「今日もこんな時間になっちゃった」

薄暗いエレベーターホールで、ふぅと小さく溜息を吐く。

小さな筈の溜息が、必要以上に大きく響いた。

 

 

+ コンタクト +

 

 

 

 

ビルのワンフロアに入っている私の勤める会社。
さほど大きな会社ではないが、だからこそ一人ひとりの責任も重い(勿論男も女も関係なく)。

最近は最後に退社することなんてざらだった。

 

・・・でも、まだ今日は終電までに余裕あるし。

 
急いで駅までダッシュ、なんて事はしなくてもよさそう。

「良かったー」
そう小さくひとりごちると、タイミングよくエレベータの扉が、チン、と微かな音を立てて開いた。

 

 

すっかり油断していたら、エレベータには先客がいた。

慌てて、お疲れ様です、と言いながらぺこりと頭を下げた。

 

 
―――って・・・!

 

「お疲れさまです」
そう言って目元を緩めた人に、心臓がどきり、と跳ねた。

 

 
エレベータの隅へと進み、斜め後からその人の後姿をうかがう。

 

大きな背中・・・

 
うっとりとしながら彼―――猿飛さん―――を、見つめていた。

 

 

 

彼、猿飛アスマさん。

ワンフロア上の建築設計会社に勤務している方で、きっと私よりいくつか年上なんだろう。
たまに同じ会社の方達と一緒に、ビル一階にあるコーヒーショップで見かける姿は、何年かの実務経験をこなした人が持つ落ち着きと優しさを纏っていた。

大きな体と、低い声。
黙っていると少し強面かもしれないのに、同僚の人達に向けられる目がとても優しくて。

彼の笑顔を見たとき、その瞳に自分が映ったら・・・なんて思っていて。
あぁ、私、猿飛さんの事が好きなんだ、とその時気付いた。

 
話した事なんて勿論ない。
唯一近づけるであろうそのコーヒーショップでさえ、喫煙者のアスマさんと煙草を吸わない私とでは席が遠く離れてしまう。

それでも、透明なガラスで囲まれた部屋の奥に彼の姿を見つけるたび、心が躍る自分。

 
今は姿を見れるだけで嬉しい。

綺麗ごとでもなんでもなく、本当にそう思っていた。

 

 

 

―――だから、この状況は信じられないほどの、幸せすぎる状況である訳で。

狭い空間で感じる、アスマさんの煙草の微かな匂い。
捲られたシャツの袖から伸びる、筋肉質な腕。がっちりとした首。

 

・・・ど、どうしよう・・・

 

近くで見る猿飛さんは、遠くから見つめるよりもずっと・・・男性的で。

どくどくと言う自分の心臓の音に、更に緊張が増してくる。

 

 
あんまりにも胸が苦しくて、ぎゅ、と瞳を閉じた時だった。

 



 

「最近・・・ずっと遅いんですね」

 
低く柔らかい、声。

 

「えっ・・・」

聞こえた声にはっとして顔を上げると、先ほどと変わらない、緩く微笑んだアスマさんと目が合った。

 

「今日も最後なんですか」
「あ、はっ、はい」

ちょっと今週中に仕上げなくちゃいけない物があって、と苦笑する私の言葉に大変ですね、と頷いてくれる。

 
「猿飛さんもお忙しいんですか?」

ドキドキしながら聞いた私の言葉に、一瞬目を大きくされた。

 

・・・あ、あれ。私、変な事聞いちゃったかな。

「す、すみません」
「いや」

 

気まずい空気の中、チン、と微かに音が鳴り、エレベータが目的地に着いたことを告げた。

 

 

 

「すんません。ちょっと・・・びっくりしたもんで」

エレベータから降りた猿飛さんは、所在なさげに頭を掻いてそう言った。

 
「?」
不思議そうに彼を見上げる私に、また少し驚いたような顔をして、またすぐに笑った。

「名前」
「え?」

「や・・・名前を急に言われたら、驚くでしょう」
「あっ・・・」

 
慌てて口を押さえた私に、くく、と喉の奥で笑いを噛み殺す猿飛さん。

 

「まぁ・・・俺も・・・知ってますから」
恥ずかしくて、きっと顔なんて情けないくらい真っ赤であろう私を横目でちらりと見て、可笑しそうに言う彼をおずおずと見上げる。

 

その瞳が

 
初めて見るような、少しだけ意地の悪い色を含んでいて。

 

 

―――最近、ずっと・・・って、言ったでしょう?

 

「ユウリさん、駅まで一緒に行きましょう」
「!」

 

 

お返しに、とばかりに名前を呼ばれて。

高鳴っていた心臓が、いつの間にか甘く疼いていることに、ようやく気付いた。

 

 

 

 

Special thanks to mims.

 
++++++++++++++++++++
社会人のアスマ・・・ユルい感じでシャツを腕まくりしてるといい。

2009.06.10


みゅうさまによる、「色付く世界」「透明な軌跡」のサイドストーリーです。
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