「…話を聞こうか」

 長い沈黙の末。
 響いた低い声は、圧倒的な存在感に溢れている。
 テーブルに両肘を突き、顔の前で組まれていた手はきっと彼の頑なさの象徴で。
 その両手をゆっくりと解かれた瞬間に、何故かお父さんに殴られるんじゃないかという錯覚に陥りそうになった。


「林檎さんとは、」

 ソファへ深く背中を沈めたのは、語り始めた俺の言葉に耳を傾ける意志がある、ということだろうか。
 彼から視線を外さないことに思わぬ労力を強いられながら、告げる事実の言い回しに細心の注意を払う。

 夏の終わり。エアコンディションされた涼しい室内にも関わらず、シカマルの背筋を汗が伝った。




-scene25 波乱含み-






「林檎さんとは、現在の彼女の出向先で同じプロジェクトに携わっておりまして」

 目の前で低い咳払いが聞こえるのは、一種の牽制だろうか。それとも、言葉の先を促す意味合いだろうか。

「将来、一緒になることを前提にお付き合いさせて頂いております」
「………」

 お父さんからは相槌もなく、代わりに値踏みするような視線が俺に注がれる。

 つうか、まじ勘弁。
 なんでこの状況で俺とお父さんをふたりきりにするかな、林檎も。彼女のことだから、きっと悪気はないと分かっているけれども。
 それとも長年一緒に暮らしてきた父親の性格を分かった上で、男同士のほうが話をしやすいと判断しての退席なんだろうか。

 彼女はともかくとして、母親が娘の退席を止めなかった、というのは、そういうことなのかも知れない(って、生涯を共に暮らそうという相手よりも、その母親の方を信頼しているみてえだけど。そこはまあ、それってことで)。


「………それで?」

 彼は、同じ親とは言っても、うちの親父とは全くタイプが違うらしい。
 口数が少なく、余計なことを言わないがゆえに、時折発される短い台詞は否応なく重みが増す。
 もしかしたら、うちの親父も娘がいれば今の彼のような態度を取るんだろうか。いや、有り得ねえな。まあ、黙ってりゃ強面に見えなくもないけど。

「はい。実は、ご報告があとになりましたが」

 いったん言葉を切って、ごくりと唾を飲み下す。鋭い視線は、揺らがずにまっすぐに俺をとらえている。

「 先日より、同じ屋根の下で生活を共にさせて頂いておりまして」
「………」

 言葉もないまま、お父さんの眉間の皺が深くなる。
 もともと大柄な彼だけに、そのしかめっ面にはかなりの迫力があって。無言の責め苦が本気で恐怖感を煽る。

「誠に勝手なことは充分に承知の上なのですが、」

 ふたたび言葉を切って、鋭い瞳をもう一度しっかりと見据えた。

 勝手なことだと分かっているのなら、口に出さなければいいだろう。別にそんな報告、私は聞きたくないんだよ。視線だけで俺の言葉を止めてしまうような厳しい双眸。

 生まれてきて一番の緊張を保ったまま、無言の攻防が続く。

 性急過ぎただろうか、もうすこし世間話で空気を和ませたあとに切り出すべきだったのかもしれない。
 俺が彼女のことを愛おしいと思ってきた何十倍もの期間、彼は娘を最愛のものとして愛して来たのだから。
 だけど、
 ここまで口に出しておきながら今更会話の流れを変えるなんて、到底無理な話で。だとしたら、このまま言葉を続けるしかない訳で。

 すっと息を吸い込むと、ゆっくり吐き出す。
 頼りなく揺れながら口から漏れる気体に、緊張の成分が溶け出して、俺のなかから少しでもその濃度を下げてくれればいいと願いながら。


「娘さんと、」

 外から蝉の鳴き声が忍び込む。
 ちいさく流れているクラッシック音楽は男二人の心をそのまま映したように、転調を繰り返し、ボリュームを徐々に上げながらクライマックスに近付いていた。
 聴こえてくる旋律にまで緊迫感を煽られている俺と、僅かに視線を下にずらしたまま全く動かない彼。
 ふたりの内、果たしてどっちが苦しいんだろう。大切なものを手に入れようとしている男と、大切なものを失いかけている男。
 考えなくても、より苦しいのはどちらなのかなんて分かり切っているじゃないか。だったらいま一番必要なのは、より苦しい者の感情を和らげ、かつ、筋を通すための誠実な言葉でしかあり得ない。


「……続けなさい」

 彼の低い声が、部屋に響くのと同時に流れていた音楽はフィナーレを迎え、暫しの静寂の後にやわらかい序章へとつながる。
 言葉を切った短い時間で浮かんできた思考は、ためらっている俺の背中を押すのに十分だった。

「はい」

 相槌にこもった感情で、お父さんはゆっくりと重たい顔を上げる。悲しみと厳しさを湛えた知的な双眸が、ふたたびじっと俺を見つめている。
 もう一度いずまいを正し、背筋をしゃんと伸ばすと、彼の瞳を真っ直ぐに見詰めたままごくりと唾液を嚥下して。渇ききった咽喉から、言葉を紡ぐ準備。
 膝の上で組んだ拳のなかでは、じわりと浮かんだ汗が湿った感触を伝えている。

「………」
「娘さんと、共に歩む未来をお許し下さい。ふたりで幸せな未来を築きたいと思っております」

 一気に紡いだ自分の台詞に、頭が真っ白になりそうな気分のまま、向かい合う厳しい顔を見つめる。

 なんと言う返事が返ってくるのだろう。
 たとえ、それが肯定の返事だろうが否定だろうが、俺の気持ちは変わらないのだけれど。でも、出来れば大切な女性の大切な人にも、きちんと認められたいと思うのが本音で。
 ちいさく震える彼の唇が、今にも開きそうな瞬間。緊張の糸をぷつりと切るような物音が、ドアの向こうから響いた。







 ――コン、コン。

「入るね…」

 控え目な、それでいて場の空気を一転させるような林檎のやわらかい声。
 と、同時に音もなく開いたドアの隙間からは、俺たちのこれまでの緊張感とは対極にあるような明るい表情の彼女が顔を覗かせた。
 片手にお茶の乗ったトレイを持つ姿に、無意識で立ち上がるとドアを支える。

「ありがとう、シカマル」
「いや」

 何気ない彼女の台詞に答えながら、ちらと横目の端で捉えた彼は、眉間の皺を僅かに深めていた。




 持ってきたティーカップを各々の前へ差し出す彼女の動きには、緊張の欠片も見えない。
 ここが自宅で、父親の性格も知り尽くしているのなら、それが当然なのかもしれないけれど、さっきまでの自分の焦燥感とはなんて大きな違いだろう。

 でも、確かに"こうする"と決めた時の彼女は、周りの入力刺激にもまったくなびかない所があって。その揺らがない意志と、いつものやわらかい空気感が同居しているところも、林檎の魅力のひとつなんだろうなあ、なんて改めて思い知らされる。

 つうか、こんなことを思い浮かべる余裕がある辺り、俺も自分の言わなきゃならねえことを口に出して、やっぱりホッとしてるんだろう。安易だけど。しかも、肝心の親父さんの返事はまだ聞けてねえし。

「ところで、」

 当然のように俺の隣へ腰を下ろしながら林檎は、その場の空気を探るように会話を途中で止めて。少しだけ顔を近づけると、かざした掌の影で、俺だけに小さな問いかけ。

(大事な話は終わった?)
(……一応、俺の方は)
(そう。やっぱり私が居ない方が良かったでしょう?)
(さあ、な。まだ返事貰ってねえけど)

 驚いたように眼を見開いた林檎は、視線を父親の方へ向けて。

「お父さん」
「ん……」
「こういうことは、本人同士の意志が大切だよね」
「……」
「いつも、お父さんそう言ってるじゃない」

 父親に向かって喋るのにはすこし強すぎる口調は、いつもの彼女らしくないけれど、それが俺との未来を真剣に考えてくれてる証しだと思えばただ嬉しい。

「私だって、頭から反対するつもりはないよ」
 親としては、子供の幸せをこそ一番に願うものだからね。

 低く重々しく響いている彼の声。これは、結婚に対する肯定と受け取っていいんだろうか。
 ほんのすこしだけ薄らいだ眉間の皺に、今後の会話の流れをシミュレートしている俺の隣で、唐突な林檎の声が響いた。

「じゃあ、予定通りに来週入籍しても良いのね?」
「……っ!?」

 ちょ、ちょっと待て林檎。まだ、その話は切り出してねえって。デリケートな話なんだから順を追って、と思ってたのに。
 飲みかけのカップをソーサーに下ろす彼の手が震えている。驚きだろうか、それとも怒りが理由だろうか。

「同居を機に、さっさと入籍しようと思って」
 もう婚姻届も用意してあるの。良かった、お父さんが反対じゃなくて。

 何事もなかったようにカップを口に運びながら、林檎はにこにこと微笑んでいる。その隣で、父親の動向を探りながら固まっている俺。
 この流れですんなり受け入れられるのなら、俺の想定とは多少(いや、かなり?)違ったけれどそれでもイイかと思った。けれど。

「そんな話は聞いてないぞ!」

 やっぱり『そうは問屋がおろさねえ』って、な。
 隣の彼女はいつになく顔を顰めている。
 向かいの彼は怒りを抑えようと膝の上で拳を握りしめている。
 流れる音楽はふたたびテンポを上げて、いくつめかの山場を迎えていた。

「お父さん。子供の幸せを願うって、いま言ったばかりじゃない」
「……それとこれとは、話がまた別だろう」
「そんなことないでしょう?」
「物事には順序と言うものがあるんだ」

 お父さんの言葉は、尤もだとシカマルも思う。たしかに彼女の会話の切り出し方は唐突過ぎた。それに、おそらく彼の言う所の順序というのは、一般的な結婚に至る経緯を差しているのだろうとの予想もついた。
 ご挨拶・結納・挙式・入籍・同居という一般的な流れを、完璧に無視する形になっちまってるのは確かだから、彼の言葉への反論は容易には出来ない、と思った。ちょっと、策を練って説明しねえとまずいのかもしれねえな。

「ところで、奈良くん」
「はい」
「お式は?」

 頭のなかで考え始めたばかりの事象を、直球で問いかけられれば、練らないままに言葉を吐き出すしか無くて。
 というよりも、お父さんの重たい声は、"一緒にいられればそれで良いから式なんて意味がない"などという本音を、全く受け入れない圧力に溢れていたから。

「お式もしない内は、認める訳にはいかないよ」
「式は……身内だけでこじんまりと行いたいと思っております」
「え?シカマル…」

 林檎の言葉を遮って、先を続ける俺には、注がれる鋭い視線が4つ。
 お前には後で説明すっから。今は黙っててくれと目線だけで訴えて。かるく頷いた林檎と共に、お父さんの方へ向き直った。

「後先は逆になってしまいますが、入籍後に行うつもりです」
 なので、入籍の件 お許し頂けませんでしょうか。宜しくお願いします。

 返事は返ってこなかったけれど、彼女と揃って深く頭を下げると、向かいからは諦めたような細いため息が聞こえて。
 ほどなくして、再びノックの音が響いた。







 ドアを隔てて暫く会話の流れを見守っていた私の耳に、若いふたりの挨拶の言葉が響いてくる。
 そろそろ入ってもいいかしら。
 タイミングを見計らうようにノックしてドアを開くと、まだ深々とお辞儀をしたままのふたりと、泣きそうな顔をしている貴方の姿が飛び込んできた(まったく、いつまで経っても娘離れが出来ないんだから)。

「無事にお話は終わったみたいね」
「まだ、私は認めてなどいない」
「お父さん!!」
 そんなこと言われても、私は考えを変える気なんてないからね。

 だからやっぱり、お父さんには事後報告で良いって言ったのに。
 ため息を吐きながらお父さんの横に腰を下ろすと、そっと肩に手を添える。

(意地張らないで下さいよ、お父さん)
(……だが、)
(黙ってことを進めちゃいなさいって私は言ったのに、彼はそうしなかったんですよ?)
(そう、なのか?)


 深く頷いて、力なく落とされた大きな肩を二、三度ぽんぽんとあやすように叩く。
 後で貴方の愚痴はたっぷり聞いてあげますから。今はほら、向かいで所在無げにしている彼の気持ちを、すこしでも汲んであげましょう?

「入籍くらい、快く認めてあげてください」
「だが、余りに急じゃないか。やっぱり…」
「お父さんって、そんなに分からず屋だった?私の幸せを願ってくれるんじゃないの?」

 娘が愛しい気持ちと、娘の幸せを願う気持ちは、重なっているようでいて、微妙にずれているものなのかもしれない。
 その差異は曖昧で、言葉ではうまく説明できないもので。
 おそらく、母親の感情と父親の感情というのも、きっと違うのだろうと思う。
 だけど、親の私たちが一生娘の面倒を見て、彼女を幸せにしてあげられる訳ではないと、本当は貴方だって分かっているんでしょう?

「そうですよ。林檎には奈良さんくらいしっかりした方じゃないと」
「お母さん、それってどういう意味」
「言葉通りの意味よ。あんたはどこか抜けてる所があるから」
「……とにかく、式をしない内は認める気はないからな」
 それだけは譲らんぞ。

 いつもの理論派ぶりを、娘に対する感情へ持ち込めない所は、人間らしくて好きですけどね。
 結婚式をすることが幸せだなんて、そんな陳腐なことを貴方が思っている訳ではないと、分かっていますから。
 だから、今はひとまず、ふたりを祝福してあげましょうよ。








 親子の会話に口を挟めずに、黙ったままその行方を見守る。俺の前では、賑やかに会話が繰り広げられている。
 さっきまで威圧感に溢れていたお父さんからは、すこし気の抜けた空気が漂っていて、事の顛末がどうなるのかはまだ分からないけれど、ひとまずはホッとしてもいいんだろうか。

「とにかく、奈良さん」
「はい」
「こんなふつつかな娘ですけれど、改めて宜しくお願いしますね」
「ええ、勿論です」
「式の件は、ふたりの思うようになさい。この人のことは私が説得しますから」

 俺は認めない。と繰り返しているお父さんの姿を見ながら、俺の中ではやっぱり式くらいしておくべきなんだろうなという方向に考えがシフトしていて。
 つい昨日、サスケの式の後で「俺は別に式なんてしたくねぇっすけど。めんどくせーし」と漏らした自分の言葉が、あまりにも鮮やかに転換を見せている。それが不思議だった。

 奈良さんと一緒に居られれば、それだけで。形式的なことはどうでも良い。と言っていた彼女だから、俺が式をしようと言えばそれに反対するはずなどないだろうし。

「式は、やっぱりやりたいと思います」
「じゃあ、入籍日をずらすの?」
「いや、出来れば籍は予定通り来週入れて。式はその後で」
 彼女の建築士の製図試験も迫っていますので、それが落ち着いた頃にと。どう?

「うん。私もそれでいい」

 予想通りの笑顔の返答に、ホッとした。
 心なしか林檎の表情が和らいで見えるのは、彼女の中にもしかしたら式をしたいという要求が潜んでいたからなのかもしれない。

「さあ。じゃあお話も一段落した所で、食事にしましょうか」
 お寿司、とってありますから。下の子もそろそろ帰ってくる頃だし。

 俄かにざわめきを増した室内で、そっとお父さんの顔を窺う。
 まだ腹の底に何かを潜めたような腑に落ちない視線。それに一瞬だけ捕まったかと思ったら、するり、何事もなかったように空へ移る。

 完璧に安心はしねえ方がいいのかもしれねえな――







 顔合わせもご挨拶も滞りなく済んで、食事の場では弟が案外話を盛り上げてくれたせいで笑いに満ちていた。
 本当はシカマルと一緒に帰宅するつもりだったのに、どうしても話があるから一人で残れと主張するお父さんの勢いに負けてしまったのは、言い争っている最中のお父さんの涙目が印象に残っていたからなのかもしれない。
 いつになく今日のお父さんは口数が少なくて、それもきっと、口を開いたら文句を言ってしまいそうだから必死に耐えていたのだろう。そう思ったら、すこしぐらいは彼の我儘を聞いてあげるのも娘の勤めだと素直に思えたから。

「じゃあ、悪いけどシカマルは先に帰ってて」
「ああ。実家に昨日の礼服を置きに帰ってから、マンション戻るわ」
「今日はありがとう。気をつけてね」

 門までシカマルを見送って、家のなかに戻る。
 いったい、なんの話があるというんだろう。今更、やっぱり認めないなんて言われても、私は考えを変える気なんて全くないけど。
 訝しみながら父親のいる部屋へ戻ると、苦虫を噛み潰したような顔で見つめられて。

「話って何?明日も仕事早いんだから、手短にね」
「ああ、そんなに時間はかからない」
 これを見ろ。と、机の上に無造作に置かれた封筒。なんだ、シカマルに関係する話じゃなくて、仕事のこととか?
 深く考えもせずに手に取った封筒から、中身を引っ張り出す。

「今週の土曜日、時間をあけておけ」
「え?」

 開いた硬い紙片には、妙齢の男性の写真。添えられた釣書の文字なんて、まったく目に入らなくて。

「うちの社長からの直々のお話だ」
「……見合い、しろっていうの?」
「今週末ならまだ入籍前だろう」

 たった今、婚約者を紹介したばかりの娘に対して、しらじらしくそんな言葉を掛ける父親に、無性に腹が立った。
 すこしぐらいは親の我儘を聞いてあげるのも娘の勤め、なんて殊勝な事を考えた自分に、なんて仕打ちをするんだろう。

「お父さん、本気?」
「……」
「どうしても話を進めようとするのなら、」
「………」


「私、明日にでも直接相手方へお話しに行きます」

 今更こんな話を持ち出したのは、きっとお父さんだって本気じゃないって分かってるし、あまりに急な展開に驚かせてしまったことは仕方無いと思うけれど。でも、それだけは受け入れられない。

 どうしても――







 数日ぶりの実家に帰ると、相変わらずニヤニヤ笑いの親父に迎えられた。ここん所、毎回そうだから慣れちまったけど。

「なんだぁ、今頃。オメェひとりか」
「礼服置きに帰って来ただけだからな」
「奈良家の嫁は一緒じゃねえのか、」
「まだ嫁じゃねえっつうの」

 鴨居にハンガーを引っ掛けて、居間に腰を下ろせば、最適のタイミングで母ちゃんがお茶を煎れてくれる。

「私も、林檎ちゃんに久しぶりに会いたかったわ」
「そのうちな」
「まだ嫁じゃないって、入籍したんじゃないの?」
「おいおい、どうなってんだ。もしかして、逃げられたか?」
「ちげえって。まだ林檎の親父さんにご挨拶済ませてなかったから」
「さっさとやっちゃいなさいって言ったでしょう」
「ああ。だから、今日行ってきたって」

 つうか、俺ももうガキじゃねえんだから放っとけよ!と叫びたい気分だったが、母ちゃんを怒らすと後が怖えから、取り敢えずグッと堪えて。目の前に置かれた湯呑を手に取ると、熱いお茶を一口啜った。

「なかなかお許しが出ねえってか。男ならさっさとやっちまえ」

 さっさとやるって何をだよ。

「ご心配なく。一応来週、入籍予定だから」
「先方のお父様、あっさり許して下さったのね」
「いや、そうでもねえ。式をするまでは認めねえって食い下がられて」
 今も林檎だけ実家に残らされてっから、まだどう転ぶか分かんねえけど。

「だったら、私たちがお式を挙げた神社でやっちゃいなさいよ」

 やけに楽しそうに話している母ちゃんを見つめながら、あの一瞬の彼女の親父さんの双眸が頭のなかをぐるぐる回っている。まだ腹の底に何かを潜めたような腑に落ちない視線。
 当たって欲しくない予感ほどよく当たるもので。

 あの一瞬の視線はまさに、その種の良くない予感を引き起こすものだった――
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