パヴェ・オ・カラメルに墜ちる
甘いもの、実は苦手。
食べ物も、言葉も、なにもかも。
甘ったるい食べ物を食べると、決まって後で気分が悪くなる。
甘過ぎる台詞には、(いやな意味で)鳥肌が立つ。
甘いマスクの男には、騙されそうで嫌悪感が先に立ってしまう。
女の子らしいファッションは、媚びているようで嫌い。
いつも男みたいな恰好してるよね。なに、隙を見せるのがイヤなの?そんな風によく問われるけれど、そういう意識はなくて。
ただシャープなものが好きなだけ。
甘いものより辛い物が好き。
ただ、それだけ。
「いらっしゃいませ」
彼は、ちょうどいい声で私に近付く。
甘くはない、でも、鼓膜の奥に残る声。
いつも私を案内してくれるのは彼、と決まっている(奈良さん、というらしい)。
「本日も、いつものでよろしいですか?」
嫌みも媚びもない気遣いに、私はただ頷くだけで良い。
「お待たせいたしました」
深くローストしたコーヒーの薫りに、ホッとする。
甘いものは、周囲の到る所から漂うスイーツの仄かな香りだけで充分。
なのになぜ、私はここへ通うんだろう。ひとりで。
席に座り今日も本を開く。
ぱらぱらとページを捲っていると、その内、世界に引き込まれる。
この店は、賑やかなようでいて、ゆるく区切られた空間がちゃんとパーソナルスペースを確保してくれるような作りになっている。
きっと、そんな所が好きなんだ。と、考えが浮かんで顔を上げた。
見渡せば、なんとなく店内で客層のカテゴライズがされていて。
ギャルソン目当ての浮ついた女性たちの固まる席からは隔絶された場所に、いつも自分が案内されていることに、はじめて気が付いた。
これは、偶然だろうか。
カウンターに座る、ひとりの女性客。きっとギャルソン目当てなのだろうけれど、ものしずかなタイプの女性たちはそこに居て。
いわゆるミーハーな女性たちはそこからすこし離れた、ショーケース近く。一番よくギャルソンが行き交う辺り。
彼らに興味はなく、でもケーキを味わいたいと訪れる人達の場所は、更に離れた店の奥。店内に流れる音楽が静かに響く席。
そして
私みたいに落ち着いた場を堪能したいタイプは、音響設備の反対側の店奥か窓際。
偶然にしては、出来過ぎている。
でも、だからこそ、この店は居心地が良くて。だから、ついつい足を運んでしまうのだ、と思った。
空になったコーヒーカップをソーサーに戻し、出されたミネラルウォーターに口を付ける。
バカラのグラスは相変わらず口触りが良い。
「お代わり、お持ちしましょうか?」
最適のタイミングで掛けられる声。また、彼だ。
「お願いします」
「畏まりました」
涼やかな笑みは、決して甘ったるくはないのに、何故か心の奥が溶けるような不思議な感じ。
手に持った本をパタリと閉じて、立ち去る彼の背を見つめようという気になったのが、自分でも不可解だ。
踵を返して戻ってきた彼が、コーヒーと一緒に、テーブルへ置いた皿。
真っ白いプレートの上、抑えた色調の、でも、見た目には美味しそうなケーキがひとつ。
「なんですか?」
「新作の試食、お願いできませんか」
「甘いものは苦手で」
「存じております」
「じゃあ、」
何故?と、問い返そうとしたら、耳元に注がれる掠れ声。
(あなたのような方にこそ、食べて欲しいケーキです)
(……?)
「ブルターニュ産の有塩バターをたっぷり使用しておりますので、」
「そんなに甘くはないってことですか」
頷く彼を見上げ、半信半疑のまま渡されたフォークでカットする。
パリパリのキャラメルがさくり、ちいさな音を立てて。ひとくち口に入れたら、濃厚なビスキュイ生地と塩気のあるキャラメルムースが、口内で絶妙のハーモニー。
「おいしい…」
「よかった」
「本当に、ちょうどいい甘さです」
「次からは"いつもの"に、こちらのケーキを追加しておきますね」
「……はい」
ふたたび踵を返した背中を見上げながら、もしかしたら"体よく営業されちゃっただけかもしれない"と思ったけれど、不思議と腹は立たなかった。
「ちなみに、」
「はい?」
「お代は結構ですので」
「………でも、それじゃ」
奈良さんがお困りなんじゃ?踵を返した彼に無言で問いかければ、奈良さんは振り返って鮮やかに笑う。
その顔がびっくりするくらい不敵だから、思わず息をのむ。
背筋を伸ばした立ち姿と、耳朶に光るピアスから目が離せなくなる。
「その代り、毎日来て頂けますか」
「……なぜ」
ふっ。ちいさな笑い声が彼の薄い唇を介してもれる。
鋭い黒眼はほんの少しだけ弛んでいる。
な…に……?
唇の端をいびつに歪めて、紡がれる低い声の響きに
……陥落――
パヴェ・オ・カラメルに墜ちる(俺が会いてぇからに決まってんだろ?)- - - - - - - - - - -
2009.01.16 mims