時計に目が行けば、次には時差を計算し、彼が何をしているのか想像する。
今日の昼は同僚達と食事に出ただろうか、それとも女の子と?
今の時間帯は打ち合わせで外に出ているだろうか。
身支度を整えながら、その時差を楽しむ。
窓の外に広がる空は、彼のいる街よりもずっと青く見える。モニタに向かう彼の席から、空は見えるだろうか。
彼の姿を思い浮かべ、届くはずのない祝福の言葉を口にする。呼び慣れない名は、ゆっくりと空に吸い込まれていった。
AIR MAIL
「なんか、今年は静かだね」
コーヒー片手にそっと近づいてきたライドウがアオバに呟く。
「携帯は無視。昼食もケータリング。夕方から打ち合わせで帰社後残業」
それが、ゲンマの本日のスケジュール。
声を抑えたアオバが告げれば、ライドウは驚きを隠さない視線を向けた。
「何、それ。だって今日は、」
続く言葉はアオバが止める。そして、二人それぞれにゲンマに視線を送る。
モニタから視線を動かさずにマウスに添えられた長い指が細かく動いている。片付けられた机の上には必要書類だけ。毎年山のように届けられていた大小の鮮やかなそれらは一つも見当たらない。
「全部引き出しの中。それも事前に断り入れられなかった分だけだから、僅かだよ」
おかげで、今年は静かに仕事が出来る。
アオバは苦笑して手元の書類に視線を落とした。机に腰を預けたライドウは暫くゲンマの後ろ姿を見ていたが、そっと身を屈めアオバに囁く。
「どういう風の吹き回し?」
「本命でも出来たんじゃないの?」
ライドウが声を上げるより先に、ゲンマが振り返る。
「お前らうるせぇ」
しっかり聞こえていたと、皺の寄った眉間が教えてくれる。ライドウはその余りの不機嫌さに一瞬たじろいだが、アオバは涼しい顔を崩さない。
「ゲンマが何も話さないから、推測するしかないだろう」
毎年山のように届いた誕生日プレゼントを断るだけの理由は?
聞かせてくれる?
笑顔を浮かべながら眼鏡の奥の瞳は笑っていないアオバに、ライドウは視線を泳がせ、ゲンマは眉間の皺を深くした。
「今更、誕生日を祝ってもらって喜ぶような歳じゃねぇだろ」
ゲンマはふぅと大きくため息を落とし、もっともらしい言葉を唇に乗せる。
「・・・静かになって喜んでんじゃねぇの」
「誕生日に当の本人がエラク不機嫌だと気になるもんだけど?」
最近、時計を気にして帰社する姿は知っていた。それと気付かなかったのは、その姿が余りに少ないから。
ビル内のスタバでは、顔見知りの女の子達との雑談に余念はないし色男ぶりは健在。しかし、良く見ればそれらの子達と食事や飲みに行く回数はめっきり減っている。
彼女らとは何度も時計を気にする約束なんてする奴じゃない。
そんなことすっかり忘れてたと、アオバは小さな笑みを落とす。
§
ライドウが席に戻ればアオバは静かに笑みを隠す。ライドウに聞かせる気がない話なのは明白だ。一体こいつ何処まで気付いてやがる。
「・・・あの子だろ?」
例の物件の。
添えられた言葉に、胸の奥がじり、と焼けるような感覚。
返す言葉は出て来ない。視線だけが何故、と問いていた。アオバがそれを見過ごすはずはなく、言葉を次ぐ。
「自分では気付いてないだろうけど、ゲンマはあの手のタイプには弱いからね」
ゲンマ見ても顔色一つ変えない子なんてめったにいないから。
初回の打ち合わせに同席しただけだよな、お前は。
「・・・ったく、良くみてやがる」
「お前見てればわかる」
ライドウは気付かなくてもね。
「彼氏の誕生日でも仕事優先するよね、彼女なら」
「・・・ばぁか、“彼氏”じゃねぇよ」
ゲンマの言葉に困惑の表情を浮かべたアオバを置き去りにして、喫煙室で今日何本目かのタバコに火をつける。
一口目を深く吸い込み、ゆっくり吐き出した煙は細い紫煙を揺らめかせて排気口に吸い込まれていく。
無意識に開いた携帯電話の未読メールの差出人に彼女の名前はない。
「って、誕生日だって事すら知らねぇよな」
食事を共にしたのは数回。プライベートの携帯番号、メールアドレスだって交換したのは2回目の食事でだった。本社の時間に合わせて残業する彼女に、上手く連絡を取るタイミングはまだ知らない。
忙しい中、時間を作ってくれているのだから、嫌われてはいないと思う。
一人暮らしだとか、どの路線を使っているとかは話の端々で知っても、住んでいる街までは知らない。纏わりつく女達が、関心を引くためにする事を彼女はしない。
必要なら話すし、そうでなければ話さない。彼女のスタンスは明確だ。
会話に混じる小さな悪戯と、甘えを含まない小気味良い会話は予想以上だった。彼女の隣は、居心地が良すぎるとまで思う。
だから、動けなくなる。
「さぁ、どうすっかな・・・」
一人の喫煙室に言葉が落ちて煙と同じように消た後、ガラスのドアからアオバ入ってきた。
手渡されたのは、白い封筒。スタンプは海外のものだ。
「宛名が消えかかってて、ゲンマ宛てだって気付くのが遅れたって」
今、持ってきたよ。
早く仕事に戻れと言う背中に礼を言って、消えかかった宛名書きを見る。
仕事で散々見たのと違って見えるのは、全て英語で書かれているからだろう。彼女愛用の万年筆で書かれたとわかるのは、目に馴染んだそのインクの色。
中には二つ折りのカードが一枚。そっと開けば白地の真ん中に、ブルーブラックのインクが綺麗に踊っていた。
「Happy Birthday,GENMA」
カードの向こうに広がる夏空は、彼女が滞在する街に続いている。高層ビルから見る空に彼女の笑顔が浮べば、先ほどまで感じていた焦燥感は影を潜めてしまう。
何を、どんだけ知ってんだよ
きっと彼女は答えないから、問いかけはしない。
自分が測りかねている距離を、カード一枚で容易く縮める彼女の真意を探ろうとも思わない。
やるべき事は、他にある。
「とりあえず、“彼氏”に昇格すっか」
差し出すこの手を彼女は拒まないはずだから。
―――今は、それだけでいい
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20.JULY.2009 kai
ゲンマ、誕生日おめでとう!(遅れたけど)
何か、こじつけた感がありますが、気のせいです(嘘
元ネタは昔ライブにも行っていた某グループの曲。
裏設定は、もちろんアレです。
mちゃん、ありがとう。
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三年前に
カイさんが書いてくださっていたゲンマ夢、やっとお迎えにあがれました。設定的には、奈良さんが入社した直後くらいの時系列になるのかな。
ちくしょう、ゲンマめ…
あの色男を翻弄させられる彼女って最強だよな、とひそかに思います。