惚れた欲目

 前座、ってなに。
 コート内の会話が聞こえてまず浮かんだのは疑問だった。
 前座、ってなに。
 私の知っている「前座」って単語はたしか、添え物的な意味合いだったはずなんだけど、おにぎりにくっついた漬物とか刺身のツマとか。なのに目の前の彼は、添え物とは真逆の存在感を見せつけてそこにいる。
 とても前座なんて思えないし、きっと私の聞き間違いか、それとも私が日本語の意味を間違えて覚えているかのどちらかだと思った。もしくは彼の揺れる黒髪が催眠術に似た効果をもたらして脳内ゲシュタルト崩壊でも起こしているのか。
 今吉先輩は、むしろ真打ちだ。すくなくとも私にとっては。大本命ド直球ストライクど真ん中。前座なんてありえない。そう思った瞬間、また彼の声が聞こえた。

「言うたやろ、前座やて」

 前座、ってなに。
 ひらひらとたなびく黒いユニフォームを見つめながら、考える。あの人がもしも万が一「前座」だとしたら、私はこの一試合ずっと前座のままでいい。本題になんて入らなくていいから、ずっと前座のまま前座を続けて前座で終わりをむかえればいい。


「って思いました。試合みてて、」

 そればっかり考えてました。試合明けの休日、今吉先輩に会った瞬間そう言えば彼は私を見下ろしたままからからと楽しげに笑った。

「なんやそれ」
「私の本心ですけど」
「それもう前座ちゃうやん」
「だから、初めからそう言ってるじゃないですか」

 私にとっての今吉先輩は、前座じゃなくて大本命なんです 真打ちそのものです。勢い込んで言葉を続けたら、また彼は笑う。空気を含んで掠れた音が耳たぶの奥に入り込んで、はぜた。
 一緒に胸の奥も、はぜている。

「笑わないでください」
「堪忍な、バカにしてるとかちゃうで」
「じゃあ、なんなんですか」

 頭いっこぶん上にある顔を見上げたら、レンズ越しの細い眼が私を見おろす。ゆるい弧を描く瞳は、閉じたまま。なにを考えているのかぜんぜん読めない顔だなあ、と思っていたら、かちゃり、音をたてて今吉先輩がフレームを押し上げた。
 そんな仕草ひとつに、心臓をぎゅうっと絞られる。そんな仕草ひとつで、胡散臭さが増す。

「嬉しいねん……たぶん」

 思ったよりずっと近くで、低い声がそう告げた。いつもよりほんの少しだけ、渇いた声。渇いているのに、湿度の高い声。

 今吉先輩が「たぶん」という単語を使う時には、それは推論ではなくてすでに決定事項なのだ。

「嬉しい、ですか?」
「せや」
「どうして」

 彼には決定事項だとしても、凡人の私には読めないわけで。問いかけて見上げたら、頬のすぐそばで黒髪が揺れた。
 身を屈めた今吉先輩の顔が至近距離。丸くなった背中のラインが近すぎてよく見えない。

「聞かんでもほんまは自分が一番よう分かっとるはずやで…たぶん」

 先輩を見つめたまま、微動だにできなかった。だって、近すぎる。渇れた声が頬をなでる。また、たぶんって言った。

「分かり ません」
「嘘つくなや」
「嘘じゃ、なくて」
「しゃーないなァ」

 本当にわからなかった。
 仕方がない、ってなに。嬉しい、ってなに。

「……」
「前座のつもりやってんけど」

 前座、ってなに。
 すうっと今吉先輩の瞳が細まる。胡散臭くてあやしくて、そして、優しい顔。眦がやわらかく下がっている。
 その顔 なに。胸がいたい。

「自分にとっては ワシ 前座ちゃうんやろ」
「…はい」
「それな、あれや」

 
惚れた欲目
(ちゅうこっちゃ……たぶん、な )


 誰かにつきおとされたんちゃうやろ?自分で足を滑らせてんから、さっさと認めてみ。ほんで、はよ落ちてき。
 ちゃんと ワシ 受けとめたるから。



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2012.08.02
今吉先輩の「たぶん」のひびき、なんなんですか。腹の底に染みるんですけど。
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