事故チュウはスルー

 昼食後大人しく隊首席で執務をこなしていると、お茶を手にイヅルが入って来た。ボクが珍しくここに張り付いているのも、イヅルが恐ろしい量の交換条件を出して来たからだ。
 彼女の現世駐在予定を急遽変更する代償に他隊から引き受けた書類やて言われたら、ボクが抵抗できひんのを見抜いてるんが腹立つけど、昔からここはそんなトコやった。
 四角四面で形式ばってて、融通がきかへん。何から何まで書類書類て、ボクら死神なんにまるで書類処理屋さんみたいや。

「それにしてもお堅いトコやなァ」
「確かに護廷十三隊は規律の厳しい組織ですが、」

 人員配置の変更ひとつでも、稟議書や根回しやお窺いに代替案件の消化、決まり事に縛られて、自隊の席官を自由に動かすこともままならない。
 にしてもなんやのこの量、やっぱりイヅルはボクんこと殺す気ィや。じわじわ追い詰めるんが上手すぎる。

「ボク肩凝ってしゃあないわ」
「それで、ですか?」
「せや」
「僕は瀞霊廷中で市丸隊長ほど自由な人を知りませんよ」
「何言うてんのイヅル」

 朝から半年分くらいの書類こなして右腕はぱんぱん。ボクはやれば出来る子ォやから、せなアカン言われたらちゃんとやるけど。
 場合によっては隊長のボクよりも立ち回りの上手いイヅルのほうが力を持っているように見えることもある。

「いえ間違いありません、他隊を見れば三番隊の(というか市丸隊長の)破天荒ぶりがよく分かる」
「ほな、更木サンとこはどないやの」
「……………確かに」
「せやろ。ボクなんて一応隊長さんやのに、いっつも副官のイヅルのご機嫌窺うてばっかりやん」

 総隊長が一度受理した一ヶ月の滞在予定を変更するんは、よほど火急の事態やないと認められへん言うけど、ボクにとっては充分火急や思うねん。だって命に関わるんやで。
 今朝かて目ェ覚めたら、なんや頭が重うて熱っぽうて。きっと彼女の顔を見られへん日ィが続いてるせいや。
 そんでも一ヶ月を急に一日に変更するんは流石に無理やてイヅルに懇々と諭されたから渋々諦めたやないの、ええ子やろ。けど、最短一週間の線は絶対に譲られへんかった。

「イヅル。ほんまに彼女は明日帰ってくんねんやろなァ」
「ええ、間違いありませんよ」
「ほんまにほんま?」
「はい」
「ほんまにほんまにほんま?」
「……市丸隊長、しつこいです」

 明日が待望の一週間目、この数日間ですっかり使い方に慣れてしまった伝令神機を手に、窓の外を眺める。ええお天気。

「次に連絡して良いのは、三時の休憩のあとですからね」
「そんなん分かってるよ」

 未練がましく小さな物体から手をはなし、温めのお茶を一口啜った。
 朝に一回、昼に一回、三時の休憩で一回、仕事終わる時間に一回。そして晩に一回。彼女の伝令神機に連絡いれてええんは一日に五回までてイヅルに決められてるから、あと二時間は声聞かれへん。
 ボクが隊長でイヅルは副官のはずやのに、こんなトコでも頭上がらへんなんて変やけど、イヅルは案外怒らしたら怖いし面倒臭いから仕方なしに言うこと聞いてあげてんねん。
 窓際にずるずると椅子を動かして、やる気でえへんなと思いながら窓を開ければ、お天道サンはボクの気持ちと裏腹にぴっかぴかに輝いてはる。
 現世はどんなお天気やねやろ、彼女が雨に濡れたりしてへんとええなあ。

「お茶を飲んで一息つかれたら、また続きお願いしますね」
「……わかった」

 扉に背を向けたまま、ぼんやり窓枠に頬杖ついてたら、近くでか細い鳴き声が聞こえた。

 ――みゃー、みゃー…。

 ちりん、小さな鈴の音とともに窓下の茂みががさがさと揺れて、子猫が顔を覗かせる。ちいそうてかわいらしい、まだ生まれてそない経たへん位のその子は、片足を怪我してんのか歩き方がおかしい。
 ふっ、とその姿があの晩の彼女と重なったら、いますぐ抱き上げて触りたァて堪らんなってしもた。

「イヅル。ちょお、出るわ」
「た、隊長っ!」
「すぐ戻るさかい、堪忍」
「逃げたらお仕置きですよ!彼女の帰還願い取下げますからね…」

 息抜きかて仕事のうちやて言うやないの、と心の中だけで反論して。イヅルのぴりぴりした言葉を聞きながら、隊首室を飛び出した。





「お前、どこの子ォなん?」

 茂みから顔だけ出して窺うようにボクんこと見上げる目が、きらきら光ってかわいらしい。やっぱりどことのう彼女に似てる気ィする。

「ほら、おいで」

 差し出した手ェに怖ず怖ずと近づいて、くん、指先の匂いを嗅いだらまた離れた。あの日の彼女とおんなしに後ろ足首の片方には薄う血ィ滲んでて、真っ白なやらかい毛ェを痛々しげに汚しとる。

「ええから逃げんと。こっち来ィ」

 興味なさ気に半分背けた顔がかわいらしいて、ぺろぺろと自分の前足を舐めてる姿勢のまま、そっと抱き上げた。ボクのてのひらに乗るくらいちいそうて、下手に扱うたら壊してしまいそにやらかい。指先に歯ァ立てられても全然痛いなんて思えへんかった。

「怪我してるやないの、可哀相に」

 流石にボクが舐めたげる訳にはいけへんけど、イヅルに治さしたるから待っててな。言いながら懐に抱え、小さな頭を撫でた。
 ちょこっとだけ抵抗されたけど、抱き締めてしまえばもうこっちのモンや。急に高さが変わったんが怖いんか、死霸装に必死で小さい爪を立てる姿さえ可愛いてしゃあなかった。

「ごめんな。怖いやろけどちょっと我慢してや」

 早う帰らなイヅルにまたいけずされてしまうから、と足早に歩く。ほんまに彼女の帰還を遅らされてしもたらかなんし。


「ただいま」
「思ったより早かったですね、隊長」
「せやろ。それよりイヅル…ちょお、この子診たって」
「……へ?な、なんですかそれは!」
「なにて、イヅル。猫も知らんの?」
「そういう意味ではありません」

 どうなさったんですか?と質問を続けるイヅルはいつにも増して眉間のシワが深い。いままでそんな話をしたことはなかったけれど、イヅルは猫が苦手なのだろうか?

「そこで拾てん」
「拾ったじゃありませんよ」
「……猫、嫌いなん?」
「違いますが。何でもかんでも此処に持ち込まないで頂けますか、全く」

 それとも最近流行りの"あれるぎぃ"ていうやつやろか。イヅル神経質やから、身体まで神経質に出来てんのかもしれへん。

「鈴を着けてるってことは飼い猫じゃないんですか、返して来て下さい!」
「せやけど…怪我してたし、可哀想やろ?」
「………」
「それに…なんや、彼女に似て見えてん。此処で飼うたらアカン?」

 がっくり肩を落とすイヅルに子猫を差し出せば、ぴょんと手の平から飛び出したその子は、開いたままの扉からすたすたと廊下へ飛び出した。

「あー…!イヅルがちゃんと受け取れへんから逃げてしもたやん」
「悪いのは僕ですか?」
「当たり前や」

 イヅルを詰りながら、あない小さいのに優雅に尻尾ふって出て行く姿はかいらしかったなァて目尻が下がる。

「そうですか。では、せっかく隊長の喜んでくださるご報告があったけれどお教えしません」
「なんやのそれ、イヅルのいけず!」
「そんなことより、あの子を追いかけなくていいんですか?」
「せやった、ボクちょっと行ってくるわ…」

 あんまり慌てて隊首室の入口に向こたから、良く知る霊圧が近づいて来るのに止まることも出来ず。気付けば子猫を抱いた彼女が触れそうな距離、目の前に立っていた。

「ただいま戻りました、市丸隊長」
「お……おかえ り」

 廊下で光を浴びて立っている彼女と真っ白な子猫は、まるで絵に描いた聖母と天使みたいで。毎日頭んなかで思い浮かべてた彼女より、毎日眺めてた写真の彼女より、ずっとずっと綺麗に見える。
 なんや、胸がドキドキしてきた。

「なんで……」

 明日戻るはずのキミがここに今いてるやなんて、ボク夢でも見てんねやろか。あんまり会いたい会いたいて思い過ぎて、白昼夢とか。ボクはそないにキミのこと好きなんやて改めて思い知らされる。

「予定が早まって。地獄蝶を飛ばしたんですが」
「怪我は?」
「してません」
「よかった…」

 ため息みたいな声がでて、それをごまかすようにふわりと彼女の髪を撫でる。本物や、夢やない。
 じんわりと伝わる体温に、ホッとするのに心臓は煩くさわいでいる。

「……この子、拾ってくださったんですね」
「さっきな、隊舎の庭にいててん」
「よかったねー猫ちゃん、優しいヒトに拾われて」

 ――みゃー。

 子猫はずいぶん彼女に懐いているようで、そう言って鼻先同士をすりあわせる姿に、妙な嫉妬心が浮かぶ。
 羨ましなァ、と思てたら子猫の小さい舌が彼女の唇をぺろりと舐めた。狡いわ、ボクでもそんなんしたことあれへんのに。

「キミん猫やったん?」
「現世に発つ少し前に見つけて、同隊の友人に預けてたんです」
「ほんなら鈴付けたんもキミ?」

 ええ。頷いて微笑む顔に、ボクまで勝手に口元が緩んどる。やっぱり彼女の生の笑顔はええなあ。

「でも隣室の子が猫は苦手らしくて」

 残念ながら部屋では飼えないんですよね。言いながら肩を落とす姿見てたら、無意識で言葉が口からこぼれた。

「ほな、ボクが飼うわ」
「市丸隊長が、ですか?」
「もともと猫は嫌いやないし、さっきもイヅルに此処で飼いたいて相談しててん」
「よかったねぇ、隊長が飼ってくれるって。ありがとう、は?」

 子猫に向かってそう言いながら、彼女はその子をボクの鼻先に差し出す。ちょん、と濡れた鼻がボクに触れた。

「ホントにありがとうございます、隊長」
「そん代わり、キミもたまには面倒見に来たってな」
「はい」
「昼間は隊舎に連れてくるし、晩はボクの部屋に連れて帰るから」
「…よかった、これで安心です」

 せやせや。初めはただの思いつきやったけど、これでキミに会えるええ口実出来たやないの。今日のボク冴えてるなァ。

「名前は?」
「まだなんです。隊長が付けてあげてください」

 いつもより近い距離で彼女と視線が重なって、やっと帰って来てくれたんやなァて実感した瞬間。

 ――みゃー。

 可愛い声で鳴く子猫の舌が、さらりとボクの唇を撫でた――…!



故チュウはスルー

これ間接キスいうやつちゃうの!?ボク幸せ過ぎて仕事手ェつけへんわ。

(隊長、顔赤…)(煩い イヅル黙り)
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