一進一退ストラテジー
伏し目がちな淡い色のまつげをみていたら、触れてみたくなった。
本に、本の上を走る文字だけに注がれる黒子くんのまなざし。
そのまなざしを、ちょっとだけでいいからこちらに向けてほしくて、手のひらをそっと文字にかぶせると、小さなため息が聞こえる。
「そんなことされたら読書の邪魔です」
平坦に黒子くんは言う。
濾過紙できれいに感情を取り除いたような声と口調で。
そんな反応を見せられると、わざと波立たせてやりたくなるよね。それが人情ってものだよね。反応というよりはどちらかと言えば無反応なんだけど。
反応。
化学反応。
物質の相互作用によって別の物質を生じること。何かと何かとを化合させる事で特殊な状態を作り出すこと。
化学反応。私と黒子くんの間にだって、たまにはそんなイレギュラーな反応が起こってもいいじゃないか。起こるべきだよ。起これ。なんなら、怒ってもいいよ。
怒っている黒子くんは、きっと、いつもよりずっと魅力的だから。
「黒子くん」
「はい」
無機質な声。
そういえば無機物って化合するんだっけしないんだっけ化合するのって有機物だけだっけそもそも有機とか無機ってなんだっけ。いやいや確か無機化合物とかいう単語があったようななかったような気もするけど化学きらいだしバカだからよく分からない。
うん。どうでもいい。
どうでもいいことを考える。黒子くんが反応してくれないから。
「言いたいことがある」
「なんですか。手短にお願いします」
「なぜ」
「はい?」
ちょっとだけ語尾があがる。
たったそれだけの微かな彼の変化で嬉しいと思う。うれしい。
「なぜ、邪魔とか言うの」
聞きながら、我ながらバカみたいな質問だなあと思った。
邪魔は邪魔で、それ以外のなにものでもない。邪魔。私は黒子くんの邪魔をしている。
「気が散るからです」
「ひどい。そんな」
ある意味予想通りの答えだった。予想通りだったけど、不愉快だった。だから不愉快さを隠しきれない声が出た。
「なぜ怒るんですか」
「だって、気が散るって」
「言いましたよ」
「だからそれがひどいって」
「気が散るってどういうことだか分からないんですかキミはバカですか」
「…」
わからない。わからなくて黒子くんの目を見つめる。
あきれたような透明が、こちらをみている。
見つめる。
まっすぐ見つめられる。
心臓が騒ぎ始める。気が散るってどういうことなの、気持ちがばらばらになってひとつのことに集中できないってことでしょう、ちがうの?私が邪魔だから。邪魔。黒子くんのしたいと思っていることを妨げる存在。そういう存在だから、私が。
邪魔、って。結構キツい言葉だなあ。邪魔していることは知ってたけど。知っててそうしてたんだけど、やっぱり、はっきり言葉にされるとつらい。
つらいなあ。
「気になる、ってことです」
「え」
「ボクはキミのことが気になります。だから気が散る」
「え、え、」
「気になるので、じっとしていてください」
一気に体温が上がった。
言葉ひとつでいとも簡単に私のなかで化学反応を起こして見せる黒子くんはずるい、とか、そんなのただの言葉遊びというか賢い人のよく用いるレトリックじゃないか、とか、ソフィストばりの弁論術じゃないか、私を都合よく操ろうとしてるだけじゃないかずるい、とか頭のなかにはいっぱい反論が溢れてくるのに、なのに。
じっとしている私の頭を、黒子くんの手のひらがそっと撫でて。
「いいこですね」
そう言って彼は微笑むから、じっと傍にいることを許されただけでもしあわせに思えた。
ああ。ほんとこの人ずるい。
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2013.03.30 黒子テツヤはずるい奴