無駄のない詐欺

 可愛らしい女の子は好きや。健全な男やったら、誰でもそうやと思う。
 お前みたいな奴に渡せるか、ボケ。さっき真子に言われた言葉は、よう分かる。自分でも自分の胡散臭さに笑てしまうこと、多いから。
 でも誰にも見せられへん姿をひとつも持ってへん人間なんて、いいひんのと違うかな。全部さらけ出してしまえるような底の浅い人間に、興味なんて持たれへんし。ボクはその比重が少し人より高いだけやと思うねん。ただ、それだけ。

「ほんま、ええトコに現れてくれたモンやねェ。真子も」

 休日の自社ビルで、仕掛けた色事の策は真子にあっさり破られた。
 でも、上手く行かへんのも一興やと思てる辺り、ボクも大概な人間なんやろね。そない彼女への思い入れが、強なかったいうことなんか。

「あと、ちょっとやってんけど」

 お邪魔虫さんやなァ、アイツは。そやかて、あんまり簡単に行くんは面白ないし。口惜しさはあるけれど、どこかすっきりとした気分。
 かと言うて、元々惹かれおうてたふたりにきっかけ与えたみたいになってんのは、それはそれで癪や。

「ホンマにアホらし」

 結局、お邪魔虫さんやったのは、ボクのほう。まあ、最初から気付いてて仕掛けてんけど。
 エレベーターのなかでひとり、くすりと笑った。

 靴音を響かせながらエントランスを出る直前、見知った顔が目に入る。揺れるブラウンの髪、見慣れない格好。あれは隣の部署の子で、たしかイヅルの同期。
 ボクが目ェ付けてる女の子らのなかの一人や。

「キミも休日出勤なんやねェ、お疲れさん」
「いえ、ちょっと忘れ物を取りに」
「そないに大事なモンなん?」
「まあ…そこそこには」

 顔色ひとつ変えずに、ボクの隣を通り過ぎようとする腕を、つい反射的に掴んでいた。

「ちょっと待ち」
「なんですか?」

 今日は休日やからか、いつもと違うイメージ。普段のピシっとしたシャツにタイトスカートも、きゅっと結われた髪もええけど。今の、レイヤードスタイルにおろした髪はもっとええ。普段は見られへん姿に、得した気分や。

「今は行けへんほうがええよ」
「なぜですか?」
「お邪魔虫さんになってまうから。それより、」

 わざとらしく一拍分溜めて、「一緒に食事でも行こ。もうすぐ昼やし」声のトーンを整える。自覚的上級ボイス、これを聞かされて靡かへん子ォはなかなか居てへんやろ。

「結構です」

 ゆるく掴んでいた手首をするりと振り払われて、きっぱりとした口調がそう告げた。気が付けば、休日も稼動しているエレベーターの一基へ髪を揺らして向かう背中。
 ほんまに珍し子やな。ボクがあない近づけば、逃げ出す女の子なんて滅多にいいひんのに。

「待ちィて」

 柄にもなく走って、閉じかけたエレベーターへ身体を滑りこませた。
 ボクが一歩踏み出せば、彼女が一歩後ずさる。狭い密室空間のなかで、ふたりの距離は数十センチ。

「なんですか、いったい」
「そやから言うたやん。今はアカンて」
「でも、困るんです。あれがないと」
「も少しだけ待たれへん?」
「なぜ…」
「今な、」
「はい」

「ちょっと事務所でお取り込み中やねん」耳元での囁きにも、あまり動じた様子がない。百発百中の甘い声、出したつもりやのに。彼女は階数表示ランプを注視したまま動かなかった。

「良く分かりませんけど」
「ボクの一生の頼みや思て 言うこと聞き。な…

 喉の奥に空気をためて、ほそく息を吐き出す。さっきよりももっとかすれた、最上級の甘い声。これでもダメ?
 そっと腰に手を回したら、不審げな瞳が見上げる。やっぱアカンか。がっかりする気持ちと同じ位、興味をそそられる。

「キミ、ボクのこと知らんの?」
「知ってますよ。イヅルくんの直属の上司で、」

 やっぱり知ってはいてくれてるんや、と思ったところで続く辛辣な表現。

「社内一女誑しの市丸ギンさん。ですよね?有名ですから存じてます」

 ボクはこれを、どう受け取ったらええのかな。

「えろうハッキリ物言う子やね」
「そうですか、そんな性格なんです。すみません」

 軽く肩を竦める彼女の首元で、きれいな鎖骨が浮きだす。見惚れるほどきれいなデコルテ、肌理のこまかい肌。

「まあ、ええよ」
「けなしたつもりはありません。むしろ褒め言葉ですよ」

 しっかりチェックしていた女の子の内のひとり。そのはずなのに、その首筋の白さに、釘付けになる。さめた口調、なのに可愛いらしい声に、ざわざわと胸が騒ぐ。ボクはいままで、この子のどこを見ててんやろ。

「ボクが、怖ないん?」
「ええ。それより、腰から手離して下さい」
「イヤ、言うたらどうする?」
「べつに」

 ちいさく漏れる彼女のためいき。呆れたような渇いた響き。普通はそないな反応見せられたら、引いてまうモンかもしらんけど、ボクの場合は余計、征服欲をあおられる。負けず嫌いなとこあんねん、ボク。

 ――チン。
 電子音が聞こえて、事務所のある高層階に到着。開いた扉から降りようと身を捩る彼女を、無理矢理ぐいと引き寄せた。

「なんでか聞かへんの?」
「市丸さんの本心なんて知らないし、知りたくもありませんから」

 ガツン、頭を殴られた気がした。
 拒絶されるんは珍しいけど、皆無ではない。でも、そんな風に壁を作られたのは初めてで。わざわざ女の子口説くのに、面倒なことするつもりあれへんのに、どないかしてボクの本心を彼女に分からそ言う気ィになってしもた。

「えらい冷たいんやね」
「市丸さんには負けますよ」

 もしそれが彼女の作戦やとしたら、見抜かれへんかったボクは一生彼女には敵わへんのやろねェ。ほんまに面白いわ。
 引き込んだ密室のなか、ふたたび扉がしまる。呼び出す人がいない限りエレベーターは停まったまま。休日で人の少ない今日、きっとしばらくはふたりきりだろう。

 計算高いとか、打算的とか、まるで悪いことのように言われるけど、何かが目の前に訪れた時にまったく計算なしに対処するなんてただのアホや。誰しも少なからず、状況を測り、反応を決めているモンやと思う。それが人間のサガやから。

「本気なん?知りたないて」
「ええ、知りたくありません」

 まるで、こんにちは言うてるみたいな淡々とした口調。ボクをまっすぐ見る目ェには、媚びもなんも見当たらへん。
 おんなしように「知りたない」言うた女も勿論おった。そやけど、彼女らの眼の奥には、必ず気ィひきたいっていう打算が見え隠れしててん。それ自体は全然ええし、そういう所も可愛いらしなと思てた。
 そやのに、この子は違う。なんでこないにボクを真っ直ぐ見つめたまま「知りたない」なんて言うのやろ。そして、何でボクはその視線を悪ないなァ、なんて思てしもてんやろ。キツうはないのに、ぶれへん視線。
 隣の彼女を見つめたまま、もっと腰を引き寄せる。密着した肌、甘いフローラルノートは香水だけのものじゃなさそう。

「な、諦めェ」
「強引なやり方に、興味はないです。他の子たちはどうだか知りませんけど」

 後半の言葉が勢いをなくしたことに、僅かな望みを繋ぐ。

「ボクも嫌われてもたな」
「違いますよ、」
「なんで?ボクのことは知りたないし、言うことも聞きたないんやろ?」
「アナタは、私なんかが掴める程度の人じゃないと思ってるだけ。無駄な努力はしない主義なんです。それだけ」

 彼女の肩から、少し力が抜けた。形のよい口元は、やさしくゆるんでいる。
 ほんまに嫌がってる訳やあれへんみたいや。そう思たら、ちょっと勇気出てきた。

「べつに強引にしたい訳ちゃうよ」
「じゃあ、なんでこんなこと」
「さあ。なんでやろね」
「事務所、行かせてもらえませんか」
「アカン。キミの忘れモンはあとでイヅルに届けさすから。やから、 いまはボクに付き合うて」

 ほんまは真子たちの邪魔するとかせえへんとか、どうでもええ。ただ彼女とふたりきりになりたい思ただけ。
 もっと知りたなった。ボクのことも知ってほしなった。それだけ。

「やっぱり……強引」
「ええから、ついておいで」
「市丸さん」
「なに?」
「和食がいいです」
「もちろんや、任せ」

 やわらかい笑顔の彼女と目が合った瞬間に、ヤられてもた。なんや、心臓痛いねん。
 散々壁を作って、ボクのことなんて知りたない、て言うてたくせに、次の瞬間には懐に飛び込んでくる。
 これは詐欺みたいなモンちゃうやろか。引いて引いて、ふっと力抜いて、また引いて引いて、押す。計算してるそぶりも見せんとしっかり計算してたんか、それとも天然か。どっちにしろボクは、すっかり欺かれとる。
 振り回すんは得意のはずやのに、すっかり振り回されてるやん。アカンわ、ボク本気でこの子欲しなってもた。

 一階のボタンを押して動き始めた箱のなか、腰に回した手を解いて、そっと掌を差し出す。

「お手をどうぞ、お嬢さん」
「クサイですね」
「ひどいなァ、それ。キミ、口悪いんやねェ」

 言葉とは裏腹に預けられた手。きれいに整えられた爪の先、ピンクベージュのエナメルも趣味がええ。

「でも、市丸さんが言うと自然に思えるから不思議」

 顔を見合わせて、一度笑って。ゆるく手を繋いだ。ひとつ、またひとつ、下がっていく数字を見つめながら自然に指が絡む。

「ほんで、君の忘れ物てなに?」
「携帯です」
「そらアカン」
「ホントは月曜までなくても構わないんですけどね」
「イヅルに店まで持って来さすわ」

 たしか夕方ちょっと社に寄る言うてたし、少し予定早うさしたらええだけや。イヅルのプライベート?そないなこと知らんよ。

「いえ、彼…可哀相だし。そんなに困らないし」
「ボクが困んねん」
「へ?」



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夜寝る前もキミの声聞きたいやん
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