暴かないで手なづけて

「携帯No.を私が簡単に教えると?」
「教えてくれへんの?」
「さあ」

 彼女はきっとボクのモンになる。してみせる。こないに、ひとりの子に執着したなったんは初めてやから。意地でも落とす……て思てる時点で、ボクの負けやろか。落とすも落とさへんもない、勝手に落とされてしもたんはボクのほうや。
 借景の庭へ向いた彼女の横顔に見惚れながら、勝ち負けなんてどうでもええ、と思た。

「遅くなりました」
「ほんまやなあ。いつまで待たすのん、イヅル。お茶も冷めてしもた」
「ありがとう、イヅルくん」
「いや。気にしないで」
「でも確か今日は……」

 ボクを気にせず、ふたりは楽しそうに会話を始める。なに話してんのかは耳に入らへんけど、端々にちりばめられた笑い声や、親しげな空気に苛々する。

「イヅル」
「はい」
「おおきに。もう、ええよ。帰り」
「……市丸課長、すみません」
「イヅルくんが謝ること、ない」
「ごめんな。そやけど、 はよふたりになりたいねん。

 耳元に囁きかけた彼女よりも、イヅルの頬のほうが染まってるて、どういうことやろ。

「しし失礼しましたっ」
「ほなまた、会社で」

 慌てて退席するイヅルを見送りながら、首を傾げた。





 週明けの事務所は、休日とは打って変わり賑やかだ。スーツのボクときゅっと髪を結ったキミには、週末の面影のかけらもない。オフィスラブの定石みたいに、社内で意味深な視線を交わらせることもなかった。

 デスクの上で携帯がなる。液晶にメール受信中の文字。たぶん彼女から。綻ぶ口元を押さえながら、かちり、ディスプレイを開く。


 結局あの日は、携帯No.もアドレスも聞き出せなかった。いちどだけ彼女の携帯が鳴って、誰からやろとヤキモキしている自分に苦笑しただけ。

「妬けるなあ」
「なにが、ですか?」
「彼氏と違うん」
「いえ。そんな人いませんよ」

 それにしても、彼女の携帯No.を知っている人間がいることには変わりない訳で。ボクより親密な関係を築いている全ての人に、ひそかに妬ける。
 やっぱり教える気ィあれへんの?結構真剣な問いかけは、微笑みでさらりと流された。

「ほんまに、いけずやねェ」

 別れ際、繋いだままの手をぎゅっと握れば、同じように握り返される。態度はやわらいで見えるけど、結局はまだ自分の領域に入れたくない。それくらいの距離は保ちたい言うことやろか。
 ふ、ため息をついたら、独り言みたいな小さな声。「イヅルくんに後でお礼のメール送らなきゃ。」ちゃんと聞こえたで。それがキミの合図、なんやね。
 という訳で、彼女と別れてすぐにイヅルを思い切り脅して、やっと番号とアドレスを手に入れた。


(仕事の切りが悪いので、あと10分ほどかかります)
(いつでもええよ。落ち着いたら声かけにき)

 予想通り、メールは彼女から。口元のゆるんだまま返信したトコで、真子とイヅルが近づいてきた。

「ギン、昼メシどーすんねん」
「ごめんな。ボク、今日はランチデートやねん」

 あの子と。イヅルに見えるように、携帯をひらひら。

「ちゅうかお前、もう心変わりしたんけ?相変わらず節操ないなァ」
「そんなことあらへんよ、真子の彼女には本気やなかっただけ」
「は!?そんなんで俺らを掻き乱すなや、ボケ」
「キューピッド役、してんやんか」
「ほんま、適当なことばっか言うてんちゃうで。ええ加減にせえよ」
「けど、上手く行ってんのやろ?」

 まあな。真子がなんとも言われへんええ表情で見つめる先には、例の部下の彼女。

「とにかくボクは、いまからあの子とランチやから」
「はいはい、分かった」
 ほな、イヅル。ふたりで行くで。

 彼らと一緒に立ち上がり、離れたブースを覗く。真剣な顔で画面に向かう彼女、その横顔にもうっとりする。

「…奇跡や、思うねん」
「なにがや」
「真子もそう思わへん?」

 立ち去りかけたふたりが足を止める。真子の眉間にはシワがくっきり、ネクタイを緩めながら面倒臭そうに振り返る。

「しゃーから、なにがやねん」
「あんな可愛いらし子が、おんなし会社におったこと」
「アホか」
「なんで?」
「まだ付き合うてもいいひんのにノロケてどないすんねん」
「そのうち付き合うし」
「せやけどまだやんけ」
「そや。でも時間の問題。真子は相変わらず細かいなあ」
「お前がおかしいねん。ちゃーんと始めてから言えや、ボケ」

 付き合うてられへんわ。真子とイヅルの気配が遠ざかってすぐに、ふたたび携帯が鳴った。





 午後の仕事を順調にこなし、終業時間はとっくに過ぎている。今夜も残業。業界の常やからなんとも思わへんし、ボクはもともと仕事が嫌いな訳やない。
 けど、こないな時間になるとちょっと息抜きもしたァなる。そういう時ボクが向かうのは、いつも一期上の真子のところ。

「イヅル、ついておいで」
「また平子さんの所ですか」
「なんや、文句でもあるん?」
「い、いえ…なにも」

 口では罵り合うし、親友ほど仲良くもないが、反目してるわけでもない。ごく当たり前の同僚の位置関係で、なのに踏み込める余地を互いに持っている。なんだかんだ言って社内で一番認めてるのは真子で。多分彼のほうも寸分違わぬ認識をボクに対して抱いているだろう確信はあった。
 つまり、口には出さないけれど、ボクは真子が結構好きなのだ。

「私、お茶でも入れてきますね」

 そして、先日ボクが謀らずも結び付けた、この真子の彼女のことも。
 ふたりの間には、やわらかい空気。ここはやっぱり居心地がええ。

「それにしても、運命の出会い言うんがこない身近にあるとはねェ」
「寝ボケたこと言いなや。それよりお前ら、揃って俺ンとこで油売っとるなんて、えらい余裕やなァ」
「寝ぼけてへんよ。いたって真面目」
「……なんか頭痛いわ、俺」
「心配やねえ、風邪やろか。そら、お大事に」
「ちゃうわ!お前のせいやんけ」
「そない大声出さんとき。カリカリしてもええことない言うたやろ」
「せやから全部お前のせいなんじゃ、ボケ」
「まあまあまあ、お二人とも」

 間に割って入ったイヅルの顔は、笑いたいのか泣きたいのかよう分からん形に歪んどる。そんな顔しててもイヅルは別嬪さんやねェ。きれいな顔の子は、男も女も好きや。

「ほんま、お前の相手してると疲れるわ」
「僕も…同感です」

 真子もイヅルも神経質やねんな。あんまり考えすぎるとハゲてしまうよ。

「ボク、驚いてんねん」
「は?」
「こんな風に、普通に誰かを好きになることてあるんやね」
「なに言うとんねん、ハゲが」
「市丸課長、顔がゆるんでます」
「うるさいなァ、イヅルは黙っとき」

 そやけど確かに口元がゆるむ。「帰る前にはお声かけますね。」昼食の最中のたった一言を思うだけで、顔が笑てまう。

「心臓痛いし、顔はゆるむし大変」
「なんや、初恋に浮かれとる中学生みたいやんけ」
「上手いこと言わはりますね、さすが平子サン」
「否定せえや、頼むから。その変な敬語も止めえ」

 がくり、脱力する真子を見てくつくつと笑う。
 抑えようとしても沸き上がる想い、どうしても手にいれたいと焦がれる気持ち。そないな感情を恋て呼ぶんなら、たしかにこれがボクの初恋かも。

「ほんで、何でまたあの娘なんや」
「なんで言われてもなあ、ボクが一緒にいたい思てん。それだけやったらアカン?」
「なにをサラっと恥ずかしいこと言うてんねん、ボケ」
「恥ずかしないよ。ほんまのことやし…真子、羨ましん?」
「ちゃうわ、ボケ。でも、きっかけ位あるやろ」

 きっかけ。始まりは……拒絶。いきなり拒まれたから、だろうか。

「多分、知りたないて言われたから」
「そら彼女、賢明やなァ」

 数日前の彼女の姿が鮮やかに脳裏に浮かぶ。やわらかいのに、きっぱりした声も。

「ボクが冷たいんやねて言うたら、なんて返ってきた思う?」
「さあな」
「あなたには負ける、言われてん」
「なるほど…彼女らしいですね」
「イヅル、なんやソレむかつく」

 は?不思議そうなイヅルの顔を、思いきり睨む。ボクの不機嫌の理由に気付かへんトコが、余計にムカつく。

「自分のほうが彼女のこと知ってるみたいな言い方せんといて」
「でも…彼女と僕は同期、ですから」
「でも、やあらへん」
「すみません」
「…まあええわ、後でお仕置きな。とにかく彼女のセリフがあんまり意味深やから、最初っからガツンと来てしもてん」
「はいはい」
「まるで、あなたも冷たいじゃないて言うてるようなモンやろ」
「まあ、女誑しに向かって言うセリフちゃうわなァ」
「真子もそう思た?」
「なかなかのクセモンってヤツか」
「そうそう。せやのに作為的ちゃうトコがまた堪らん言うか。そやからボクみたいなええ男が落ちてまうんやろね」

 上機嫌のボクには傍らの二人がどんな表情してるかなんて関係ない。人生はまさにゴーイングマイウェイやで。

「自分で言いな!」
「はぁー…………」

 真子のツッコミも、イヅルのため息もスルー。ここ数日考え続けていた彼女のことを、語りだしたら止まらなくなった。

「そやけど、社内一の女誑しをあっさり落とす女の子て言うたら、この会社で一番最強なんちゃう?じつは」
「まあなァ」
「そうに決まってるて。興味あらへんのに知ってるとか、まっすぐ目ェ見て知りたない宣言するとか、全部反則や。そこにちょっとでも気ィ惹きたい気配が見えたら、ボクかてそない心奪われへんのに。なんの感情も交えずに、淡々とそないなこと言うねん。あの子、ほんまは小悪魔かなんかとちゃうやろか」

 思考はフィルタを介することなく、垂れ流し放題の妄想よろしく矢継ぎ早に繰り出される。

「おーい、ギン…」
「そやからボクも本気になってしまうんよ」

 ボクの耳にはもう、自分の声以外なにも聞こえていない。脳内は彼女一色である。

「そやから彼女のさめた態度のなかから分かりにくい好意を掬い上げよ思て、必死になる。あんな女の子、ボク他に知らんわ。ほんまに」
「普通の子ォやけどなァ」
「真子には分からへんよ、そのほうがええし」
「まあ、同期の女性のなかでは一番さっぱりしてて、僕は付き合いやすいですけどね」
「なんやのイヅル、付き合う て」
「純粋な同僚としての付き合いですよ、勘違いはやめてください」
「分からへんよなあ。純粋な、とか言うててイヅルは案外むっつりスケベェやから」
「そうなんや?意外やなァ」
「平子さん!変な所に食いつかないでくださいよ」
「悪い悪い、つい…堪忍」
「とにかくイヅルが彼女を気に入ってても、ボクは譲る気あれへんよ。あの子だけは絶対だれにも渡さへん。ほんまの彼女の魅力なんて、ボク以外分かるわけないねん」

 二人のため息が、辛うじて聞こえた。気がした。

「はいはい、わかったからええ加減にせえよ、ギン」
「ああ…彼女今日は何時まで仕事すんねやろ、女の子なんやからあんまり遅なったらボクが心配やん。もう外も暗いし、帰り道でどんなことがあるか分からへん。あないに可愛いらし子やから、悪い男に襲われるかもしらん。そんなん考えたらボク仕事手ェつけへんようになるわ。どないしよ。でもまだ……」

 延々と続きそうな独り言に、真子とイヅルがまたそろってため息をついた。

「アカンわ、こいつ。全然聞いてへん」
「ですね」
「ほんま、難儀なやっちゃなあ」
「…ええ」
「イヅルもこんなんが上司やったら大変なんとちゃうか」
「お察しくださいますか、平子さん」
「わかる、分かる。なんや俺、こいつの後ろにお花畑見える気ィするわ」
「僕もです。市丸課長がこんなに饒舌だなんて」
「ほんま誰やねんこいつ、こんなん市丸ギンちゃうやろ」
「ため息しか出ませんね」

 ふたりの大きなため息の向こうから、軽快なヒールの音が聞こえる。次の瞬間ふわり、甘い香りを感じてボクは口を噤んだ。
 彼女、だ。

「市丸さん、こんなところにいらっしゃったんですね」
「ボクのこと探してくれたん?一緒に帰ろか」
「いえ、これお渡ししたかっただけですから」
「そない、いけず言わんといて」
「その書類、今日中アップでお願いしますね。では、お先に失礼します」
「あ…待ち」

 くすりと笑いをもらしたイヅルに、かちんと来た。完璧八つ当たりやけどね。

「イヅル、なに笑てんの」
「べ、別に笑ってませんよ」
「嘘はアカンなあ」

 時間あらへんから今日は一回しばくだけで許したる、イヅル感謝してや。

「…痛ッ」
「お詫びにもちろんこの書類はイヅルが責任持って仕上げてくれるやんな」
「市丸…課長、」
「ほんまおおきに」
「それは……勘弁」
「なんか言うた?ボク忙しねんはよ、あの子追いかけんとアカンから」
「は……?」
「ほんなら」

 書類を無理矢理イヅルの手に押し付けて、歩きながらネクタイを解く。
 自席に戻り、ジャケットを引っつかんで、事務所を飛び出した。彼女のために、柄にもなく走るのは、二度目。

「…………」
「イヅル…」
「……はい」
「ほんまご愁傷様やな」
「…慣れてます、から」


かないで手なづけて
振り回されんのも相手がキミなら悪ないな。
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