初夏の暑すぎない空気のなか、隣を歩く林檎の髪が揺れる。
 ちらり、覗く輝きに目を奪われるのはいつものことなのに、昨日までとは明らかに違う感情が俺の内側を満たしている。

「アポイント、確か3時でしたよね?奈良さん」
「だな。早く着き過ぎちまったか」
「コーヒーでも飲みましょうか」

 そうだな。と頷くと、彼女の表情がふわりと崩れて。雑踏のなか並んで足を進めながら、つい抱き締めたくなった。
 時刻は2時を少し回ったところ。約束に遅れるのは好きじゃないとは言え、これではあまりに早過ぎる。
 抱きしめたい気持ちを明るい陽射しですり替えて、ぽすん、掌で短い髪を乱す。

「じゃ、あそこのスタバで」
「はい」

 短い会話が堪らなく心地イイのは、ふたりの形を社会的に認めさせる意思表示をしたせいだろうか。

「別に今は仕事モードじゃなくてもイイんじゃねぇ?」
「そうだよね、」

 関係なんてなにも変わっていないのに、心のなかに巣食っていた微かな不安は、すっかり掻き消されている。

「今日はいいお天気だから、外で飲むのも気持ち良さそう」
 シカマルの好きな青空だよ。

 頭を俺に委ねたまま、雲を仰ぎ見る林檎の傍に黙っていられること。
 それが、なによりも嬉しい、と 思った――





one's love scene at
Project N vol.2



-scene21 ふたりのカタチ-








「林檎ちゃんも天姫ちゃんも、指輪にこだわりないのかってばよ」
「まあ、ねぇっつうより金属アレルギーだからな」
「天姫ちゃんは指輪どころかピアスも出来ねぇらしいし」

 昼休み。
 ナルトの問いに答えるふたりは、言葉とは違って幸せそうな表情を浮かべている。
 多分、シカマルもキバもカタチには拘らないタイプなんだろう(それは、彼らの婚約者も同様で。だからこそ彼らは上手く行くに違いない)。

 俺は…どうだろう?
 サスケがそう自分に問いかけた所で、ナルトの声が耳に滑り込んだ。

「へえ、じゃサスケは?」
 サスケはどうなんだってば?

 畳みかけるように聞かれて、つい口元が緩む。

「俺は、別に」
「何かスカしてるってばよ」

 いつものサスケだろうが。というシカマルの突っ込みを聞きながら、思い浮かぶのは彼女の顔。
 先週の休みに、一緒に指輪を選びながら瞳を輝かせていた様子が、とても歳上の女性とは思えなくて。
 彼女の喜ぶことなら、なんでもしてあげたいと思った。

「結婚指輪とか、つける気ないのか?」
「多分つけねぇな」
「俺は、天姫ちゃんが着けてくれって言うならつけるかなァ」

 ふたりの答えを聞きながら、自分は着ける(むしろ着けていたい)と、サスケは思う。
 案外俺は融通の効かないタイプなのかもしれない。
 出来るなら、世間一般に言われる段階をきっちり踏んで行きたい。

 彼女とお揃いの指輪を着ける行為に、シカマルやキバとは全然違う意味を見出していることは、わざわざここでいうべきことではないけれど。
 照れ臭さの向こうに、感じるのは充足感。 眼に見えるモノによって、より満たされる感情は一見陳腐かもしれない。
 でも、それが俺と彼女のカタチだ、と思えば、それだけで理由は充分。

「俺は絶対、相手にも着けて欲しいってばよ!!」
「その前に、彼女見つけろって」
「相手もいねぇのに、んなこと考えんの無駄だっつうの」
「結婚指輪の話なんて早すぎるだろ。ウスラトンカチ」

 ナルトの宣言にも似た台詞に、3人で一斉にツッコミを入れながら、この4人で居る空気がすごく心地よくて。
 ふと視線を動かした窓の外には、真夏の透き通るような青空。

「みんな、煩いってば!!」
 その内、めちゃくちゃ可愛い子と付き合ってやるから、驚くなよ。

 真っ白な入道雲を見つめながら、ナルトの賑やかな声に、揃って笑った。







 お互いに彼氏と過ごす時間が増えたせいで、なかなかお泊りが出来ないある週末。
 久しぶりに訪れた親友の部屋には、すこしずつ奈良さんの物が増えていて。それが何となく微笑ましかった。

「最近どうなの?」
「上手く行ってるよ。でも、」

 何気ない私の質問へ、くちごもる林檎に、嫌な予感がした。

「もしかして、うっかり何かバラしちゃった とか?」
「そんなつもりじゃなかったのに、ね」
「すごいいやな予感するんだけど」
「奈良さんってキス上手いんですねって言ったら、」
 誰と比べてんの?って。

 相変わらずの台詞に、頭を抱えたくなった私は間違っていないと思う。

「そう聞かれて、林檎 素直に我愛羅さんって答えたわけじゃないよね」
「まさか。我、までしか言ってないよ」
 なのに奈良さんに気付かれちゃって。

 はぁー………………
 少し俯いて、小さな声で続ける林檎を見ていたら、ためいきしか出なかった。
 我、まで言ったら奈良さんじゃなくても気づくって。

「あれだけ気をつけろって言ったのに」
「天姫とも約束したし、気をつけてたつもりなんだけどごめんね」
 でも、一応奈良さん許してくれた……から…。

 その微妙な間は、なに?何かお仕置きでもされた訳?
 奈良さん、案外嫉妬深いのかな(林檎が相手だと、仕方ないのかも)。
 でもまあ、あんたが反省してるんなら私がとやかく言うことじゃないのはわかっている。ここまでくれば、林檎と奈良さんの問題だしね。

 俯いて頬に掛かる前髪を、何気なく耳に掛ける彼女の仕草は、それほど悪びれてもいなくて。
 奈良さんもこれからまだまだ苦労するんだろうな、と思えば、同情もしたくなる。


「あ。これなの」

 ちょうど晒された耳には、輝きを放つダイヤのピアス。

「きれい!」
「でしょう」
「いいなぁ、エンゲージリング代わりにピアスって、奈良さんもニクい演出するね」
「えーっと…天姫もでしょ?」
 この前犬塚さん、奈良さんにピアスのことを、やけに詳しく聞いてたよ?

 続く林檎の言葉に、首を傾げた。
 金属アレルギーの酷い私は、指輪はおろか、ピアスなんて着けられないのに。

「だって私ピアス無理だよ」
「そうだよね、何でだろ?」
「キバも知ってるハズなのに」
「って、天姫!いま、キバって呼んだ」

 あんたは、いつも鈍いくせに。
 なんでそういうところには敏感に気付くかなぁ。もう、勘弁してよ。

「あ、あのね…だって犬塚さんって呼ぶと返事してくれなくなったから、さ」
 そしたら…キバって呼ぶしかないでしょう?

 上擦った声で反論する私に向って、林檎は嬉しそうな笑み。
 ふふ、そうなんだ。って、その含みのある言い方はなに?

「天姫もやっと犬塚さんを呼び捨てか」
「仕方なくね」
「じゃあ、もしかして遂に?」
「え?遂に、って」
「分かってるくせに」

 それはきっと、アレのことだよね。
 林檎にとっては、好きで付き合えば身体を重ねるのなんて当然のことなのかもしれないけれど。
 私はまだ、簡単に口になんて出来なくて。

「まだ……シてないよ」
「え」
「ただ、」
 次の休みに近場に一泊旅行に行こうって言われたけど。

 何でだろう。
 さっきまで私が鈍感な林檎にお説教をしてたはずなのに、いつの間にか立場が逆転している。

「じゃあその旅先で遂に、なんだ」
 犬塚さんって案外ロマンチストだね…羨ましい。

 ぽつりと呟かれた林檎の言葉に、私を誘った時のキバの嬉しそうな顔が浮かんで来て。自然に顔が綻ぶ。

「奈良さんの方が私にはロマンチストに見えるけど」
「そう?」
「うん。ムード作り上手いでしょ」
「確かにシカマルはムード作るのがすごく上手だけど」
 何で分かるの?

 驚いた表情で問い返されて、本当にこの子は自分に関することにはすごく鈍感なんだなって、苦笑が漏れる。

「なんとなく」
「ぜんぜん分からない」
「フェミニストで優しくて、マナーも心得てるでしょ?」
 絶対下世話なこととか言わない感じがするもん。…林檎もシカマルって呼んでるし。

 やっと反論のネタを見つけたと思ったのに

「私は付き合ってすぐから、シカマルって呼んでるよ」

 かえって来た返事はやけに落ち着いたものだった。

「林檎はその辺は素直だもんね」
 私、どうしても素直になれないトコがあるから。

 そうだった。
 林檎には開き直っているつもりなんてないんだろうけど、自分の言動に恥ずかしさを感じる感覚が欠如している所があって(それが所謂、天然ってことなのかも)。
 彼女にとって「呼び捨てで呼ぶ」のは、恥ずかしいことでも何でもないということなんだろう。

「私から見たら、意地っ張りな所も天姫の魅力なんだけど」

 優しく微笑む林檎の表情に、ついつい本音が漏れる。

「意地っ張りすぎはマズいって自覚はしてるんだけどね」
「天姫か犬塚さんの、どっちかが慣れるしかないかもね」

 こんな風に私を心配をする林檎は、自分も奈良さんに精神的な負担をかけているなんて、まったく気付かないんだろうな。
 それがきっと、彼女の強さで。

 ふわりと私の頭を撫でる林檎の掌の温かさを感じながら、次のお休みはどうなるんだろうと、すでにドキドキしていた。







「そろそろ帰るか」

 夜も更けて、人気のないオフィスには静かな空気が流れている。
 背中合わせの席に座る林檎に声をかけると、やわらかい笑顔が俺を捉えた。

「そうだね」

 いつもの通り、天姫ちゃんを迎えに出て行ったキバを見送ってからは、プロジェクトブースにはふたりきり。
 椅子に座りっぱなしで固まってしまった身体を解すように伸びをして、立ち上がる。

「今日もお前ん家、行くから」
「私は全然構わないけど、偶には帰った方がいいんじゃない?」

 明日は休みだから、彼女はきっとまた持ち帰って自宅で仕事をしようと考えているのだろう。
 バッグに次々と書類を納めながら、やわらかい表情のままで俺を諭すような返事。

 付き合っているからといって、四六時中一緒に居たいと主張する女よりは、いまの彼女くらいの距離感が好ましいけれど。
 唯一ゆっくり過ごせる週末の夜を、ともに過ごしたいとは思ってくれないのかと、なんとなく少しだけ寂しい(多分彼女はそんなに深い意図もなく紡いだ言葉なのだろう)。

「親父も仕事で忙しくて、今週は夫婦揃って留守だからな」
 俺のことなんて、全然気にしてねぇし。

 事実、世間に名を馳せている陶芸家の親父は、この季節になると毎年作品展で全国を転々としているため、留守がちだ。
 母親もそれにお供をしている(何だかんだ言ってて、夫婦仲は悪くねぇんだよな…あのふたり)。
 だから、帰っても食事から何から、一人でやることにすっかり慣れてしまっていた。

「シカマルのお父さまって、陶芸やられてるんだった?」
 陶芸家、奈良シカクって言ったら、有名だもんね。

「一応な」
「じゃあ、シカマルの建築計画におけるセンスって、お父さまからの遺伝なんだ」
 デザインに関する感覚って、先天的なものと環境がモノを言うもんね。

 さあ。と首を捻りながら、帰る支度を進める。
 俺があの親たちから受け継いだものがあるとすれば、自分のことは自分でやるという能力位だ。

「一人だからって、インスタントばっかり食べてちゃダメよ」
「結婚して共働きなら、男も料理くれぇ出来なきゃ夫婦喧嘩の元だぜぇ」

 さらり、ジャケットを羽織りながら、両親の台詞を思い出して、軽く眉間に皺が寄る。
 昔から言われ慣れていた母親の台詞はともかくとして、最近加わった親父の台詞には、どう考えてもからかいの色が隠せない。
 林檎とあの料理屋で会ってから、更に面白がっている様子が腹立たしいというかめんどくせーと言うか。
 プロポーズしたなんて、一言も親父には伝えてねぇのに、"夫婦喧嘩"などという言葉を出してくる所を見ると、何でもお見通しってことか。
 ちょっと癪に障る。

「シカマル、どうしたの?」
 眉間に皺寄ってるよ。なにか嫌なことでも思い出した?

「いや、なんでもねぇ」
「そう」

 不思議そうな表情をしながら、さして興味もない様子が彼女らしい。
 言わなくちゃならないことなら、黙っていても話してくれるだろうという信頼が、その態度には表れていて。それが妙に嬉しかった。



 林檎の腕を取り、そろってEVホールへと向かう。
 薄暗い廊下で手を繋ぎ、明日の休みくらいは俺が飯を作るのも良いかも知れない…なんて、ぼんやりと考えていた。







 土曜の朝の彼女は、いつも寝起きが悪い。
 普段は人よりも早く出勤するせいで、不足している睡眠を補おうとしているのか。
 身体の欲求に素直に、ぐっすりと眠っている彼女を見つめながら、音を立てぬようシカマルはベッドを抜け出した。

 カーテンを引くと、高く上がった太陽が眩しい。
 そう言えば、キバは天姫ちゃんと一泊旅行だとか。晴れて、良かったな。

 浮かんだ笑みはそのままに振り返ると、瞳を閉じた林檎の目蓋に軽く口付ける。
 ちいさく漏れた呻きに、愛おしさが込み上げて。眉間の皺を指でツンとつつく。

 あと数時間でもう正午。今日もブランチだな。

 もう一度彼女の頬にキスをすると、キッチンへと向かった。







「んー…いい匂い」

 眼を擦りながら起きて来た彼女は、すっぴんであどけない表情。少しハネた髪すら可愛い。

「おはよ、シカマル」
「ああ。おはようさん」
 もうすぐ飯出来るから、顔洗って来いよ。

 片手で抱き寄せて額に軽くキスをすると、出来上がったスクランブルエッグを皿に移す。
 トーストにサラダにオニオンスープ、淹れたてのコーヒー。
 一人分ずつ盛りつけてテーブルに運び終えた頃、彼女がリビングに現れた。

「ありがとう。起こしてくれれば良かったのに」
「別に、たいしたもん作ってねぇし」

 簡単な食事にも、林檎の嬉しそうな表情が加われば、なによりも幸せな食卓の完成。

「いただきます」
「っと…その前に、」
「え?」

 驚いてこちらを見た彼女と見つめ合って、食事に口をつける前にキスを一度。
 くしゃりと笑う表情に堪らなくなりそうな気持ちを抑えると、同時にフォークを手に取る。

「天姫たち、楽しんでるかな」
「天気も良いし、きっとキバが張り切り過ぎてはしゃいでんじゃねぇ?」
「そうだね。あ…この卵、すごく美味しい」
 シカマルって料理も上手なんだね。

 卵を炒めるのなんて、料理の内に入らねぇって。と、答えながらも口元が緩む。

「そんな事ないよ。ふんわり加減が絶妙」
 スープも美味しいし。

 猫舌のせいで、少し怯えるようにスープを啜りながら、林檎が言葉を続ける。

「まあ、親父とお袋のお陰かもな」
 インスタント食品なんて使うな、一人でなんでも出来るようになれっつうのが、昔から口癖だったから。

 ことり、音を立ててスープのカップをテーブルへ置くと、林檎の手が俺の方へ伸びて来て。
 頬に掛かる髪に、そっと触れた。

「じゃあ、おふたりに感謝しなくちゃね」
 シカマルをこんな男に育ててくれてありがとうって。

 するり、幾筋か落ちた俺の前髪を耳に掛けながら、幸せそうな笑顔。

「育ててもらったっつうか、勝手に育ったんだけどな」
「またそんなこと言って」

 くくっと咽喉の奥で笑いながら、頬に触れたままの彼女の手を掴んで。
 軽く引き寄せると、もう一度キス。

「その内、親父たちに会いに行くか」
「うん。一度きちんとご挨拶したいな」

 微笑みを浮かべる彼女を見ながら、来週の親父たちの予定ってどうなってたっけと思考を巡らせる。
 確か一旦戻ってきて、今月末までは家にいることになっていたはずだ。

「こうやって通うのもめんどくせぇし、一緒に住んじまう?」
「そうだね」
 たまに、こうしてご飯作ってもらえるのも嬉しいし。

 笑顔の彼女の頭を撫でる。
 あまりにも簡単に承諾された同居の申し出に、困惑していないと言えば嘘になるけど、どうせ今でも週の半分は此処にきているのだから同じことかもしれない。

「冷めねぇ内に食えよ」
「もうすこし冷めた方が食べやすいかも」
 それより、食後ちょっと相談に乗って欲しいことがあるんだけど。

 急に真面目な表情になった彼女の脳内には、もう仕事のことが浮かんでいるんだろうか。
 ああ。と、相槌を打ちながら、すこしだけさっきより張りつめたその顔に、そっと見惚れた。







 満足そうな表情で出勤してきたキバを見れば、よい週末を過ごしたことは明白で。
 彼が口を開く前に、天姫ちゃんとの未来がしっかり固まったのだと、明るい顔が物語っていた。

「犬塚さん、幸せそうな顔ですよね」
「ああ。上手く行ったみてぇだな」
「よかった」

 喫煙ルームのガラス越しに、ガッツポーズを見せるキバへ軽く手を上げる。


「来週末、例の店に予約入れといたから」
「うん。どんな格好で行けば良いかな?」
「いつもどおりで充分」

 ちょっと林檎と顔を見合せて微笑むと、再び手元の図面に揃って視線を落とす。
 爽やかな朝の陽射しが降り注ぐその空間で、俺たちは互いに心から満たされていた。
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