やれば出来る子の証明
四番隊で薬を貰い市丸が部屋へ戻ると間もなく、ちりんと鈴の音を鳴らしてハクが部屋へ現れた。てっきりイヅルか彼女が一日面倒を見るのだろうと思い込んでいたのに、と首を傾げながら手を伸ばせば、細い尻尾を揺らして子猫は市丸の膝へ飛び乗りじゃれ始める。
「どないしたんお前」
ごろごろと喉を鳴らして懐く姿にはあの時の不遜さの欠片もない。こうしていればただの可愛らしい子猫だ。
「ボクな、ちょっと風邪気味なんやて。お前に伝染ることはないやろけど」
にゃーと鳴いて見上げる顔は心配げにすら見えて、そっと小さな身体を抱えあげると目の高さで視線を合わせた。相変わらず真っ白で顔立ちの整ったきれいな姿は、いつかの彼女を彷彿とさせる。
「こんな時彼女が看病でもしてくれたらええのになァ」
同意の色を乗せ一声鳴いたハクと鼻先をすり合わせた。待ちかねた静かな霊圧が少しずつ近づいていることに、市丸が気付く様子はない。
「今やったら熱任せに大胆な行動も出来そうやのに」
ボクはやれば出来る子ォやってこと早うイヅルに証明したりたいなァ…。市丸がそう呟いて子猫の首を撫でたら、可愛らしい瞳が彼を見つめて情のこもった声でひとつ鳴いた。
「みゃあー…」
「なんやお前、あの子に会いたいん?」
「…にゃあ?」
「ボクも会いたいかて聞いてるん?」
「にゃあ……」
「質問に質問で返すやなんて、小憎らし子やなァ」
「みゃあ」
くすりと笑ってもう一度鼻先をすり合わせれば、きちんと爪を引っ込めた肉球がやわらかく頬を撫でる。まるで慰めるように。
「お前のご主人さんは今頃どこでなにしてんねやろね」
「にゃ」
「ボクがこないに会いとうて会いとうて焦がれてる言うんに」
執務に集中してんねやろか。ハクを彼女に見立てて思い切りぎゅうっと抱きしめれば、止めてくれと言わんばかりに小さな身体が胸でじたばたと暴れた。
「堪忍…ついお前をあの子と重ねてしもた。それにしてもお前はええなあ」
いっつも彼女から色々貰たり抱きしめられたり膝に乗せてもろたりして、ほんまにボク猫になりたいわ。ハクに向かって独り言を呟きながら、部屋の外で止まった霊圧に全く気付かなかったのは、後になって思えば熱が出始めていたからだろうか。
「ボクんことももっと構てほしなぁ…こない好きやのに何で気持ち届かへんのやろ」
やっぱりイヅルが言うように、彼女がハクを理由に部屋訪ねてくれた夜にでも強行手段に出るべきなんやろか?そこまで呟いて子猫の頭を撫でようとしたら、腕のなかには既にハクの姿も形もなかった。
「ハクー、どこ行ってん」
部屋を見渡せば細く開かれた入口の傍に立ちすくむ人影がひとつ。その傍からハクの人懐っこい鳴き声がみゃあみゃあ、と聞こえている。
あら…ボクの独り言、聞かれてしもたんやろか。でもまあイヅルやったらええわ、隠すことなんて何もあれへんし。
猫を抱きしめていたせいで少し乱れた衿元を整えると、市丸は外に向かって声を張り上げる。
「イヅルか?入りぃ」
「…し、失礼致します」
眉間にシワを刻んだイヅルが現れるものとすっかり気を抜いていたら、遠慮がちな声で子猫と共に顔を現したのは――
「……っ!?え……」
ほんのり頬を染めた 彼女 だった。
「お加減が悪いとお聞きしまして」
「…っ、あ!ああ、せやねん」
「吉良副隊長の言い付けで看病に伺いました」
イヅルも看病に彼女を寄越してくれるやなんて、気ィきくやないの。タイミングはちょっと悪かったけど。心の中で呟いて、くしゅんとくしゃみをひとつ。
「お、おおおきに。ちょこっとだけ風邪気味らしいわ」
「そう…ですか」
そう言ったきり俯いてしまった彼女の髪がさらりと重力に流される。ちら、覗いた形良い耳たぶがピンク色に染まっているのを見せられたら、ついつい手を伸ばしそうになった。
小そうて可愛らしい耳やなァ。普段は髪の毛に隠れて見えへんもんが不意に見えると、無駄にどきどきするやないの。
「…っ!あ、あんなァ、」
「は い…?」
まだ俯いたままか細い声を発した彼女が、前髪の隙間から一瞬だけ視線を合わせてすぐに反らした。この反応は、先程の独り言をバッチリ聞かれてしまったということだろうか。いや、聞かれてしまったに違いない。
恥ずかしさに任せて彼女が腕の力を強めたせいなのか、胸に抱かれたハクが小さな悲鳴をあげている。
「まあ、とりあえず座りぃ」
余裕なさげな彼女を見て、逆にボクが落ち着いてくるのが不思議だ。立ったままの彼女の顔を下から見上げれば、耳たぶに負けないくらい赤く染まった頬が目に映って、ふっと口元が緩んだ。
なんや、やっぱりボクの思い込みとかやなくて、彼女もボクんこと想ってくれてるんやないの。やからボクの独り言聞いて顔赤うしてくれてんやろ?
そう思えば少し勇気が出て、目の前の小さな掌を包み込むと少し強引にぐい、と引き寄せる。
「あ……っ」
「おっとっと、危な」
「すみませ…」
彼女の腕から飛び出したハクを横目で追いながら、バランスを崩した身体を支えたところまでは良かった。なのに、彼女の香りを間近に吸い込んだら頭がくらくらして。結果、彼女と一緒に床に倒れ込んでいた。
至近距離で顔を見つめれば、眦まで赤く色付いている。やわらかい肌の感触を全身で感じて。この感覚、なんや久しぶりやなァ…女の子の身体てふわふわしててやっぱり気持ちええ。呑気にそんなことを思っていたら、目の前が真っ白。後頭部がずん、と重くなる。
あれ、ボクどないしてんやろ?天井もキミの可愛ええ顔も、なんやぐるぐる回ってるわ。ふわふわするんは彼女の身体やろか、それともボク自身やろか。
そう思った直後、ぷっつり記憶が途切れた――
◆
さっき聞こえた独り言は都合のいい空耳なのではないか、と思った。三番隊の女性隊士(だけではなく男性も)の憧れを一身に集めている市丸隊長が、自分を望んでくれるなんて夢のような話だ。
期待し過ぎる愚かさを戒めようとした瞬間に、隊長の苦しげな声が自分の名を呼ぶものだから、胸がぎゅうっと詰まってどうしようもなくなる。
「大丈夫、ですか」
「……んん…」
私の下敷きになったまま抱きしめる腕を緩めようとしない隊長は、すっかり意識を失っているのか容易には身動きが取れない。苦しげな呻きを漏らす唇から吐息がもれて頬をやさしく撫でる。随分熱っぽいその呼吸に慌てて額を合わせれば、案の定高い熱が出ていた。
「隊長、市丸隊長!」
「………」
しっかりと背中に回った腕を無理やり引き剥がして、ひとまず手近にあった座布団を頭の下に差し入れる。私の力では、布団まではとても運べそうにない。
一体どうしようかと途方に暮れていたら、突然むくりと身を起こした隊長に病人とは思えない力で抱え上げられて。
「……っ、え……?」
十秒後には当然のように並んで布団に横たわっていた…――
看病をしに来たはずなのに、がっちり腰に回ったままの腕はとても解けそうにない。向かい合う姿勢で首筋にかかる寝息が熱っぽい。苦しげに呻かれれば、自分まで熱があるような気がしてくる。
「市丸…たいちょ……」
「……ほんま扱いにくいモンやなァ、動物も女も」
「え?」
寝言とは思えないはっきりした口調が耳元に直接注がれて、もぞもぞと身を捩る。
「ちょぉ待ち」
「………あの」
「じっとしぃ。 あの子や思ってお前を抱きしめさせてぇな…ハク」
こんな時くらいええやろ?耳たぶを撫でる囁きで、隊長は私をハクだと勘違いして抱きしめていることに気が付いた。やはり意識は朦朧としていらっしゃるままらしい。甘い掠れ声がもう一度自分の名を呼んで、深いため息をもらした。
「彼女にもこれくらい大胆な行動できたらええんになァ」
「………っ」
いつもより熱っぽく熟れた声で続く譫言に、心臓が壊れそうなほど暴れている。あなたの腕のなかにいるのは、ハクちゃんじゃなく私です――そう主張したいのに、言葉にすればこの腕が簡単に解かれてしまいそうで、息を殺したまま口を噤む。
「彼女とこんな風に添い寝出来るんは一体いつになんねやろ……」
閉じた眼が間近に近づいて、鼻先を擦り合わせて。早く気付いて欲しいのか気付かれないままずっとこうして慈しまれたいのか分からずに、着物のむねもとに縋り付く。
「男の部屋に晩一人で訪ねるんは、やっぱりお前目当てなんやろなァ……ハク」
ボクほんまに猫になりたい。切実な声がそう告げて、頬をすり合わされたら、もうじっとしていられなくなった。
「隊長……」
「…………」
「市丸隊長、眼を開けてください」
「……ん?」
ゆるりと開かれた涼しげな双眸は私を映したあと、驚愕の形に変わった。まるで金魚のように口をぱくぱくしている隊長をしっかりと見据える。
「な、ななんでキミがここに…!?」
「看病、です」
「ほんなら何で隣で寝てんの」
「それは……隊長が」
「ボクが?」
ボクなんか変なことせぇへんかったやろか?ボクはやれば出来る子やから!とか確かに思っててんけど、まだ順番とかタイミングとかあるし、告白もしてへんのに布団に引きずり込むやなんて最低や。嫌われてしもたらどないしょー…。途端に目尻を下げておろおろする姿が可愛らしくて、いつもの天然タラシっぷりは何処へ消えたんだろうと思ったら、つい微笑みが漏れた。
「なにを笑ってるん?」
「いえ。私は……いつもハクちゃんと一緒にいてくださる隊長に会いに来てるんですよ」
「へ…?」
回りくどい告白だけど、ちゃんと伝わっただろうか。
「それに、告白ならもうたっぷりして頂きましたから」
「……………」
そう言ってすんなりした首筋に手を回すと、鳩が豆鉄砲喰らったような市丸隊長の頬に、そっと唇をおとした――
やれば出来る子の証明ほらな、ボクやる時はやる子ォやて言うたやろ?
(いや、寧ろそれは彼女の方が…)(イヅル、何か言うた?)fin
2010.09.14
お付き合いありがとうございました。
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