0=未知数な世界

 私の嫌いなこと――不意打ちで驚かされること、待ち伏せ、探し物。

 この嫌いなことベスト3をきっちり律儀に三点セットで日常的に仕掛けてくる物好きでいじわるで何を考えているのか読めない先輩が約一名いる。男子バスケ部キャプテンこと変態腹黒メガネ、今吉翔一。
 被害者のこちらは本当に心からものすごく困っているというのに、当の彼は私が何度不快感をあらわにしてもまったく取り合ってくれないのだ。むしろ、嫌がれば嫌がるほど日に日に増長している気がする。だって、私の罵りを聞いた後の彼は、これ以上楽しいことなんてないくらい鮮やかに唇を歪めているから。
 ときどきその歪んだ顔に、ぞわっとする。単純に怖い話を聞かされた時に感じる悪寒とはすこしだけ違うそのぞわぞわの名前を、私はまだ知らない。知っているのは、今のところ嫌いなことベスト3を避けるためには私が警戒を怠らないのが唯一の方法、ってことだけだ。
 さてこの場合、「嫌いなこと」なのでベスト3というよりワースト3と言うほうが言葉としては正しいのだろうか、などと どうでもいい疑問が頭を支配しはじめて周囲へくばる意識がわずかにうすれた瞬間、視線の隅っこにかろうじて映ったロッカーと壁の隙間のほのかな薄闇の奥にぼんわりうごめく影を感じて反射的にひぃっ、と声が出た。

「な、何してるんですか!変態?」

 物陰からまるで幽霊みたいに浮かび上がった今吉先輩に向かってうわずった声で叫べば、相変わらずの胡散臭い笑みが降ってくる。やっぱり、ひどく楽しそうだ。一瞬だけ細くひらいてまたすぐ閉じた目に、鳥肌がたった。

「何してるて、決まっとるやん」

 お嬢ちゃんのこと待っててんけど、と悪びれない声が続けるからため息が出る。今日もまた私を驚かせるつもりでこっそり隠れていたらしい。

「待つなら普通に待っててください」

 ものすごく心臓に悪いし、第一その “お嬢ちゃん” って呼び方はどうなんだろう。どこぞの妖しい伊達眼鏡関西弁キャラの真似ですか。関西人という生き物は一般的に女子のことを“お嬢ちゃん”って呼ぶんですか。そんなわけないやろ。今吉先輩へのツッコミならいくらでもあふれてくる。

「普通に待つて、オモロないやん」
「面白さなんて求めてません」
「ワシは求めてんねん。関西人のプライドにかかわる問題や。大問題や」
「そんなん知らんし。とにかく、驚かされるのめちゃめちゃ嫌いなんでやめてください。万が一私のか弱くてデリケートな心臓が誤作動おこして不意に止まったりしたらどうしてくれるんですか」
「とりあえず……」

 不自然に言葉を切った今吉先輩を見上げたら、口角を持ち上げるのといっしょに顎を掬われた。

「そんときは人工呼吸でもしてみよか」
「却下!」

 せめてもの威嚇のつもりで振り上げた拳はあっさり大きなてのひらに包まれ、他人の体温が肌の表面からじんわり染み込んでくる。顔に似合わずあたたかい手だ、と思った。

「そない喜ばんでも」
「喜んでません。逆です、逆」

 否定の意思表示に眉をつり上げたら両目の端を引っ張り下ろされる。なれなれしく眦に触れる指先は、やっぱりあたたかい。
 万事がこんな具合で、彼の方は私の言葉などまったく意に介さずに毎日まいにち飽きもせずに同種のことをくりかえしてくれるのだ。教卓の影に潜んでいたり、わざわざ開けた窓から身体半分投げ出した上でカーテンの裏に隠れたり。子供か。わざわざ下級生の教室まで足をのばして教卓の影に脚を折った姿勢で窮屈そうに潜む長身メガネ男子ってどうなの。想像したらちょっと可愛くないこともないけどどうなの。
 見つけるたびに毎回心臓が止まりそうになって呼吸は乱れるし、たぶん驚きでアホみたいな顔になってるし、それを見て今吉先輩は型に押したようにからからと笑うから腹が立つ。もはや、ただの厭がらせとしか思えないこの事態からはやく誰か私を救ってください、お願いします。やっぱりベスト3じゃなくてワースト3だな、だって多分私の寿命は今吉先輩に接触するたび確実に削られているから。

「今日は案外早よ気ぃついたなー。なかなかやるやん」
「やるやん、じゃなくて!」
「なんや、やっとワシの溢れる想いを感じとる才能開花したん?待ってたでー」
「違います。嫌なんでやめてくださいって言ってるじゃないですか」
「嫌よイヤよも好きのうち、て言うやろ」
「ホントに嫌がってますから」
「ほんまか?」
「なぜ嘘をつく必要あるんですか」
「やって自分あまのじゃくやろ」
「自覚ありませんし意味わかりません」

 正直なところ、初めの数秒は死ぬほど嫌だが、それを乗り越えたあとのこういうやり取りは嫌いではない。楽しい。楽しいけれど、それと秤にかけてもやっぱり潜む彼を見つけた瞬間に心臓にかかるおそろしいまでの負担はいただけないのだ。

「分かってーや」
「むりです」
「ワシ見つけた瞬間の自分の顔、おもろいねん」
「ひど」
「それに必死こいて探してる姿、結構かわええし」
「ばーか、ばーか!可愛いとか言われても騙されませんよ」

 ちょっと。ほんのちょっとだけ嬉しかったのは気のせいだ。気の迷いだ。

「それにな、ワシ見つけて驚いたら心臓ドキっとするやろ」
「驚かされるのは超嫌いですから、まあ」
「そのドキドキを、脳が恋のドキドキと誤認したり」
「しません!吊り橋効果狙わないでください」
「こんなんしてるうちに付き合いたなるかもしらんやん」
「ないわー」
「照れんなや」
「照れてないです。今回ばかりは今吉先輩の計算もハズレですね、残念でした」
「人を計算高いイヤな奴みたいに言わんとって」
「ホントのことじゃないですか。とにかく付き合う可能性 0。ゼ ロ で す!」

 強くいい放てば、寂しげに目を伏せて見せるけれど、きっとその表情だって彼の計算に決まっている。乗せられてなんかやらない。

「しゃーないやろ」
「なにがですか」

 聞き返す私の頭を、今吉先輩がわしゃわしゃとなでた。髪に絡む指がやさしい。乗せられるつもりなんてないのに、いつもこんな風に優しかったらいいなんて一瞬思ってしまった。まんまと彼の計算にハマりかけている。しっかりして、私。

「ワシ、人の嫌がることをさせたら右に出るものはいてへんって言われてんねん」
「知ってます」
「せやけどな、」


 また不自然に言葉を切った今吉先輩が、ほそくひらいた目で私を見つめたまま、不敵に唇を歪めた。


「ワシがそんなんするん、めっちゃ気に入っとる子だけやねんで」
「……」
「自分限定。知っとった?」



そんなの知るわけないじゃないか。ばか。胸がドキドキする。

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20120903
今吉先輩はいろいろ反則やなあ、と思う訳です。嫌がることをさんざんされたら逆に気になりますよね。彼の計算通り
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