恋する断片

 今吉さんみたいに自信過剰でつねに人を喰ったような態度を崩さず眼鏡の奥に胡散臭い笑みをはりつけているプライドの高い人を有無をいわせず屈服させるにはいったいどうしたらいいのだろうと昨夜バスタブに浸かったままずっと考えつづけていたらお風呂でのぼせて溺れかけたうえにふやふやになった指でバスタブのふちを掴み損ねて滑って転んで頭を打ったせいでいまもまだ頭がガンガンするので慰謝料をください。

 なんてことが、まさか面と向かって言えるわけもないから、私はただ、口をつぐんだまま廊下を通りすぎる高い背中を見つめる。
 相変わらず、嘘くさい笑顔を惜しげもなく晒して、私に全く気づきもせずに過ぎ去る彼を見つめる。今吉さんを、じっと見つめていた。ら、私の隣でガングロ巨人がさも気軽な調子で「今吉っさん」なんて呼び止めるものだから、悔しくてためいきがでた。私にはとてもできやしないことを、目の前でさらりとやってのける青峰くんが羨ましい。ずるい。あんな色黒にはなりたくないけど。

「今吉っさん」

 ふたたび呼び止めるガングロ巨人の声を聞きつけて、今吉さんが足をとめた。ほんとうは一度目の呼びかけにきづいていたくせに、もったいつけてわざわざ二度呼ばせたのではないかと勘ぐってしまいそうな、そんな背中だった。そんな嘘つきな背中すら好きだと思った。
 眉間にうっすらと不審げなしわを刻んで今吉さんが振り返る。たった一瞬の見返りの表情が、心臓のまん中をとらえた。

「なんや、青峰か」

 不信感が安堵にかわる瞬間のその声がすきだ。その声を私にかけてくれたのならもっといいのに。私は彼のすぐ隣にいるのに。今吉さんがいま見ているのは私にかぎりなく近いけれど私ではないものなのだ。視線がほんのすこしだけずれているのが、もどかしい。いっそ青峰くんに憑依したい。

「呼んでみただけっす」

 のうのうとそんな事を言って、青峰くんがちら、と私に視線を投げる。こいつわざとやりやがった。私が今吉さんに声もかけられないことを知ってて、わざと目の前で声かけて羨ましがらせやがって何がしたいのこのガングロ巨人いつか足引っかけて転ばす。

「用事あらへんのに呼び止めんなや」
「すんません」
「ほな、また後でな」

 今吉さんがくちびるの端をもちあげた。その表情もすきで、すきで、彼の口角といっしょに心の端が引き吊れる。
 またあとで――なんて羨ましい台詞だろう。短い台詞に含まれた、約束された未来が羨ましい。青峰くんがただ青峰くんであるだけで今吉さんのそばに当たり前にいる権利を獲得していることが羨ましくて、机の影で上履きの隅っこを踏みつけた。

「痛っ!」

 きつい目をもっときつくして私を見下ろすガングロ巨人に舌を出す。わざと私を羨ましがらせた仕返しくらいさせてよね。と心のなかで呟いていたら、唐突に頭をがっしりつかまれて思わず あっ、と声がでた。

「どないしてん」

 やけに勢いよく振り返った今吉さんがいま見ているのは私だろうか、青峰くんだろうか。ってことは置いといて、振り返る瞬間に揺れた黒髪がびっくりするくらいさらさら感満載で一見さわやか好青年みたいなのに値踏みするような視線はどこぞのあやしい金融屋みたく鋭いから、そのギャップに釘付けになる。
 
「いや、こいつが俺の足、を」
「……」

 言うな、ガングロ巨人。いま言ったらまじで殺す。もうすこし今吉さんのギャップ感を堪能していたかったけれど、仕方なく目力を最大級にはねあげて青峰くんを睨みあげたら、彼のてのひらから力が抜ける。そうそう。君のボールハンドリングが天才的なのは充分知ってるけど私はボールじゃないから。

「なんも…ないっす」

 そうかー。と言い残して去っていく今吉さんの背中をみえなくなるまで黙って見つめたあとに青峰くんの脛を爪先で蹴りとばした。

「何すんだよ」
「蹴りました」
「んだそれ。せっかくの俺の好意を」
「青峰くん、日本語勉強してください」
「は?」
「だいたいあれのどこが好意?私が今吉さんに話しかけられないの分かってて、自分は今吉さんと仲良しですよアピールするとかわざとらしいにも程があるでしょ、ばか」
「バカはどっちだ」
「青峰くん」

 そう言って彼を指差したら、ひとさし指ごと掴まれて自分の方をむけられた末に盛大なためいきを頂戴した。

「なにそれ」
「だから、バカはお前だろ」
「なんで」
「俺がわざわざ用事もないのに今吉っさん呼び止めたのは誰のためだ、って話」
「私に見せつけるため、でしょ」

 答えなど一つしかない勢いで即答すれば、またでかいためいきが降ってくる。アホに呆れられても全然痛くも痒くもないし。青峰くんがなに言いたいのか全くわからない。

「見せつける、じゃねーよ。見せてやるため、だろ」
「誰に、何を?」

 問いかけたら、鼻で笑われた。
 バカにしすぎだと思うから、もう一度脛に制裁をくらわせたら、可哀想なものを見るみたいに青峰くんが目を細める。

「お前に、今吉っさんを」
「!?!!!」

 なんで、どうして、ちょっと待って。これはまるで私の恋心に青峰くんが気づいているみたいな口ぶりではないか。まさか、そんな。
 慌てている私を見下ろして青峰くんがにやりと笑った。にやり、って効果音聞こえたし。なにその表情ムカつく。今吉さんが口角上げたらどきどきするのに、こいつが同じことするとムカつくだけなんだよね。この差が恋なのかなあ。

「なんで、」
「お前がわかりやすいから」
「私べつに言ってないじゃん。今吉さんの嘘つきな背中がすきとか、振り返る一瞬の眼差しがすきとか、疑いが安堵にかわる瞬間の声がすきとか、揺れる黒髪がすきとか、一人称ワシってのもすきとか、口角歪めた顔がスキとか、そもそも声がすきとか、あの糸目がスキとか、そんなの一言もいってないのに勝手に私の秘めた乙女心に気付かないでよ」
「いま言ってんじゃねーか」
「………あ、」
「それにな」

 喋りながら青峰くんの大きな手が、また私の頭をわしづかむ。いたい。

「お前、朝一なんかぶつぶつ言ってただろ呪文みたいに今吉っさんのメガネがどうとか」
「ちがう」
「確かに聞いたぜ」
「記憶を改ざんしないで。今吉さんのメガネが問題なんじゃなくて、私の中で大事なのは今吉さんそのものであって」
「じゃあアレ空耳か?」
「それもちがう。私は、“今吉さんみたいに自信過剰でつねに人を喰ったような態度を崩さず眼鏡の奥に胡散臭い笑みをはりつけているプライドの高い人を有無をいわせず屈服させるにはいったいどうしたらいいのだろう。自信家丸出しの眼鏡男子をどうにかして屈服せざるを得ない状況に追いこんで嫌々メガネ外させたうえに悔しげに恥じらわせるのが自然なシチュエーションってどんなんだろうって昨夜バスタブに浸かったままずっと考えつづけていたらお風呂でのぼせて溺れかけたうえにふやふやになった指でバスタブのふちを掴み損ねて滑って転んで頭を打ったせいでいまもまだ頭がガンガンするので今吉さんになんらかの慰謝料的なものを貰わなきゃ割に合わない”って言ったのですよ。メガネはあくまで二次的なの。ちゃんと本質を汲み取ってください青峰くんのバカ」

 青峰くんに頭を掴まれたまま一気に喋ったら息がきれた。いい加減放してくれたらいいのにと睨みあげれば、この世でここまでニヤケてる人っているんだろうか、これは恐らく人類史上最大レベルのニヤケ顔に違いない、と断言したくなるような顔がそこにあった。ガングロ巨人なに考えてんの?どんな悪いこと考えてたらそんな表情になれるの?

「らしいっすよ」

 青峰くんがそう言った直後、言葉の意味をつかめずに困惑している私の頭をわしづかみのまま180度回転させるものだから、首がもげるんじゃないかと心配しつつ身体をなんとか追随させた私の目は、背後の人物に固定。即、フリーズ。
 嘘くさい笑顔を惜しげもなく私だけに晒して、私だけを映して、彼が立っていた。

 ――今吉、さん。

 そこに立っているのが今吉さんだと認識した直後、青峰くんの手のひらを振り切って無理やり向き直る。だめだ、なにこれ夢なの。おわった。


(青峰くん青峰くん、どこから今吉さんに聞かれて、)
「自分で直接聞けよ」
「………」
「ど・こ・か・ら・で・す・か、ってな」

 せっかく声を潜めて聞いたのに、台無しだ。青峰くんの胸ぐらをわしづかみにして、無理無理無理無理って目線で訴えていたら、ふわり、うしろから髪をなでる感触。これは、この優しい触り方は絶対青峰くんじゃない。角度的にも青峰くんじゃない。ということは、ということは。

「誰が、何を? 辺りやったかなー」
「……」
「それとも、ワシの嘘つきな背中がなんやとか言うてる辺りやったかもしらん」

 意地悪そうな声でつづけながら、今吉さんが頭をなでるから、意識がそこに集中する。ぎゅうっと詰まった心臓が、なでられている髪の生え際あたりに移動してあばれるから、なにがなんだかわからない。なんなのこれ、夢。

「ほんまや、ここタンコブできとる」

 さっきまで痛かった頭もぜんぜん痛みを感じなくなっているけれど。
 でも。
 どちらにしろ。
 ほぼ最初から聞かれてるってことじゃないですか。私のひそかな恋心は密かでもなんでもなくなってるってことじゃないですか。それより、彼が戻ってきたことにぜんぜん気づかなかったんですけど、なんなんですかこれ。バスケ界隈はのきなみミスディレクション流行ってるんですか、気配なく近づくの勘弁してください。



(慰謝料、なんでも好きなもんあげるで)

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20120819
今吉さんのそばに当たり前にいる権利、ください。
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