乙女思考でごめんあそばせ

「先輩の爪、いつも綺麗っすよね」

 放課後の公園で、黄瀬くんにいきなりそう言われた。この子はどうしてそんなことを言うんだろう。そんな些細なひとことで、私がどれだけ翻弄されるかも知らずに。
 綺麗というなら、黄瀬くんのほうだ。ハードな部活の後とはとても思えない涼しい顔をして、無造作にあけたボタンから惜しげもなく見惚れるような鎖骨をさらして、その奥にひっそりと情熱をひそめた子。

「急にどうしたの」
「急にじゃないっす、ずっと前から思ってました」

 つとめて冷静を装った声も、その後の一言でかんたんに覆される。嬉しすぎて変になりそうだ。
 言葉を発すれば上ずった声が出そうで、なんにも言えなくなってしまう。

「まじ綺麗…」

 ためいき交じりで呟きながら、すうっと切れ長の瞳を細めて、黄瀬くんがそっと私の手をとる。そんな彼こそまじ綺麗だと思った。
 ほんの少しだけ私より高い体温が指先からしみ込んでくるから、どうすればいいのかわからなくなる。振りほどくこともできずに、固まって、見上げた先でさらさらの金髪がゆれた。

「それいつも自分でやってんすか」
「……ん」
「先輩器用なんすね」

 曖昧にほほえんで、そっと目を反らす。てのひらはまだ、黄瀬くんに包まれたまま。
 長い睫毛を伏せて、黄瀬くんが私の手を見ている。じっと。食い入るように。
 だんだん指先が熱くなって、その熱が体中に伝染する。頬も、耳もあつい。緊張で指先がかすかに震えている。
 いったいいつまで見ているんだろう。

 まじまじと指を観察されるのが、こんなに恥ずかしいなんて思わなかった。
 そりゃ、苦労してネイルやってるんだから、気づいてくれたらいいなとは思ってたし、今日のはけっこう自信作だけど。

「なんか、あれっすよね」

 綺麗すぎて自分から遠い存在に思えるっつうか、なんつうか。ちいさく続いた黄瀬くんのセリフは、そのまんま私のいまの心情そのものだった。
 自分はモデルなんてやってて、おまけにバスケの才能にもあふれていて、行く先々で女の子たちにおそろしく騒がれているというのに、いったいこの子は何を言ってるんだろう。
 すこしでも黄瀬くんに釣り合うように、隣にいるのがおかしくないようにって、私が日夜どれだけ努力をしているかも知らないで。どんなに眠たくても爪の手入れを怠らないのも、時間をかけて髪の手入れをするのも、長い髪を毎日きちんと乾かしてから寝るのも、肌の手入れに余念がないのも、一日に何度も鏡を覗きこむのも、体型を保つために食事をセーブするのも、全部ぜんぶ誰のためだと思っているの。見た目だけで中身がないのは嫌だから、勉強だって必死でやるし、本も読む。映画だって見るし音楽も聴く。基本は自分が好きでやりたいと思うのが理由、だけど。本当はそれだって突き詰めて考えれば、すべてが彼に釣り合いたいから。
 つまり私のほぼ100パーセントは彼でできている。


「狡いね、黄瀬くんは」
「なにがっすか」

 問いながら、すうっと目を細める。悲しげに眉を下げる顔が、ぐっと胸の底を押し上げる。そんな表情をみせられたら、ますますどうしたらいいのかわからなくなる。
 この子は、狡い。
 自分がどれだけ美しいのかには無頓着で、だけど本能的にちゃんと見せ方を知っている。責められたときに見せる寂しげな顔ですら、おそろしく破壊的なのはきっとそのせい。

「…なんでもない」
「気になるじゃないっすか、言って下さいよ!」
「わざわざ伝えるほどのことじゃないから」
「えええええ」

 余計に気になるんすけど!そう言いながら、縋りついてこられるととても逃げられない。がっつり両肩を掴まれれば、指の食い込む温度で心臓が暴れる。

「気にしなくてよろしい」
「そうやっていつも歳下扱いするんすから」
「だって歳下でしょ」
「そうっすけど」
「とにかく忘れて」
「いやっす」
「わがまま」
「知らなかったんすか」
「知ってたけど」
「だったら言ってください」
「……」
「その代わり俺も」

 さっき心の中にしまいこんだ本心、ちゃんと白状しますから。真剣な声でそう続けて、黄瀬くんがそっと耳元に顔を近づけた。私の背に合わせて、すこし屈めた背中がきれいなラインを描いている。ただ立っているだけで綺麗な子。

「それでオッケー?」
「…たいしたことじゃないのに」
「でも俺は聞きたいんす」

 先輩が思ってることならなんでも。さらりと殺し文句を吐く彼に、あっさり陥落した。ばかばかしすぎて、伝えるのも恥ずかしいような、そんなことなのに。言わないわけにはいかなくなってしまった。

「綺麗って言ったでしょうさっき」
「言ったっすね」
「それ違う」
「なにがっすか」
「綺麗すぎて狡いのは黄瀬くんのほうだよ」
「なんすかそれ」
「呆れたでしょ」
「まさか、」

 めっちゃ嬉しいっす!言いながら、長い間会えなかった大好きなご主人様に再会して大喜びのワンコみたいに飛びついてきた彼のせいで、小指の爪がぽっきり折れた。
 痛いけど、ぜんぜん痛くない。
 黄瀬くんのカラダ、こうしてくっつくと思っていたより大きい。歳下だけど、ちゃんと男の子なんだね。
 いまにも私がつぶれそうで、苦しくて、苦しくて。だけど、心臓のほうがもっとつぶれそうだ。
 

「で、俺の本心っすけど、 」
「ん…なに」

 ぎゅうぎゅう抱きしめられたまま、吐息交じりでやっと問いかけたら。
 耳たぶに触れる距離で注がれた声に、今度は脳みそがとけた。


乙女思考でごめんあそばせ
(その指で飽きるほど俺に触ってほしい、なんてバカみたいなこと考えてたんスけど 引かないでください)
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