変人変態変化球
ざわり、空間が歪む。
音の波動が具現化したような尖ったノイズ。つややかな黒髪が風に掬われて、はらり、揺れる。きれいだ。
自分でも不思議になる。檜佐木先輩には呆れることばかりで、エロくて、マヌケで、なんてヒトなんだろうと思うのに。
その姿を一目見れば、また、うっとりしてしまうのだ。あの声を聞けば、背筋がざわざわする。条件反射みたいに。
バカなオトコだなと呆れつつ、その彼にうっかり毎回やられている私のほうが、先輩よりもずっとバカなのかもしれない。
「刈れ、風死」
低い声が空気を裂く。びりびりと肌が痛いほどの霊圧。なんど見ても、ぞくぞくする。
ぞくぞく、する――
周りからは、女性死神たちの黄色い声があがる。檜佐木副隊長の鋭い瞳が、いつもよりも鋭く研ぎ澄まされる。視線だけで、胸を砕くように。
二の腕に浮かぶきれいな筋肉のラインも、端正な顔を縦に走る三本の傷痕も、まるで意図的な演出のように見える。
ぞくぞくする。
ほんとに、ぞくぞく――って。
なにをやってるんですか、檜佐木先輩?ここ、ただの修練場。相手は阿散井くんだし、そんなに本気出してる意味がわからないんですけど。いや、真剣な鍛練が死神にとって欠かせないことなのはもちろん知っていますが、これは、なんというか。すこし、違いますよね?
「吠えろ、蛇尾丸……つうか、センパイなんすか急に」
「黙れ、恋次」
「ったく、本気すか?疲れんなァ。まじで」
「真剣にやれ、死ぬぞ」
「はいはい」
「俺の風死は、命を刈ることだけを目的とした斬魄刀なんだから」
ためいきをつく阿散井くんの向こう、檜佐木さんの瞳が私を捉える。奇妙な形に歪む眦、ほのかに染まる頬。
もしかして、尖った姿はホントに意図的な演出だったんじゃないか、と思った。だっていまの彼の表情、ちょっと厭らしい。ギャラリー狙いの意識がまる見えに思えるのは気のせいだろうか。
いまの俺ってイケてるぜ。そんな先輩の声が聞こえた気がした。
風死の唸りに混じる鎖の音。眉間に浮かぶシワ。さっきの一瞬の表情さえ見逃していれば、素直にカッコイイと認めたかもしれない。けれど。
「なんか良く分かんねえけど、手加減しねえっすよ」
「望むところだ」
彼の見え透いた下心が読めてしまったら、盛大なため息がこぼれた。
黄色い声が上がるたび、先輩の視線が泳ぐ。その歓声の何割かは、純粋な好意というよりも、阿散井くんと檜佐木先輩の例の噂によるもののようで。
「やっぱり、あの噂ってホントなのかな?」
「そうなんじゃないの」
「だからわざわざこうして一緒に修練してるんでしょう、彼ら」
「副隊長同士の、稽古をカムフラージュにした甘いじゃれあい?」
「キャー!」
聞こえてくる会話は、予想通り。やはり、ふたりは完璧に誤解されている。こういう噂は、案外あっという間に広がってしまうものなのだ。娯楽の少ない瀞霊廷内では、とくに。
そのことに彼は、まだ全く気付いてないんだろうか。鈍いにも程がある。キャー!という声で、顕著にやる気を出しているらしい檜佐木さんが、不憫だ。
近くで刃物同士のぶつかり合う、鋭い音が響く。舞い上がる土煙り。周囲を震わす霊圧と真剣な表情は、単純に綺麗だとも思えるけれど。
「またあやつらか」
「朽木隊長」
「こんな所で睦言のように。少しは自重出来ぬのか」
無表情のまま、隊長の声がいつもより呆れて響く。一度思い込むとなかなか考えを変えない頑固なお方だから、仕方ないのかもしれない。でも、いつまでも誤解され続けていていいとも思えない。
「……隊長」
「なんだ」
「彼らは、ですね」
事実を伝えようとした、その瞬間。一際高い歓声があがり、言葉を中断して、ふたりの方へ向き直る。鎖でぐるぐるに拘束された阿散井くんが、先輩に引き寄せられていた。
「あのようなプレイが好みなのか」
「……ぷれい、って」
「檜佐木は拘束が趣味、と。それにしても雑な縛り方だな」
「あの…朽木隊長」
「なんだ?」
「それはどういう…意味で」
「現世ではたしか、SMプレイなどと呼んでおるのだったかな」
「へ………えええ!?」
「違ったか」
「違いません、いえ、ち、違いますッ」
「どっちだ」
「違わないけど違うんです彼らのは」
ああ、言葉というのはなんて難しいものだろう。今の状況を適切に説明できる言葉を見つけ出せる気が全くしない。
「まあ、どちらでも良い。あやつらに、程々にするよう伝えてくれ」
見ておれぬ、先に隊舎へ戻るぞ。言って背を向けた隊長に、誤解をとく機会を失った。
本来ならば私が気を揉む必要もないし、彼らが勝手にすればいいことだ。誤解なのだから、いつかはとけるだろう。解けるはずだ。そう思うのに、妙な敗北感でいっぱいだ。
「ちょ、タンマ」
「もう…か?」
「センパイ、まじでキツいっすよ」
うんざりした表情の阿散井くんと目が合う。助けてくれとアイコンタクトで伝えて来る彼に近付きながら、私も同じくらいうんざりだ、と思った。むしろ私のほうがうんざりしているのではないか、と。
「檜佐木さん、お取り込み中のところすみません」
「ああ、君か。いたんだ?」
は?さっきバッチリ目が合ったじゃないですか、私のいることに気付いてなかったはずないでしょう。何を今更白々しい台詞を。
呆れる一方で、やっぱり低く嗄れた声はカッコイイと思っている私はバカだ。大バカだ。
「ええ、最初から拝見させて頂いておりました」
「そーなんだ、照れるなあ」
「いえ。素晴らしい闘いで」
白々しい。何よりも自分自身が白々しくて痒くなる。近寄った檜佐木さんの額に滲む汗が、綺麗だと思ってしまう自分は世界中の誰よりもバカだと思う。
「ほら恋次、再開すんぞ」
「再開はちょっとお待ち下さい」
「え?」
驚いた彼の視線が、いつも通りに胸の谷間付近をさ迷っている。やっぱりこの人は、どうしようもなくエロくてマヌケな呆れた人だ、と再確認しながら、同時にそんな所も可愛いと思ってしまった。
「先程、朽木隊長がいらしてたのはご存知でしたか?」
「いや、全然。女の子たちしか目に入ら……っ、と!君しか目に入らなかったから」
「私のいたことには、お気づきじゃなかったのでは?」
「あ゙っ!!!間違った。れ、れ、恋次のことしか俺の目には映んねェからッ!」
そんなにまぎらわしい台詞を大声で叫ぶものだから、ギャラリーからは再び黄色い声があがる。この人は、自分で自分たちの誤解を深めて、一体どういうつもりなんだろう。
「ほら俺たち真剣に絡み合ってたから、そういう時は相手のことしか目に入らねえモンだろ!?」
「センパイ、声デケェっす!」
「だってホントのことだから、俺には恋次しか見えてねえからっ!100%恋次オンリーですからァァァ!!!」
「だから声デケェって。まじ勘弁してくれよ」
案の定、ギャラリーからの黄色い声は熱を帯びる一方だ。本当にこの人は、どこまでアホなんだろう。落ち込んでいる阿散井くんの肩をそっと叩いて、先輩のほうへ向き直る。
「つまりは、朽木隊長がいらしたことにお気づきではなかったんですね」
「ああ。恋次ばっかり見てたから」
「もうイイですって、センパイ」
まだ言うか、この男はと思いつつ、言葉を続ける。
「先程お二人の闘いを見て、また更に誤解を深められたご様子です」
「は!?マジかよそれ、最悪」
「………あのー、誤解…って?」
「お二人の関係を、です」
「と、とにかく俺急いで隊舎戻るわ。センパイすんません、お先っす」
「え…あ、あの」
じゃあわりぃけど詳しくは、お前からセンパイに話してくれ。言い残して走り去る阿散井くんは、顔色が変わっていた。なのに一方の檜佐木先輩は、緊張感の欠片もない顔でまた私の死覇装の合わせ目に釘付け。その二人の温度差が、まさに現状認識の差を表している。どちらかと言えば種を撒いたのは先輩で、阿散井くんは巻き込まれた被害者なのに。
だらし無く緩んだ檜佐木さんの表情を見ていたら、ため息が出るのも仕方ない。
「あいつ、気ィ利かせてくれたのかもな」
「違います!」
「へ?」
「気を利かせたんじゃ絶対ありませんから」
「な…なんか、怒ってる?」
「怒ってません」
「でも、二人きりにさせてくれたんじゃ」
「だから、違いますって」
「やっぱ怒ってんだろ、それとも俺と二人きりになんのはイヤ…とか」
ソレはっきり言われたら落ち込むなあ、俺。かなり落ち込む。瀞霊廷一深いふかい底無し沼の底まで沈むよりもっと落ち込む。はい上がってこれねえ、たぶん。
なにを一人でぶつぶつ言ってるんだか、この人は。底無し沼って底がないから底無しって言うんだし。普通は底無し沼にハマったらはい上がってこれないモンだし。そもそも瀞霊廷内に底無し沼なんてあるのだろうか?
「………」
「あ、れ…黙るのは怒ってるから?」
「怒 っ て ま せ ん !!」
「じゃあ、俺といるのイヤ?」
「嫌…じゃないです」
「マジで!?やった!じゃあ、じゃあさ。俺と――」
ごくり。檜佐木先輩の唾を飲み込む音に顔をあげれば、隣を歩く彼の視線は、やっぱりいつもの位置に遠慮もなく注がれていた。いくら上から覗きこんでも、これ以上谷間の奥は見えないっていい加減学習しろよエロ男。
瀞霊廷内に底無し沼があるのならいっそ沈んでしまえ、沈んで少し頭を冷やせばイイ。この女の胸にしか興味のない万年発情期男め。
「嫌じゃないですけど、」
「けど?」
「思いっきり呆れてるだけです」
これまでの人生で最大級ってくらいに、呆れてるだけですから気にしないで下さい。
「がーーーん」
「なんですかその絵に描いたような効果音は」
「だって、俺の……俺の神の谷間が」
そう言って胸元に顔を近づけようとする彼の行為は、本当に無意識なんだろうか。
「どうせ、どうせキミにはっきり振られて落ち込むんなら、瀞霊廷一深い底無し沼の底まで沈むんじゃなくて、」
その白くやわらかい胸に溺れたい。思う存分ぱふぱふしてから死にたい。
ちょうど近くに現れた池は、庭師の手によるただの造りもので、底だってたいして深くないことはわかっていたけど、もうそんなことはどうでも良かった。
「ッ!サイテー」
今にも胸に触れそうな鼻先を力いっぱい突き飛ばしたら、冬空にあがる盛大な水飛沫。
「つっ、冷てェェェェェ!!!」
ええ、冷たいでしょうね。わかっててやりましたから。第一はっきり振られるもなにも、私まだ告白すらされてないんですけど。というか朽木隊長や瀞霊廷中の誤解をとくほうが先じゃないんですか、あなたは。それに振られたぐらいで死ぬと言うのは本気じゃないんでしょうけど、仮にも護廷十三隊の副隊長として有り得ない発言しないでくださいっ。惚れてる自分が悲しくなる。
情けない表情で立ち上がった水も滴るイイ男に向かって、思いきり顔を顰めた。
「なんか俺…風邪ひいて死にそう。これが本気のカゼシニって、な」
――オヤジかよ…。
檜佐木さんとのマトモな恋愛は、前途多難のようです。
変人変態変化球あれ?俺、結局まだまともに彼女に告白できてねえんじゃ……"たまにはカッコイイ所を見せて一気に落としちゃおう作戦"も、もしかして失敗?
「センパイ…わりぃけど、このままじゃ多分一生ムリっす」
「………うっそーん」
fin
2009.12.05
おつきあいありがとうございました。
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