あの子が欲しい

 昼下がりの隊首室に盛大なあくびが響く。隊長の膝の上ではいつものようにハクが丸くなって眠っていた。

「ボク、ほんまに猫になってしまいたいわァ…」
「………」
「なァ…イヅル聞いてる?」
「………はい」

 市丸隊長はもともと猫みたいに気まぐれで自由気儘な人種ではないか、と思ったけれど、最近では彼女と子猫のおかげで割合真面目に執務をこなしてくれることが増えた。まあ聞き流してあげても良いかと思いながら、煎れてきたお茶をそっと机の上に置く。

「昨日の晩も彼女ボクとこ来てくれてんけどな…」

 あのホワイトデーの一件から、彼女は市丸隊長の部屋に時々訪れるようになったらしい。それなのに二人の間にはなかなか進展が見られず、周りの者はじりじりと焦れったい想いを噛み締めていた。先日も無理矢理飲み会に引っ張り出されて、乱菊さんに探りを入れられたばかりだ(その後しっかり潰された)。
 彼女が部屋に来たにしてはやけに憂鬱そうに会話を切り出した隊長を見つめて、イヅルは眉間にシワの寄った表情のまま首を傾げた。

「昨日何かあったのですか?」
「そう、それが問題やねん!」
「………はあ」
「夜に一人でボクの部屋に来てくれてんのに、まだ何にもないんやで」

 彼女どこまで照れ屋さんなんやろなあ、ほんま参るわ。そう言葉を続けると隊長の頬が少し持ち上がった。

「照れ隠しにいっつも“これをハクちゃんに”言うて何か持って来るんや」
「……そう、ですか」
「そんな理由つけへんでも、彼女やったらいつ来ても構へんのに」

 なるほど。隊長には非常に申し訳ないけれど、彼女の主目的はおそらく90%くらい猫なのに違いない。照れ隠しでも何でもなく。だからきっと何も起こらないのだ。
 というより、泣く子も黙る女誑しで鳴らした市丸隊長が自ら手を出さずに彼女の行動を待っているだけ、というのが解せない。

「だったら隊長から行動を起こされれば良いではないですか」
「そないなこと簡単に出来る訳ないやないの!」
「いつもなさってるじゃ…」
「彼女が近づくだけで心臓が壊れそやのに、どないしたええの…」

 珍しく眦を下げた情けない顔で見つめられて、咄嗟に言葉を飲み込んだ。どないしたええの、って。これまで散々女性を口説き落として侍らせていたのは何だったんですか?あれは僕の幻想ですか?

「………」
「ボクなんや悪い病気と違うやろか」
「間違いないですね」
「やっぱり?」
「恋患いという名の病気です。それもかなり重症の」


 厭味混じりの僕の台詞は隊長の耳に届かなかったようだ。それとも意図的に無視されたのだろうか。市丸隊長は昨夜の彼女に想いを馳せているのか、うっとりした表情になって言葉を続けた。今の所は黙って付き合うしかなさそうだ。

「昨日はハクに“木天蓼”言うんを持ってきてん」
「猫は好きですから」
「せや。噛んでた思たら、気持ち良さそうに喉鳴らし始めてな」
「酔ったんですね」
「これみよがしにフラフラしながら彼女の膝の上に乗り出してんで」
「別に一般的な猫の反応じゃないですか」
「何言うてるん、イヅルのアホ!ボクかてまだ一回もそんなんしたことないんに」

 と言うか、あなたは彼女の膝の上に乗りたいんですか?どちらかと言うとあなたが彼女を膝の上に乗せる方が自然だと思うんですけど。それか、せいぜい膝枕でしょう?
 隊長はきっと頭に血が昇って自分の言っていることの不自然さにも気が付いていないのだろう。そんな彼を見つめて、イヅルはため息を噛み殺す。

「彼女の膝…」
「………」
「せやからボクも猫になりたいて言うてるんやないの!」

 本気で憤慨した様子で隊長がバン、と机を叩いた瞬間、気持ち良さそうに目を閉じていたハクは彼の膝から飛び降りる。

「しかもそん時チラリとボクを見たハクは“どや顔”しとってん」
「いや、隊長の気のせいじゃないんですか?」
「そんなことないわ、絶対あれはわざとや。そうに決まってる!」

 猫相手に何を対抗意識燃やしているのですか、あなたは。イヅルが堪え切れず盛大なため息を漏らしたのと同時に、隊首室の傍へ見知った霊圧が近づく。噂の張本人、彼女だ。途端にそわそわし始めた隊長を横目に見つつ、イヅルはがっくりと肩を落とした。


「市丸隊長、少しだけお時間よろしいでしょうか?」
「…え、ええよ。入っておいで」

 急に上ずった声を出す隊長に苦笑を噛み殺しながら、僕は尻尾を揺らしつつ優雅に部屋を徘徊する子猫を眼で追っていた。

「失礼致します、この書類なのですが」
「あ、ああ。なん?」

 浮足立った隊長とは対象的に静かな落ち着いた笑みを浮かべた彼女が部屋に入るなり、ハクはこれみよがしにその足元へ纏わり付く。自然な仕草で抱き上げられた子猫は、当たり前のような顔をして彼女の胸にしがみついた。小首を傾げてちらり、時々隊長を見ては彼女の胸元に頭を擦りつけている。

「ほらな、イヅル見たやろ?」
「……………はい」

 声を潜めて囁く隊長の方へ身を寄せそっとハクを盗み見ると、確かに不遜な表情に見えないこともない。にゃーと一声鳴いた響きがまるで「お前はこんなこと出来ねーだろ。ザマアミロ!」と言っているように聞こえた。僕にも隊長の変な病気が伝染してしまったのだろうか。

「急ぎの書類らしいので、後で取りに参りますね」
「ん…分かった」
「その間、ハクちゃんをお借りしていても宜しいでしょうか?」
「…………ええよ」

 ほんまは嫌やけど。ぼそり、小さく続いた隊長の声は彼女の耳に届かなかったらしい。猫を抱いたまま立ち去る彼女の背中をじっと見つめる隊長の目には、いつになく憂いが宿っていた。


「ほら、隊長。お茶でも飲んで」
「せやな」

 ずずっと音を立ててぬるくなったお茶を啜る姿は寂しげで、ついつい絆されそうになる。

「残りの書類、僕も手伝いますから」
「おおきにイヅル」
「まあ、ハクちゃんはただの子猫ですからね」
「でも雄やで?」
「いくら雄でも、あの子には何も出来ないでしょう?」

 慰めの言葉を吐きながら、そっとお茶請けの干し柿を差し出した。ここでやる気を失われては、まだまだ掃けず大量に残っている書類の行方も心配だ。

「あれやろか」
「なんですか?」
「猫を木天蓼で酔わして見せたんは、もしかしたら彼女なりの誘いなんやろか」
「は?」
「ボクんこと酔わして、ハクみたいに襲ってくれって言う回りくどい誘惑なんちゃうやろか、て今思てん」

 そう言うと、さっきまで落ち込んでいた人間とは思えない位生き生きと目を輝かせ始めた隊長に、呆れて物も言えない。

「そうや、きっとそうに決まってる!」

 力強く呟く姿を見て、元気を取り戻してくれたことに安堵すべきなのかガッカリするべきなのかイヅルはいつまでも迷っていた。





 翌朝隊首室を訪れると、くしゃん。くしゅん。続けざまにくしゃみを漏らしている隊長が、所在なげに机に向かっている。

「お風邪でも引かれたんですか?」
「ちゃうねん、早速昨日の晩やってみてんよ」
「何をです」
「木天蓼やないの」

 日頃から破天荒な事ばかりしている隊長だけれど、まさかそんなにバカげたことを本気でやるとは思わなかった。僕はもっと必死で止めておくべきだっただろうか。という以前に、木天蓼と風邪とがどう結びつくのか凡人の僕には理解できず、隊長の言葉の続きを待つ。

「話は長うなるんやけどな」
「……まあ、いいですよ。どうぞ」
「昨日はな、ご飯作ってきた言うて彼女がボクの部屋に来てくれてん」

 それだけを聞いて、彼女の方も満更誘う気がない訳ではないのかもしれない、と話の行方を期待してしまった僕がバカだった。

「そうやって期待させといてな、結局は“猫のごはん”やってんで」
「やっぱりそういうオチですか」
「オチって何や、人聞き悪いなぁイヅル。そない曲った見方するもんやないよ」

 だいたいイヅルはなァ…。隊長はまるで水を得た魚のように喋り始める。ただでさえあちらこちらに飛ぶ隊長の話がまた脱線しそうになっているのに気付いて、慌てて僕は軌道修正を試みる。

「それで、木天蓼がどうしたんです?」
「そうそう。ほんでな、ご飯の後にまた木天蓼嗅いだ猫と彼女がじゃれててんけど」

 そこまで喋ると苦虫を噛み潰したような顔になって、隊長はまたひとつくしゃみを漏らす。相当具合が悪そうだ。

「あのエロ猫、彼女の浴衣の中に忍び込んだり、変なところ舐めたりしてな」
「………ええ」

 話をまとめると、ハクの天真爛漫で傍若無人な行いのたびに彼女が漏らす「くすぐったいでしょ」とか「そんなとこに潜っちゃダメ」とか「こらこら、舐めないの」とか言う台詞に、いちいち隊長は反応して、一晩中悶々とさせられたらしい。

「これが誘いやなくて何や言うん?」
「いや、勘違いだと思うんですが…」
「やっぱりここは、彼女の気持ちに応えてあげたい思うやん?」
「いや、だから全部隊長の勘違いです」
「それでな、意を決して木天蓼ボクも匂ってみてんけど、」

 僕の言葉も全く耳に入らぬ様子でそこまで喋ると隊長はいったん言葉を中断して、ひときわ大きなくしゃみを吐き出した。良く見れば目も(ほんの少ししか開いていないけれど)充血して、鼻もぐすぐすと啜っている。

「大丈夫ですか?」
「なんや木天蓼匂った途端くしゃみが止まらんなってもてん」
「……アホ ですね」

 あれやろか。現世で流行ってる“花粉症”いうヤツやろか?と鼻水をすすりながら言葉を続ける隊長を見つめて、イヅルは遣る瀬無い想いに満たされる。隊長が本気になって口説きさえすれば、きっとすぐにでも上手く行きそうなふたりなのに。

「ホントにあなたは何をしていらっしゃるんですか」
「何って、彼女が木天蓼でボクを酔わそう言う誘いに乗ろうかと」
「もっとダイレクトで手っ取り早い方法がいくらでもあるじゃないですか!」
「そないに大声出さんとって」

 ちょっと頭も痛いねん。こめかみを押さえながら頼りなく呟く姿をがっくりと肩を落として眺める。
 あなたは一体いつまでタイミングを計れずにいるつもりですか、どこまでおバカモード驀進するつもりですか。いっそのこと勢い任せに押し倒すぐらいでなくてどうします!僕は、絶対にこういう部分だけは隊長を見習わない。

「イヅル、ボクちょっと四番さん行ってくるわ」
「そのまま今日はお部屋へお戻りください」
「おおきに、あとよろしゅうな」

 ふらふらと隊首室を出ていく背中を見守りながら、また観察日記に付け加えるべき事項が増えてしまったことをこっそり嘆いているイヅルだった。





「君、悪いけど1時間位したら隊長の部屋へ看病に行ってあげてくれないか」
「市丸隊長、具合お悪いんですか?」
「まあね。でも大丈夫だよ」

 多分 一番の特効薬は君だから――



あの子がしい

あなたがタイミングを計れないのなら、僕が無理矢理にでもチャンスを作ってさしあげます(全く手のかかる御人だ…)。
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