糖度120%の加速度運動

「取材はすべてお断りしております」


業務用の笑顔を突き返し、長い前髪が印象的な彼は一言で私を拒絶した。






「いらっしゃいませ」


柔らかい陽射しを集めたような空間に、白と黒の制服姿がよく映える。

奮発して買ったスーツもすんなり馴染む高級感を漂わせながら、

そこは安らぎを約束してくれる温もりに満ちていた。



「私、先日お電話した雑誌出版社の者です。よろしければ責任者の方か広報担当の方にお話を…」

「そうゆうことでしたら、私が伺いましょう」



名刺を渡すと、その男の人は手短に「神月イズモです」と名乗り、事務所に通してくれた。

スマートな身のこなしが清潔感を感じさせ、話し方からは知性的な印象を受ける。

ただ、前髪で隠した瞳の奥に、明らかな敵対心だけはひしひしと伝わった。




「こちらの評判は存じております。今さら雑誌に取り上げるほどでもないと云うことも、重々承知の上でお願いしてます」

「そう言って頂けるのは恐縮ですが」

「お店の方針ですか?」

「えぇ、勿論」



取り付く島もない、とはまさにこのことで、私を送り出した編集長が「難攻不落の要塞」と笑っていたことを思い出した。

あの手この手で差し出す言葉も、神月サンには通じない。

(ぬかに釘、暖簾に腕押し)

取材のために詰め込んだ語彙が、理路整然と私の行動の儚さを実感させた。



「あの、神月さんはどういったお仕事をされてらっしゃるんですか?」

「ですから」

「いえ、これは取材ではなくてただの興味本意です。お気に障りました?」

「…少々お待ちを」

「え、あの、」



神月さんは呟くように一言残し、事務所へ私を置いたまま出て行ってしまった。


静まり返る事務所には、物言わぬ書類とパソコンと私だけ。

埃ひとつ見当たらない床は冬の日だまりを溜め込み、白い壁は穏やかに私を見守るようで

『難攻不落』の固いイメージとは掛け離れた、すごく優しい空気だった。




「お待たせして申し訳ありません」

「あ、はい、いえ」



ほんの数分して、現れた神月さんの手にはピカピカのトレイが乗っていた。

その上には薄く湯気の立つコーヒーカップと、小さくデコレートされたクッキー。

それを茫然と眺める私の前に並べながら、神月さんは初めて表情を緩めた。



「お話するより、体感して頂いたほうが早いかと思いまして」

「はい…?」

「私の仕事ですよ」



どうぞ、と差し延べられた手に促され、さっきから鼻孔をほどよくくすぐるコーヒーに口を付けた。

ブラックコーヒー。その名の通り漆黒に揺らめいて、けれどどこか優しい色。

じわじわと味の広がる咥内から、ふんわり鼻に抜ける緩やかな風味に胸が温かくなった。



「美味しい…すごく」

「よろしければクッキーも」

「はい、頂きますっ」



続けて口に運んだクッキーもまた美味しくて、甘味と苦味の絶妙なバランスに頬が緩む。

一通り味わってから、ここに来た本業を思い出して恥ずかしくなった。

それほどまで、心を潤すほのかな甘さに囚われていた。




「あの、素晴らしいお仕事ですね!」

「ありがとうございます」

「それで、えっと…」

「取材はお断りです」

「やっぱり…」



私が肩を落とすと、神月さんはくつくつと笑った。

何が可笑しいのか問うより先に、その笑顔から目が離れない。

笑われた原因より、笑っている神月さんをもっと知りたい…なんて。

(私、どうしたの急に?)



「すみません、笑ったりして失礼でした」

「いえ、別に…どうかなさいました?」

「あまりにも分かりやすく落胆されたので、つい」

「あ…」

「気が緩みました?」

「すみません、美味しいものを頂いたら…」



慌てて繕うと、優しく下がった目が私を見ていた。

張り詰めた糸に似た緊張感、肩の凝るお固い仕事のやり取りは角砂糖のように溶けて

ドキドキと進行していく胸の動悸に、神月さんの存在感が広がっていく。



「私、と言うか、俺たちの仕事はお客様に心休まる空間を提供することと、そのお手伝いをすることです」

「…はい」

「取材の件は、それを考慮して頂けると有り難いです」

「分かりました…」



私が頷くと、神月さんは穏やかに微笑んだ。

私もなんだか嬉しくなって、仕事に対する情熱に負けたのだ、と心の中で言い訳を模索する自分がいる。



「私、失礼します。そろそろ会社に戻らないと」

「途中まで送りますよ」

「大丈夫です。あの、本当に素敵なお仕事ですね」

「ありがとうございます」

「また…いえ、」


――また来てもいいですか?


続く言葉を飲み込んで、代わりに深々とお辞儀した。

冷たい木枯らしが火照った顔に当たり、寒いと云うより気持ちいい。



「お待ちしてますよ」

「え、」

「今度は是非、俺のお勧めを召し上がって下さい」

「あ、はい!」



震える胸とは裏腹に、ハッキリとした返事が冬晴れの空に吸い込まれた。






糖度120%の加速度運動

(俺のことはイズモで構いませんよ)

(イズモ、さん…)

(それから、個人的な取材なら大歓迎)






fin
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糖度120%の加速度運動
神月イヅモ

2009.01.17 jin
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