ハニー、サイケデリック

「痛そう、日向先輩」

 頭をかかえてうずくまっている日向先輩を見ながら、私は呟いた。ほんとに痛そう。痛みを訴える低い唸り声がコートを満たして、まるで雪男だかトロルの叫び――つまりは得体の知れないデカイだけの不気味な未確認生物の鳴き声――みたいだ。

「可哀想に」
「キミが言ってもだめでしょう… というか、キミが言ったらだめですよね」

 黒子くんに無表情のまま諭されて、肩を竦める。
 反論する気はなかった。だって彼の言うとおりだから。日向先輩の叫びの原因を作ったのは正真正銘この私だ。

 振り返ること数分前、無防備な背中をさらしてベンチに腰かけている日向先輩の脳天に渾身の力を込めて振り上げた踵を一発華麗にお見舞いした。
 我ながら今世紀最高レベルのパーフェクトで芸術的な形が決まったと思った瞬間に彼の体は前方に傾いて、鼻が床に接触するギリギリ手前で彼は体勢を立て直す。
 こんなところで無駄に運動神経だか反射神経なんてものを発揮しないで、思いきりよく顔面強打した上に鼻血でも流せばよかったのに。ついでに眼鏡もバッキバキに割れて復元できないくらい粉々になればベスト。なのに彼はいつも一歩及ばない。残念だね、日向先輩。
 あ。
 残念で可哀想な先輩がやっと顔をあげた。目付き悪い。

「なにすんだ、だアホ!」
「何って、脳天踵落としですけど」

 できるなら先ほどの一連の流れを超ハイグレード画質で撮影しておきたかった。そうすればこれからどんなに腹の立つことがあっても繰り返し再生することで10パーセントくらいは溜飲を下げられる気がするのに。

「そういう意味じゃねーよ」
「わたくしには分かりかねますわ」

 わざとらしく丁寧な言葉を使ったら、日向先輩が一瞬だけ怯んだ。

「殺す気か」
「まさか。むしろ先に私を社会的に抹殺しようとしたのは日向先輩の方でしょ」
「社会的抹殺?んな物騒なことする力、俺持ってな…い……と思」
「日向先輩はあくまでもしらを切り通すつもりってことだね、分かりました」

 うずくまったまま涙目で私を見あげる日向先輩を見下ろして、もういちど踵を振り上げる。スカートの裾がひらりと揺れた。

「ま、待て待て待てヒントくれヒント」
「………却下」

 振り上げた足を重力任せに落下させようとした刹那、いつの間にか至近距離に寄っていた黒子くんにスカートを引っ張り下ろされた。どこから現れたの。

「女の子なのに はしたないです」
「もしかして、見えてた?」

 一応ね、自分でもパンツ見えてたら格好悪いなあって思わなかった訳じゃないんだよ。でもそれよりも日向先輩に裏切られた苛立ちのほうが勝ってたというか、比較するまでもなく余裕で天秤が傾いたというか。パンツ見せる気なんてなかったんだけど。

「ほどほどにしてあげたらどうですか」

 問いかけをスルーしてくれたのは彼の優しさだと思いたい。また黒子くんに諭された上に、二号に悲しげな声でクゥンと鳴かれてしまえば、譲歩するしかなくなるじゃないか。三文字で手を打とう。

「メガネ」
「眼鏡?」
「これ以上のヒントは出しません。私は守秘義務を守ってほしいだけなんです」
「守秘義務とか社会的抹殺とかお前ちょっと大袈裟すぎるん、じゃ、ないことないです俺が悪かったごめんなさい」

 言葉の途中で変わっていく私の顔色を見て、日向先輩が語尾を変える。青ざめてぐだぐだになってゆく。情けない表情で、まだ頭をさすっている。
「可哀想…」もういちど呟いたら、隣で黒子くんがためいきをついた。ためいきをつきたいのは私の方だ。

「沈黙を貫いてほしかった」
「だから悪かったって、」
「なにが悪かったのか気付いてないくせに」
「眼鏡だろ」
「眼鏡がなに」
「眼鏡がダサイとか、」
「違うし」
「割れちまえ眼鏡、とか」
「………」
「眼鏡メガネめがね」
「なにそれ意味わからない」

 うーー、と呻いてさっきとは別の意味で頭をかかえてしまった日向先輩を見ながら、はしたなさと苛立ちを天秤にかけつつ踵の準備運動をしていたら、また黒子くんの声。

「もしかして、あれじゃないですか」
「あれってなんだ黒子 いますぐ教えてくれ でないと前の試合を最後に俺は永久引退すること…に、なって… いや、なんでもありません」

 私のきつい視線に気付いて、日向先輩が口ごもる。まだ自分の過失に気づかないんだろうか。黒子くんのほうが余程鋭い。

「さっきの眼鏡フェチ話ですよ」
「……」
「日向先輩めっちゃムカつくドヤ顔垂れ流してくれたじゃないですか。僕が頼んでもいないのに」
「あ!ああ!あれか。彼女は基本眼鏡男子大好きな極度の眼鏡フェチのくせに俺にだけ眼鏡かけないでくれ、って言うんだけどソレどういうことだよホントに俺のこと好きなんか?って思ってたらその理由が "似合いすぎて格好いいから私の前でだけかけてほしい他の子には見せないで" ってことだったらしくて、歪んだ独占欲の可愛さにキュンときた どうだ羨ましいかザマアミロ黒子 とかいうノロケ話をたしかにさっきした」
「あのドヤ顔、気持ち悪かったです」
「また言うし!日向先輩のばか」

 思い出してくれたのはいいけど、恥ずかしいこと何度も正確にリピートするなハゲ。羞恥心の上塗りやめて。そういうことは二人だけの秘密にしといてよ。頭悪いんですか。もう絶対、二度と、そんなこと言ってあげないからバカ。バーカ。心のなかで悪態をつきまくることで今にも宙を浮きそうな踵を押さえつける。

「わりー。つい 嬉しくて」
「嬉しかったら何しても許されるんですか」
「そうじゃねーけど」
「じゃあ、なに」
「お前が可愛いから」
「は?蹴りますよ」

 おさめた足を振り上げようとしたら、背中から抱きすくめられた。動けない。

「みんなにお前のパンツ見られんの悔しいからやめろ、だアホ」
「っ、」

 おまけに低い声が首筋をなでるから、余計固まった。なんなのその声。胸のおくの襞に忍び込んで、直接心臓を握りつぶすような声。

「ちょっと嬉しかった?」
「う、嬉しくないわバカ!その前に謝れ」
「つかお前、顔赤ぇんだけど。嘘ついてんじゃねーぞ」
「………」
「俺に構われるときは四六時中喜ぶ準備だけしとけやァ!」

 試合以外でクラッチタイムに入るのはやめてほしい。ついでに耳元で大声出すのもやめて。鼓膜破れたらどうしてくれるんですか?抗議しようと振り返ったら、眼鏡ごしの鋭い視線と歪んだくちびるのドアップ。不遜な表情が、胸の真ん中を突き刺した。
 ちくしょー、日向先輩やっぱりカッケーなオイ。もう、全部ゆるす。
 落ち着いたらまた蹴るかもしれないけどとりあえず今はゆるす。 


ハニー、サイケデリック
バカップルの喧嘩は犬も喰わない。

「二人で勝手にやっててください」
「クゥン」

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2012.08.05
クラッチタイムに入った日向先輩たまらんね
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