしているのとどちらが不愉快なのかわからなかった。全身を均等に水に浸したほうがまだマシなんじゃねえの。べつに俺も、全身ずぶ濡れにはぜんぜんなりたくないんだけど。
触れて欲しいところを避けて、わざと別のところばかりを繰り返しくりかえし攻められる感じ。歯痒い不快感。いまの気持ちは、それに似ている。
「シカマルもそう思う?」
「ん?」
「お天気は有効な小道具だって」
「…まあ、な」
蜘蛛の巣にとまる雫をみつめる。
小枝どうしの間をつなぐように、ほそいほそい糸が張り巡らされて、その中心でちいさな蜘蛛がじっと息を潜めている。身動きもせず。
半透明の放射状にのびた彼の世界を、数珠のようにならんだちいさな水滴が彩っている。きらきらと、無駄にきれいに。とまった雫に淡い光がさして、きらり。いつもは目に映らないそれを、雨がくっきりと浮かびあがらせていた。
雨が。
こんなところでも雨は、なにがしかの作用をしている。お天気は有効な小道具。そんなにわかりやすく罠を張っていても、きっとなにも獲物はつかまらない。
「よかっ…た」
また頼りない声。なにかに気付いてほしくて、だけど気付かれたら困るような、そんなゆらゆらゆれる声。
そのとき頭のなかは、相当ヘンなところを漂っていたらしい。うっかり手を繋ぎそうになった。
「なにその手」
「条件反射?」
「あんたを迎えに来たんじゃないからね」
「知ってる」
言われなくてもシカマルには分かっていたし、この幼馴染がそんなことをするようになったら、それはそれで怖い。というよりも心配だ。
彼女が小道具の効果を発揮する対象は、もうずっと前からひとりに決まっている。うるさいくらいに聞かされて耳にたこができそうな名前の少年は、土手の向こう側。ポケットに両手を突っ込んだまま、歩いている。雨のことなどまったく気にしていないように、世界のすべてを拒絶するように、ゆっくりと遠ざかって行く。
「いかねえの?」
有言実行すんじゃねえのかよ。にやりと軽く笑ってやろうと思ったのに、言えやしない表情。どこか怯えたような、憐れむような。
「何かあったのかよ」
「べっつにー」
「だったらいいけど」
「…うん」
力ない相槌がそのまんま形になったような顔しやがって。
天気が(正確にいえば、雨が)人と人の距離を縮めるモンだってことくらい、いのが力説するずっと前から知っていた。
知っているつもりだったけれど、むしろ逆かもしれない。
雨は人と人とを近付けるけれど、それといっしょに近付きたいという意図をわかりやすく浮かび上がらせるから、慎重な人間は反対に近寄らない。いのの近付きたい対象は、そういうタイプの人間だってことだろうか。有効なはずの小道具が、ちがった方向に効果を発揮することがある。
「一緒に帰るか」
「えー、あんたがどうしてもって言うなら」
噛み付いてこられるのも面倒だが、そんな顔を見せられるんなら噛み付かれたほうがまだましだ。
「どうしても」
「……」
「オネガイシマス」
「なんで片言?ばかみたい」
どうしても。そう言わないと、泣きそうな顔をしていたから。
「仕方ないわねー」
「わりぃな」
ヒトは理由もなく謝ることもあるんだと、知ったのは最近のこと。謝罪のうらには、思ったよりもいろんな感情が潜んでいる。ごめんな、シカマル。そうやって全然悪びれずに謝るあの人の裏にもきっと、俺には理解できないカタチでいろんな感情がからまっている。
「あんたと相合い傘なんて最悪」
悪態にも、たくさんの感情が隠れている。そうやって、素直になれないいののことを可愛いと思った。めんどくせーけど、かわいいやつ。放っておけない。この気持ちは、恋とも違う。友情とも違う。ただ、いまは傍にいてやりたい。
「へいへい。すんませんねぇ」
並んで傘に入り歩きながら、会話はない。
点在するちいさな水たまりを、薄い靴底で蹴り飛ばす。爪先が濡れていく。
向かいからチョウジとアスマが傘をさして歩いて来る。それぞれに、別々の傘。
「お!相合い傘か、羨ましいなァ」
「んなんじゃねえよ」
「仕方無く入れてあげてるだけなんだから!ホントはサスケくんを迎えに来たのに」
「まあまあ。いいじゃない、ふたりとも」
いのちゃんは優しいんだよね。
チョウジの台詞に、あんたが目を細めている。雨で霞む世界は、そんなに眩しくなんてないのに。眩しいものをみるように、眇められた目。触れて欲しいところを避けて、わざと別のところばかりを繰り返しくりかえし攻めるときのあんたの目。
「いのみたいに優しい女の子、先生は知らねぇよ」
「うそばっかりー」
「ほんとほんと」
「調子イイんだから、センセーは」
「いつも本気なんだけどなァ」
だいたいあんたはいつも適当でいい加減で。でもいのが笑ってて、チョウジも笑ってて、俺もなんだか笑いそうで。だったらきっと、俺たちの間ではそれが正解。
「シカマル、借りてくぞー」
「また将棋?」
「おう。わりぃか」
「どうせ負けるくせに」
「うるせえな。今日は勝つかもだろォ」
「無理なんじゃない」
ぐいと引かれた腕が、ちょっとだけ痛くて。あんたは雨とか晴れとかそんなの関係なしに、申し訳なさの欠片もない笑顔で、俺の内側にぐいぐい入ってきて。そのイイ加減で適当な無遠慮さが、どうしようもなく嬉しいんだ。
雨と無知泣きそうだったのは俺、傍にいて欲しかったのも俺。2009.09.14 mims