口止めのキス 寸止めの好き

 緩みっぱなしの頬を引き締めることもできず、猫耳コスをしたままのギンの脳内ではいろいろな映像(主にいかがわしいもの)が飛び交っていた。
 乱菊の話によれば、ボクが間違うて彼女に渡してしもたんは、レースぴらっぴらのかなりセクシーなランジェリーらしい。ほんならさっき彼女が「特別なときに使わせて頂きます」言うたんは、やっぱりボクの前でボクのために…てことやってんなァ?

「そうかぁ、そうなんや…」

 それにしても、アレ彼女にサイズ合うんやろか?乱菊みたいにいつもこれみよがしな露出はしてへんけど、彼女も実は犯罪級の巨乳を隠し持ってる言うことやろか。まさか!?
 いやいやいや、ボク別にいかがわしい情景なんていっこも思い浮かべてへんで。ちゃうちゃう、ボクそんなイヅルみたいなむっつり助平ちがうから。

「隊長…市丸隊長」
「せやけどほんまに彼女がボクの子ォ欲しいて望んでんやったら、彼女のそういう姿思い浮かべただけでドキドキしてる場合ちゃうやないの」
「隊長……貴方は……アホですか」
「いやいやいや…」

 イヅルが何か喋ってんのは分かったけど、頭のなかの妄想だけでいっぱいいっぱいのボクには内容なんてまったく入って来ぇへんかった。
 今思い浮かべてるんより、もっとずっとすごいことするんやから腹くくらんなアカン。ぶるぶると首を振ったら、ぎゅうっと耳を引っ張られる。それも猫耳やなくて、ボクの自前の耳のほう。

「痛ッ!イタイて、何すんの乱!」
「何するのじゃないわよ、バカ」
「なにが?」

 おまけに乱菊は「気持ち悪い顔」と吐き捨てるように言って、くちびるの両端を思い切り左右に引っ張った。ほんまに痛い、裂ける。

「彼女のそういう姿ってどういう姿?」
「そ、そ……そんなんここで言える訳ないやないの。乱菊のアホ」
「気持ち悪い想像してるより先にヤることあるでしょう」

 ヤることて!いや、ヤることをヤらんな子供なんて出来ひんのやけど、こない明るい内から急かされても。ボクかて恥ずかしい思うことあるんやし、まさか乱に……女にそんなん言われるやなんて思わへんから。
 でも、確かに。彼女がほんまに欲しいモンをプレゼントしたるんがボクに出来ることや。そう思いながらボクは尻尾をゆらゆらと揺らした。

「せやな…」
「そうですよ隊長。さっさとヤること済ませて…」
「ヤること済ませて、て イヅルが言うとなんやヤらしいなァ」
「なっ!」
「しかも、ボクそんな早うないし」
「な、なにをさりげなく大人発言などなさってるんですか」

 僕が申し上げたいのは、そういうことではありません!と声を荒げるイヅルに不機嫌な顔を向けて無言で抗議する。だいたい、話振ったんイヅルやん?何でボクばっかり責められてんの。

「なにを苛々してんのイヅル」
「一体どうなさるおつもりですか?」
「こんなんは、いきなりヤれるモンちがうしなァ。順序よう進めな…」

 そこまでボクが喋ったら、イヅルは盛大なため息をついた。そんなんしてたら幸せが逃げてしまう、ていつも言うてんのに。

「ギン、あんたどこまでバカなの?」
「酷いなァ、乱…」
「イヅルが言いたいのはそういうことじゃなくて、どうやって私の勝負下着と、このゴスロリ衣装を交換するのかってことでしょう?」
「せや!せやった…ボクまだ彼女にちゃんとホワイトデーのお返し出来てへんねや」
「やっと思い出して下さいましたか」
「そやかて、ボクもうすぐ隊首会でここ出なアカンし」
「僕は知りませんよ」
「……どないしょー」
「知らないわよ。どうにかするしかないでしょ!?」

 やっと我に返ったボクの膝で、退屈したようにハクがみゃあと鳴いた。



 あれから乱菊に多大な貢ぎ物と引き換えに彼女への伝言を頼んで、ボクは一番隊舎へ向かった。もちろん猫耳と尻尾は丁重に外して自隊舎に置いてきた(本当はそのまま外出しかけて、イヅルに必死の形相で止められたのだ)。
 その日は隊首会のあとに面白くも何ともない食事会の席まで用意されていて、完全に解放されたのは夜半すぎ。
 よりによってなんでこない大事な日ィにそんな予定組むんやろ。おかげで彼女の誤解を解くんが遅なってしもたやないの。これでこじれたら一体誰が責任とってくれはるん?

「ただいまー」
「お疲れ様です、市丸隊長」

 勢い込んで走り戻った隊舎には、もうくたびれたイヅルの姿しかなかった。

「なんで彼女引き止めてくれへんかったん?イヅルのアホ!」
「こんなに遅い時間まで女性を引き止める訳にいかないでしょう?」
「そんなんボクが送って帰ればええ話やないの!」
「我儘仰らないで下さい」
「はぁー…、もう帰るわ」

 がっくりと項垂れてハクの姿を探したが、いつもの定位置に子猫の姿はない。どこか散歩にでも行ってんねやろか?

「ああ、隊長。ハクちゃんですが、」
「あの子、どこ行ってんやろ?ボクの席にいてへんねんけど迷子やろか。誘拐されたんちゃうやろか」
「彼女に連れ帰って貰いましたので」
「は……?彼女の部屋では猫飼われへん言うてたやろ?やのに連れ帰ったてことは彼女自分の部屋とはちゃうとこに居てんのやろか。ボク今夜のうちに訪ねよ思てたのに…」
「ですから、最後までお話をお聞きください」
「せやけどもうホワイトデー過ぎてしまうやないの……」
「こら黙れっ!……失礼しました。今夜の内に折を見て彼女がハクちゃんを隊長のお部屋へ連れて行く、とのことです」

 ほんならボクが部屋で待ってたら、彼女が訪ねて来てくれるいうことなん?

「イヅル、ようやった!おおきに」
「だから人の話は最後までお聞きください、といつも申し上げているでしょう?まったく市丸隊長は……」

 イヅルはがみがみとまだ何かを喋っていたけれど、ボクは居ても立ってもいられずにラッピングされたゴスロリ衣装と猫耳セットを引っ掴むと隊舎を飛び出した。やって、彼女を暗い中で待たせてしもたら大変やん。
 早足で歩きながら猫耳と尻尾を装着する。闇のなかきれいな月がボクの足元を優しく照らしていた。



 ボクが自室に戻って間もなく、外からみゃあと聞き慣れた鳴き声が耳に入る。待ちきれずに自ら障子を開けば、風呂上がりなのかまだ髪の濡れた彼女とハクが立っていた。

「いらっしゃい」
「遅くなりました」
「ボクもいま帰ったばかりや」

 入りぃ。と、勢い任せに手をのばせば素直に委ねられた彼女の手は思いの外あたたかい。照れを隠すようにぐいと引いたら敷居に躓いた彼女の身体がぐらりと傾く。

「あ……」
「っと!」

 咄嗟に身体を支える。彼女の髪の毛からふわりとイイ香りが漂った。

「すみません」
「相変わらずキミはそそっかしいなァ」

 帰ったばかりでまだ明かりも燈していない薄暗い部屋で、急速に距離が縮んだら、なにをどうしたらいいのかわからなくなった。彼女の細い身体が、ボクの胸にぴったりと張り付いている。

「キミの髪、ええ匂いやね」
「え……あの」

 立ちのぼるその香りは、いつもとは違う。抱きしめたままの腕を離せずに部屋の入口で絡み合ったボクらの足元を、ハクがするりと擦り抜ける。ちりん、軽妙な鈴の音が薄暗い室内に響いた。

「ごめん、こんなん言うたらセクハラやろか」
「い、いえ。これ、吉良副隊長に頂いたシャンプーなんですよ」
「イヅルに?」
「なんでも現世で話題の品らしくて」
「へぇー……」

 抱きしめて近くに感じるイヅルの選んだ香に、くらくらするほどに苛立ちが募る。なんでそないなモン選んでんねんイヅルは。明日虐めたらな気ィ済めへん。

「今日初めて使わせて頂いたんですが、本当にいい香りですよね」
「そうかァ?」
「ええ。吉良副隊長はいつも趣味が良くていらっしゃいますから」
「………」
「お優しいしさりげない気遣いにも厭味がなくて、」

 彼女の唇から次々に零れおちるイヅルへの賞賛の言葉と、漂う香りの甘さに、まるで彼女をイヅルに取られた錯覚に陥る。

「三番隊の女性隊士たちに人気がおありなのも分か……」

 頭がカッとして、胸がざわざわと騒いで。気が付いたらそのお喋りな唇を塞いでいた。

「……っ!」

 聞き続けたくなかった。衝動的にそんなことをした自分に驚きつつ、たった一瞬だけ触れてはなれた唇の溶けそうにやわらかい感触で一気に全身が熱い。
 ――ボク、何やってんの。

 ちいさく藻掻かれて腕を渋々解けば、力の抜けた彼女は重力に従ってぺたりと畳の上に崩れ落ちる。

「いちま、る…隊長」
「か、堪忍…ボク、」

 空気を変えるために慌てて明かりを燈して、動けず固まっている彼女を抱き起こすと、座布団のうえにそっとおろす。きちんと正座した彼女の膝へ当たり前のように飛び乗るハクが羨ましかった。

「………」
「………」
「……まだ、」
「ん?」
「…まだ、猫耳をつけていらっしゃったんですね」
「せや!キミにホワイトデーのお返し渡すまでは、と思て」

 そう言って手にしていた包みを勢いよく差し出した。今度こそ彼女のために買ってきた正しい包みだ。

「お気を遣わせてしまってすみません」
「ボクん方こそほんまにごめんなァ」
「朝は、びっくりしました…けど」
「あれはな、乱からの頼まれモンやってん。なんかの手違いで」
「私も変だなとは思ったのですが」

 彼女に無事目的のモノを渡せたことにホッとして、手探りで猫耳を外すともう一度頭を下げた。

「ほんまとんでもないセクハラ上司やと誤解されそなモン渡してしもて、堪忍」
「大丈夫ですよ」

 やわらかい笑顔。静かに言葉を交わしている間、頭を撫でられているハクを見ていたら、また無意識で自分の頭を差し出しそうになる。
 笑い飛ばされるかと思ったのに、彼女は白い腕をそっとボクの頭の方へと伸ばした。

「市丸隊長、もう少し頭をこちらへ」
「………!」

 ホンマにボクの頭も撫でてくれるんやろか!?そう思うだけで、心臓はドキドキバクバクとうるさい。じりじりと近付く白い掌を見つめることも出来ずに眼を伏せる。
 あとすこし。あと数センチ――


「とれた」

 しなやかな指先がボクの髪に触れる。やっと撫でてもらえると身構えたら、予想に反し一瞬で離れるそれ。

「…え?」
「髪の毛に糸屑が」

 そんな紛らわしい仕種されたら勘違いするやないの。彼女の行動の理由がわかった途端、強張った身体からは力がぬけ、大きなため息が零れる。

「どうなさったんですか?」
「いや。何もあらへんよ…」
「そうだ!今日はハクちゃんもお揃いの匂いなんですよ」

 膝の上から抱き上げられた子猫は嬉しそうにひとつ鳴く。

「さっき一緒にお風呂入れてあげたんです」
「なんで?」
「ホワイトデーのお返しいただいたし。ねえ、ハクちゃん」

 そう言って鼻先を擦り合わせる姿をじっと見つめる。ちょお待って…そのハクのネコ缶もろた分のお返しかて、ボクが買うてきたんに。ハクだけ一緒にお風呂入るなんて狡いわ。

「ホワイトデーはハクの日だもんね」

 は…ホンマや。ホワイトデーは白い日でハクの日ィやないの。

「ほんならボクも改名する。ギンやのうてシロにするさかい、一緒にお風呂入って!」
「ちょ…市丸隊長?」
「それか、シルバーデーてないの?」


「……………敬老の日、ですか?」



口止めのキス 寸止めの

ほな、その日にはボクと絶対一緒にお風呂入ってな!

 本当にそれでいいのか?市丸ギン――
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