去年の日焼けと境界線

 彼女と、猫。
 なんだかんだ言って、市丸隊長にもうひとつ弱点が増えたのを、一番喜んでいるのは僕かもしれない。机に向かい黙々と仕事を捌く隊長を見つめ、イヅルはこっそり口端を歪めた。

「イヅル。ちょお、散歩してきてもええ?」
「構いませんよ。その代わり猫をここで飼う約束は取下げです」
「分かった、いまのナシ!」

 ――みゃ…。

 隊長の膝の上でおとなしく背を撫でられていた彼の弱点が、可愛い声をあげる。自分が話題になっていることに気付いているのだろうか。

「おお、怖……イヅルは怖いなァ。お前もそう思わへん?」

 そう言って顔の高さまで持ち上げた子猫と、鼻先を摺り合わせる。みゃあと鳴いた真っ白な猫の毛が、色素の薄い市丸隊長の髪と昼の光のなかで溶けあっている。キレイだ。

「なにかおっしゃいましたか?」
「いや。仕事の続きしよかな…て」
「では僕はお茶でも入れて来ますね」

 こんなときは少し気分転換をさせたほうが有効だ。集中力がぷっつり途切れた子供のように、子猫と戯れ始めた隊長を見ながら、そっと肩を竦める。

「ボク、なんや イヅルに上手いこと使われてる気ィする」

 ぽつり、吐き出された隊長の言葉に一瞬ひやっとしながら、イヅルは隊首室を辞した。

 計算高さが身についていると言うならば、すべて市丸隊長のせいだ。どうやれば隊長を効率よく働かせられるかを考えるのも、立派な副隊長の仕事だと僕は思う。
 実を言えば先日の一件は、彼女を現世駐在の任につかせたところからすでに作戦。彼女を行かせれば隊長は必ずゴネる。だから、言うことを聞いてあげるふりして言うことを聞かせてしまえ、と。あまりに目論見通りにことが運びすぎて、怖いくらいだった。

 ――イヅルに上手いこと使われてる気ィする。

 案外鋭いじゃないですか、隊長。手慣れた仕草でお茶を注ぎながら、イヅルは腹の中だけで笑う。
 本来ならば隊員の変更にもさほど書類は必要ないけれど、日頃サボっている分を上乗せさせてもらいました。日程も申請次第でそれこそ一日でも変更可能だけれど、そんなに簡単に願いが叶えば市丸隊長はすぐ図に乗ってしまうでしょう?
 こういうことには飴とムチの加減が重要なんです。この際溜まっていた書類を捌くのには最適な機会だと思って利用させて貰ったんですよ(いつもいつも大切なことを僕に任せきりの隊長が悪いんだ)。自業自得――





「ギーン、遊びに来てあげたわよ」
「なんやの、乱。ボク仕事中なんやけど。見て分からん?」
「いいじゃない。猫、見せてよ」

 騒々しさ満天で乱入してきた幼なじみにため息をつきながらも、これで少し位はサボってもイヅルに文句を言われないと、どこかでボクはホッとしていた。それにしてもいっつも煩いヤツやなァ。

「なんで乱がそんなん知っとるん」
「……すみません、私が」

 乱菊の後ろからそっと彼女が顔を出したのを見て、一気に怒る気も呆れも失せる。よう連れて来てくれたやないの、乱。ありがとうな、そして、いらっしゃい。
 聞けば、現世にいくついでに乱菊に化粧品の買い物を頼まれた彼女の元へ、物の受け取りに来たついでに猫の話が出たらしい。

「ボクとこん子ォ、勝手に私用で使わんといて」
「いいじゃない、ついでだし」
「そういう問題ちゃうやろ」
「なにアンタらしくない真面目なこと言ってんの?」
「ボクは真面目や!なぁイヅル」

 ちょうどお盆を手に入って来たイヅルに向かって声を張り上げる。

「たしかに、ここ一週間ほどは真面目に執務をこなして下さってますね」
「ほら見てみ!ボク、乱とはちゃうねんで」
「最近だけ、ですが」
「煩いイヅル。ちゃーんとボクは隊長さんらしいことしてんねん、いっつも遊び歩いて呑んだくれとる乱とは一緒にせんといて……て聞いてへんやん」

 彼女が部屋に入ってきた途端にボクの膝を飛び降りて走り寄っていった子猫に、すっかり夢中のようだ。きゃーカワイイ!ってアホな女の子みたいに叫んでは、ぎゅうぎゅう抱きしめてる。そない力入れたらお前の胸で窒息死してまうわ。

「ちょお、力抜き。乱…」
「ごめーん。可愛くて、つい」
「お前はいい加減自分の胸が化けモンやてことに気ィ付き」

 乱菊の腕から子猫を奪い返せば、やっぱり息も絶え絶えで白目剥いてる。可哀相に、ごめんな。

「化け物って何よ!」
「妖怪爆乳お化けや、こん子死にそうやないの」
「で……名前はなんて言うの?」
「悩んでんねん」
「まだ付けてないのー?」
「せやから、悩んでんの。毛ェ白いさかい"シロ"にするか"ハク"にするか、それとも"ユキ"にするか」

 キミはどれがええ思う?彼女へ質問を振れば、「どれも素敵ですけど」と少しだけ首を傾げて考えた末に、笑顔で口を開く。

「男の子だし"ハク"でどうでしょう」
「せやな。ボクもそれが一番ええかなて思ててん」

 お前は今から"ハク"や。ハク、改めてよろしゅうな!乱菊の手から奪って顔を見合わせたら、ボクを見上げて子猫がみゃあー、と鳴いた。ボクが銀色で"ギン"、お前が白で"ハク"やからお揃いやなァ。

「よかったねぇハク。良い名前つけて貰って」

 僕の腕のなかの子猫を撫でながら彼女がかける言葉に、ハクはごろごろと咽喉を鳴らす。ええなァお前はそうやって簡単に彼女に撫でてもうて。
 そう考えていたら、無意識にボクも彼女に頭を差し出していたらしい。

「ギン………アンタ何してんの?」
「は?」
「なに頭差し出してんのよ、撫でてほしいワケ?」
「…っ!煩いなァ、乱。ほんで自分なに買うてきてもろたんや?」

 乱菊の呆れ混じりの言葉ではっと我に返ったボクは、咄嗟にごまかすためのロクな質問も思いつかなかった。

「だから化粧品って言ったでしょ」
「そんなん言うても、イロイロあるやないの」

 全く興味なんてないけれど、いちど質問してしまったら答えを聞かざるを得ない。腕に抱いた子猫の頭を撫でながら言葉を続ける。

「ファンデーションとか美容液とか口紅とかイロイロだけど」

 現世はやっぱり尸魂界に比べて格段に品揃えが豊富よね。ここも朽木家直営の独占企業じゃなくてもっと価格競争とかすればクオリティ上がるのに。ぶつぶつ続ける乱菊に、適当な相槌を打つ。

「へえー…、さよか」
「でも今回はいっこだけ失敗かな…」
「あれ、ですか。すみません」

 乱菊へ謝る彼女の言葉に、ちょっとだけ興味をそそられて問い返した。

「なん?あれって」
「ファンデーションの色」

 明るすぎて私の肌の色に合わなかったのよねえ、と付け加える乱菊を見れば、なるほど頷ける。別に乱菊かて色黒なわけやあれへんけど、彼女の肌の抜けるような白さに比べたら一、二段階は健康的や。

「ああ…キミ、乱よりだいぶ色白いもんなあ」
「あまーい、ギン!この子の白さはこんなもんじゃないのよ」
「っ!乱菊さ………あ!」

 心の準備もなんも出来てへんボクの前で、乱菊は彼女の死霸装の肩を左右にガバリと開いた。剥き出しの鎖骨の脇に、たしかに一段と色白のラインが走っている。

「去年、女性死神協会で海に行ったときには本気で驚いたんだから」
「………っ!」
「何黙ってんのよギン、この日焼けあと見える?」

 この子の死霸装で隠れてる部分なんて見えてる肌よりずっと色白なんだから。続く乱菊の台詞に慌てて片手で口元を覆う。アカン、眩しすぎる。なんや鼻血出そう。

「乱菊さん、やーめーてーー」
「イヅル!なんでもええから眼ェつぶり!命令や」

 ほんのりと色の違う肩紐のラインらしき跡に、ドキドキ高鳴る胸を抑えられない。息苦しなってきた。

「ギン…なに顔赤くしてんの?」
「………ボク、一応男なんやけど」
「アンタはこれ位どうってことないでしょう?純情ぶっちゃって」
「アホ……」

 それ以上見せられたら、いろんな意味で自信あれへんわ。もうぎりぎりや、堪忍して――…。
 のぼせそうな頭を片手で抱えたら、腕からすり抜けた子猫が彼女の胸元にふわりと飛びついた。



去年の日焼けと界線

そんなん狡いわ、ボクも猫になりたい。
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