恋愛チキンレース

 いつも市丸隊長には振り回されてばかりだけれど、特にバレンタインのあの日は散々だった。一瞬前まで僕を殺しかねない勢いだったくせに、その数秒後には手の平を返したように上ずった声が僕を呼ぶ。

「イヅルー、ちょっと来ィ」

 まだ首筋に残る神鎗の霊圧にぶるりと頭をふって、渋々隊首室に出向けば、見たこともない位に表情を崩した隊長の姿。

「ほら、見てみ」
「……はあ」
「なんやその反応、もっと他になんかあれへんの?」
「良かった、ですね」
「そんなんちゃうよ!」
「は?」
「ボクのんイヅルの貰てたチョコより明らかに大きいやろ!」

 ドドーン、と効果音が聞こえそうな勢いで目の前にチョコレートの包みを突き出されて、その後ろにはいつもの数割増し気持ち悪い狐面。

「はい。確かに大きいです」
「何倍位かなァ?」
「さあ……」

 そんなことは、どうでもいい。それよりも、さっき命を落とすんじゃないかとヒヤヒヤした僕の心臓のダメージをどうしてくれるんだ、と無性に腹が立つ。

「すくのう見積もっても10倍はあるよなァ?」
「…そうですね(僕のはチロルチョコですから)」

 答えながらため息しか出ない。隊長とその下の者とに渡すチョコレートに、差をつけるのなんて当たり前だ。たとえそれが"義理"でも。

「大きさは10倍でも、値段はもっとするんやろか」
「まあ100倍は下らないでしょうね」
「ホンマっ!?」
「……ええ(僕のはチロルチョコでしたから)」

 途端に唇の角度がさらに持ち上がる。こんな顔をするときの隊長は、だいだいロクなことを考えていない。

「ほなボクは彼女にイヅルの100倍は愛されてるいうことや!」
「……」
「羨まし?」
「……はい」

 結局自慢話がしたかっただけなのか。ツッコミたい所はたくさんあったが、はい、と言わなければきっとまた延々変な理屈で話が続くのだ。
 多分値段で言うならハクの貰ったネコ缶セットが一番高価だし、おまけに一番ボリュームもあるんじゃないかと思ったけれど、それも口に出さずに我慢した。

「で、相談というのは…」
「ああ、せやった」

 軽い調子で持ちかけられたのは予想以上にとんでもないことだったが、隊長には全く自覚がないらしい。

「あんな、今ボクん部屋えらいことになってんねん」

 さっき、"全部ネコ缶だった"という隊長の台詞を聞いた時から嫌な予感はしていたのだけれど。

「もしや、あの缶全て開けられた…などということはないですよね?」

 いくら隊長でも、まさかそこまでバカではないだろう。いくつか開けた時点で普通は気が付く――はず。気が付いてください。
 いつの間にか隊長の膝に戻ってきた子猫を、やわらかく撫でながら満面の笑顔が僕を捉えて、嫌な予感がさらに深まる。

「うん!よう分かったなァ、さすがイヅル」
「………全部、ですか?」

 恐る恐る尋ねた僕に向かって、明るい声で「うん!」だなんて、いったいどの口が言えるんだ。能天気にもほどがあるでしょう、隊長。だって少なくとも十個はありましたよアレ。

「どうして貴方はいつもいつも後先考えずに行動なさるんですか」
「ごめんな」
「謝って済む話ではありません!」
「せやから、アレどないしたらええかイヅルに相談しよ思て」

 ボクん部屋いまネコ缶のニオイだらけやねん、あんなん全部いっぺんに食べさせたらこの子お腹壊してまうし…なァ、ハク。続く市丸隊長の言葉を聞きながら、僕は幼稚園児の面倒を見ている保父さんではないかとしばし錯覚する。
 〜超絶問題児・市丸ギンくんにぶんぶん振り回されて疲労困憊する新人幼稚園教諭吉良イヅル先生の愛と苦悩の日々〜とかなんとかいう変なフレーズが頭の中に流れて消えた。

「それより隊長、その耳と尻尾はいい加減もうお取り下さい」
「えええ!?せっかく彼女にも見てもらお思たんに…」
「 ダ メ で す 」

 結局そんな手のかかる隊長を放ってはおけなくて、あれやこれやと面倒を見てしまう僕も悪いのかもしれないけれど。

「ここに来るまでの間も、結構女の子ォらに評判良かってんで」

 皆、似合てるし可愛い言うてくれたんやから。そう言って子猫を抱いたまま、無邪気に尻尾をふって見せる隊長の姿に苛立ちと呆ればかりが煽られる。

「お取りください!」
「ほんまに?」
「本気です。でないと相談には一切乗りません!」
「イヅル、今日はいつもに増していけずやねんなァ……」

 渋々耳を外す隊長に、魂が抜け落ちてしまいそうなほどデカいため息が漏れる。猫のコスプレを自ら喜んでしている隊長なんて、護廷十三隊のどこを探しても貴方以外いませんよ。

「これでええんやろ」

 ここにたどり着くまでに、市丸隊長はいったいどこで誰に何を言われたんだろうか。瀞霊廷のなか愛猫と並んで尻尾をふりながら歩く姿を、皆はどう思って見ていたのだろう。

「わかりました。帰りに隊長の部屋へお寄りします」
「おおきに、助かるわ」

 色んな人からの憐れみの台詞が一斉に聞こえてくる気がして、イヅルはふたたび深いため息を漏らした。





 いつも以上に肩を落とした吉良が猫耳と尻尾を手に十番隊舎へ現れたのは、バレンタインデーの午後だった。

「たしかにお返ししました」
「で、上手く行ったの?ギンは」
「……いえ、こんなもの即刻僕が外させましたから」
「えー?"ギンちゃんのニャンコでゲット大作戦"、失敗?」
「………や。チョコは無事に」
「じゃあ協力費はがっぽり貰えるってことね、良かったー」
「…………はあ」

 松本と会話する奴の眦がきゅっと引き下がり、深いため息が漏れる。猫耳コスを自ら喜んでする隊長を上司に持ったうえに、そのしりぬぐいを任される部下…か。本当に不憫な奴だ、と横目で盗み見ていたら、吉良は袂から小さな紙片を取り出し松本に渡した。

「なになに?」
「市丸隊長からくれぐれも忘れず乱菊さんに渡すよう頼まれたものです」
「えーっと、」

『一ヶ月後にまた必ず貸してな。今度は"ギンちゃんのニャンコでゲット超・ウルトラ大作戦や!!"結婚式のご祝儀ぎょうさん用意して待ってて。それはそうと、式はいつがええんかな?』

「 ……だって」

 途端に十番隊舎全体が妙な空気に包まれる。告白はおろか、付き合ってさえいないのに結婚?市丸の思考回路はいったいどうなっているのだ。呆れ過ぎて痛むこめかみに冬獅郎は手をあてた。口を閉ざしたまま立ち尽くす吉良の眉間で、シワがひときわ深く見える。

「松本……、市丸の奴は 本気でバカなのか?」
「やーだ、隊長いまごろ気付いたんですか?」
「いや。元から知ってる」
「でしょう?」
「吉良…お前も大変だな」
「………慣れました」
「松本、お茶でも入れてやれ」
「いえ。日番谷隊長……僕、失礼します」

 このまま一人で放っておいて市丸隊長にこれ以上のことをされたら堪りませんので。呟きながら出ていく吉良の背に、心の中でご愁傷様と呟いた。





「ただいま戻りました」
「あー…イヅル、遅かったなァ」

 案の定隊長の机の上には山積みの書類。それを左右に取り避けて、ド真ん中にデーンと鎮座しているのは、おそらく彼女が持って来たであろうチョコレートの包みだ。肘をついてニヤニヤそれを眺める姿に、腹の底がふつふつと沸き始める。

「隊長」
「なん?」

 無邪気な顔を向けられて、鈍い怒りが煽られた。僕が十番隊舎まで往復する間にどれだけ神経を消耗したと思っているんだ。「吉良も大変だな」って憐れみを帯びた視線を受けるだけならまだしも「お前にも似合いそうじゃないか、猫コス」なんて無礼なことを言う輩もいたというのに。

「仕事はどれ位進まれたのですか?」
「彼女から貰たチョコレート見てたら胸いっぱいで全然進めへんかった。堪忍」
「全く?」

 僕が睨んだ所でたいして隊長には効きもしないんだろうけれど、全力で目に力を込めると、素早く卓上の包みを奪い去った。

「なにすんの、イヅル!」
「きちんと仕事をして下さらないのなら、これは没収です!」
「イヅルのいけず!鬼!!悪魔!!!恐怖の大魔王!!!!」
「何を仰られても返しません」
「……ボクを殺す気ィなん?」
「それ位で隊長が死ぬタマですか」

 酷いわ、イヅル。言いながら渋々筆を握った隊長に「書類を全部仕上げられたらお返しします」と言い残して背を向けた。
 素直なご褒美に、後で彼女にお茶を持って行って貰おう。





 お茶を持参したままなかなか隊首室から戻って来ない彼女が心配になり、イヅルがそっと部屋へ入ると、無言のまま固まっているふたりがいた。

「どうしたんだい?」
「いえ…隊長が、ちょっと待ってと仰るもので」
「市丸隊長。何故彼女を引きとめたんですか?」
「そんなんチョコのお礼言いたいからに決まってるやん!」
「ではさっさと伝えればいいでしょう。彼女にもまだ仕事が残っているのですから」
「ふたりきりになったら、何話したらええんか分からへんやろ」

 そう言って黙りこむ隊長と彼女は、双方とも耳まで赤く染めている。お礼の一言を言いたいのに、なかなか言い出せずにこんなに長い間彼女をただ黙って引き留めていた、と?

「そういうことらしいよ、君はもう仕事に戻って」
「失礼します、隊長。副隊長」
「あ……お、おおきに」
「いえ」

 そうやってやわらかい笑顔一つでこの市丸隊長を骨抜きにするのだから、三番隊で最強なのは彼女かもしれない。書類もお陰で、随分片付いているようだ。

「ハク、さっきのン見た?彼女ええ笑顔やったなァ」
「みゃー」
「続き、早めに済ませて下さいね」
「おお…こわ」
「隊長のお部屋の処理も待っているんですから」

 愛猫と鼻先を擦り合わせて表情を崩す隊長に、イヅルは鋭い一瞥を投げた。

「ところで、もう一度猫耳を借りられるのですか?」
「乱に聞いたん?」

 アイツお喋りやなァ、な…ハク。再び愛猫と鼻先を擦り合わせる隊長の手から、子猫をそっと奪い去る。

「あのメモを見たんです」
「イヅルの覗き魔!」
「で、どうされるおつもりですか?」
「そんなん決まってるやん!また猫の格好してホワイトデーにプロポーズ大作戦や」
「は?」
「だってチョコ貰えたんは、ボクらずっと両想いやったいうことやろ」
「……」
「両想いてことは、ボクだけの彼女も同然や。これはあれや!!告白っちゅうか、もうプロポーズや!!て思てん」

 得意げな隊長に、深いため息をひとつ。僕の腕でみゃーと鳴くハクの声も、微かに呆れているように聞こえる。

「チョコレートのお礼ひとつ満足に言えないのに、ですか?」
「………それは」
「飛躍しすぎにも程があります」
「せやろか?」

 ええ作戦や思てんけどなァ――呟く隊長の姿に、すっかり力が抜けた。



チキンレース

猫のコスプレをした男にプロポーズされて喜ぶ女性が、果たしてこの世のどこかにいるだろうか?
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