恋の二重トラップ

「吉良副隊長も休憩なさいませんか」
「ああ…そうだな」
「お茶をお入れしますので隊首室へ」

 市丸隊長がおやつをご用意下さったらしいですよ、と彼女に声をかけられたのは、十番隊舎より戻って数時間が経過したころだった。ふと顔をあげれば、すっかり陽は落ちて外には宵の影が訪れている。
 同じ姿勢で固まってしまった首をコキコキ鳴らしながら、イヅルは隊首室へ向かった。

「あー…イヅル、お疲れさん」
「お疲れ様です」

 腰を降ろしたソファの前には、買い物途中に現世のパン屋で購入してきた菓子パンが並んでいる。早速ひとつを取り上げた隊長が、不思議そうに首を傾げたのと同時に、お茶を持った彼女が現れた。

「これな…不思議なんよ」
「なにがですか?」
「メロンパン言うから買うてみたんに、メロンなんか入ってへんやん」

 隊長の手で真っ二つに割られたそれは、いわゆるごく一般的なメロンパンだ。

「ボク、騙されたんやろか?」

 くつくつと笑った彼女を、市丸隊長は不思議そうに見つめる。

「違いますよ。ね、吉良副隊長」
「ええ。元々なにも入っていないモノなんです」
「え?メロンパンて、メロン入ってないん?」
「はい」

 カタチがメロンに似ているというだけのこと。

「でも、ほら…同じ店で山崎クンいう子が買うてたあんパンには、餡子入ってたやん」
「山崎?……ああ」

 黒髪を振り乱し狂ったようにあんパンばかりを買い集め、貪り喰っていた青年の姿は異様で、僕の印象にも残っている。たしかにあのあんパンの中には餡子が入っていた。

「クリームパンやジャムパンにも名前通りの物が入ってますよね」

 彼女の同意で調子に乗った隊長は、水を得た魚のように言葉を続ける。

「せや!タコ焼きにも蛸は付き物やし。なんでメロンパンだけメロン入ってへんの?」
「タコ焼きはパンじゃありませんが」
「細かいなぁイヅル」

 いちいちカチンと来ることを仰るヒトだ。

「では逆に隊長にお聞きします。どら焼きに銅鑼は入っていますか?」
「入ってる訳ないやろ!そんなん入ってたら歯ァ折れてしまうわ」
「ではなぜどら焼きと?」
「アレはカタチが銅鑼みたいやからどら焼きて言うんやろ」
「メロンパンもそれと同じことです」
「あ………ほんまや」
「そうでしょう?だいたい隊長は…」

 語気を荒げ説明をつづけようとしたら、「お茶が冷めますよ」と、彼女の涼やかな声にやんわり遮られる。
 イヅルはあんパンを手に取りお茶を啜りながら、隊長は一体いつの間にあの"あんパン青年"の名前を知ったのだろう…と、どうでも良いことを考えていた。





 本当に市丸隊長は再び猫のコスプレをして "ニャンコでゲットプロポーズ大作戦" とやらを決行なさるおつもりだろうか。
 そんなことを考えながら眠りについたせいか、ホワイトデー当日の朝、イヅルは久しぶりにまた超絶問題児市丸くんの夢を見た。


「市丸くん、ちょっとちょっと」
「なん?なんやくれはるん?」

 市丸くんを手招きしているのは京楽先生。僕はその場にいないことになっているのか、二人の目には映らないらしい。

「君、スリーサイズって言葉は知っているかい?」
「なにそれ」
「じゃあ、イヅル先生に頼まれたフリして彼女に聞いてみてごらん?」

 京楽先生が顎で示した先には、ひそかに僕が懸想している彼女の姿。子供になんという言葉を教えているんだと驚く以前に、なぜそこで僕の名を出す必要があるのだと憤慨した。

「なんでそんなんせなアカンの?」

 そうそう、市丸くん よく言った。邪な大人の思惑に躍らされる必要はないんだよ。

「だって、市丸君おもしろいこと好きだろう?」
「うん。好きー」
「だったら僕の教えた通りに言ってごらん。きっと面白いことが起こるよ」
「ほんま?」
「ああ」
「分かった!イヅル、あの別嬪サンな先生のこと狙てるもんなァ」

 なんで。なんで君はそんなに簡単に流されるんだ?そしてなぜ子供にまで僕の気持ちが見抜かれているんだ。

「その時のイヅル先生が見ものだよ」
「ほな、明日にでもやってみるわ!!」
「そうだそうだ……彼女のスリーサイズ、分かったら僕にも教えてね」
「わかった!じゃーな、京楽のおっちゃん」
「こら、おっちゃんじゃなくて京楽先生でしょう」
「細かい男はモテへんで〜」


 そういうことか。「スリーサイズ」という単語を幼稚園児が知っているからには、誰か大人が教えたのに違いないとは思っていたけれど、夢のなかでもこんな具合につじつまが合うものなんだ。
 僕の脳内は寝ているときまで、こんなにも市丸隊長に浸蝕され支配されている。眠ったはずなのに、寝起きからぐったりしているのは気のせいではないようだ。

 ため息をつきながら出廷したら、すでに猫耳と尻尾を身につけた隊長が愛猫と並んで隊首室にいた。

「おはようございます」
「おはようさん、イヅル」

 気持ちええ朝やなァ。抱き上げた猫の背を撫でながら、かなり上機嫌の狐面をさらしている隊長にため息しか出ない。

「一日中その格好でいるのはやめてくださいね」
「コレ?」

 皆に評判ええのになァ、ハク。尻尾をゆらゆらと揺らしながら言われた瞬間に、眉間のシワが深まるのが自分でも分かった。

「とにかく、さっさとヤることを済ませてソレを外してください!」
「何を苛々してんのイヅル」
「してません」

 くだらないやり取りを繰り返していたら、お茶を手に彼女が入って来た。

「朝から賑やかですね」
「お…お、おはようさん、あんな」
「はい」
「あの……ボク、」

 隊長にしてみれば彼女の登場はかなりの不意打ちだったのだろう。まともな言葉も紡げない様子に、僕はこっそりイイ気味だと思った。

「今日はハクちゃんとお揃いなんですね?」
「そ……そやねん!似合てる?」
「ええ。良くお似合いですよ」

 良かったねぇ、ハクちゃん。と続けながら彼女は隊長の膝の上の子猫を撫でる。それを物欲しげな目で隊長は見つめていた。今にもまた、自分の頭を差し出して撫でてくれと言わんばかりの顔で。

「隊長。彼女になにか言うことがあるのでは?」
「せや!せやった、今日はホワイトデーやさかいコレ」
「ありがとうございます。2つも?」
「ボクからと、ハクからや」
「ハクちゃんからも、ですか?」
「そっちのデカいんがボクからやで」
「お気遣いすみません」

 渡された包みの中を覗き込んだ彼女が、わずかに頬を染めたように見えたのは気のせいだろうか。

「ほんでな……えっと…………あの………ボク、」
「はい」
「………………っ、キミ」

 隊長の緊張にあわせて、尻尾がゆらゆらと揺れている。見ているボクのほうがじれったくて敵わない。

「キミ、猫好きやん?」
「ええ」
「せやから今日はこんな格好してん」
「三番隊の他の女性隊士たちも大喜びしてましたよ」
「ほんま?」
「はい」
「………」
「………」

 続くむず痒い沈黙に堪えきれなくなって、僕は自分が用意していた包みを彼女へと手渡す。

「これは僕から。いつもお世話になっているほんのお礼だよ」
「副隊長まで、お気遣いすみません」

 彼女は明らかに隊長から渡されたときよりも嬉しそうな反応を示した。僕のはただの実用品なんだけど。

「早速、明日からでも使わせていただきますね」

 喜んでもらえるのはもちろん嬉しいが、それよりも隊長が拗ねて僕に当たるのではないか、というのが恐ろしい。じっとりと粘着質な視線を横顔に感じて寒気がする。僕はタイミングを誤っただろうか、と自分を責めはじめた頃。

「隊長からの頂きものは特別なときに使わせていただきますので」

 か細く聞こえた彼女の一言で、隊長は急にニヤニヤした表情に一変する。助かった、のか?
 一礼し「仕事に戻ります」と立ち去る彼女を見送り、イヅルは安堵のため息をこぼした。


「イヅル聞いた?特別なときやって」
「はい。ところで、何をお渡しになられたのですか?」
「最後選んでくれたんイヅルやん」

 先日はかなり苛々していたのでどちらが良いかと問われ、適当な返事を返した覚えがある。

「ごすろり、とか言う現世の衣装や」
「……やたらフリフリした」
「せや。ほら、ボクによう似た声の変態サンいてたやろ」
「ああ…あの糸目の」
「そうそう。眼ェ閉じてるとこまでボクに似てたよなァ」
「………まあ」

 あの日、現世でいつまでも決まらない隊長の買い物に辟易していたら、ある店で長髪の男性に声をかけられたのだった。

「何かお探しか?」

 その声があまりにも隊長に似ていたので「探してるのは貴方でしょう!?」と半ば苛立ち混じりで振り返れば、そこには隊長とは似ても似つかない着物をきっちり着こんだ男が立っていて。
 事情を話せばその東城と名乗る紳士が、買い物に手を貸してくれるという。

「女子への贈り物ならば私にお任せくだされ」
「おおきに、アンタええ人やね」

 僕はといえば、左右から聞こえてくるあまりに似た声での会話に、頭をゆさゆさと揺さぶられている気分だった。
 かたやゴスロリやメイド服について熱苦しく語り続け、かたや彼女の魅力について見ず知らずの相手にのろけ続ける。変な具合に意気投合した変態糸目二人の間に挟まれた僕の気持ち……お察し下さい。

「貴方も特別な女性にこれを着せてみたいとは思われませぬか?」
「ええねェ。彼女にはどっちも似合う思うわ」

 これとこれ、どっちがええかな?と隊長があの時悩んでいたのは、そうだ――ゴスロリとメイド服だった。今更やっと気付いたイヅルは、お茶を啜りながら深いため息を飲み込んだ。

「あの人ほんまええ人やったなァ」
「東城さん、ですか?」
「そうそう。彼にあのあんパン買うてた子ォの名前も教えてもろてん」
「へぇー……」
「変態やったけど」

 猫耳と尻尾をつけてニヤニヤしている今の貴方も、彼に負けず劣らずの変態だと思いますよ。イヅルは腹の中だけで毒づく。
 そろそろ仕事を始めないとな、と思いつつ、早朝の悪夢からあまりにも立て続けに脱力感に襲われて、イヅルはなかなか立ち上がれない。
 するとノックもなしに隊首室の扉が開き、乱菊さんが現れた。

「ちょっと〜、ギン。頼んでたのが一つ足りないわよ?」
「なんやの乱、朝から騒々しな」
「そんなこと言ってていいの?」
「どういうことや」
「これアンタのじゃないかと思って、善意で慌てて来てあげたのに」

 乱菊さんから包みを受け取った隊長の顔がみるみる青ざめる。そっと袋から取り出されたのは、フリフリのゴスロリ衣装+可愛くラッピングされたお菓子だった。

「乱菊……足りひんかったんて何?」
「下着よ〜、勝 負 下 着 !!」

 間違って彼女に渡しちゃう前にはやく交換してよね。

「もう遅い。さっき渡してしもてん」
「アンタ、バカじゃないの」
「どないしょー………」

 一瞬おろおろした市丸隊長は、すぐに今まで見たことがないほど最強に気持ち悪いにやけ顔を取り戻す。きっとまた独自の思い込みに基づく変な理論を展開しているのだろうが、この人のポジティブさには呆れを通り越して尊敬したくなる。

「――勝負下着?」
「そう。ピラッピラのレースたっぷりの」
「ほんならさっきの"特別なとき"言うんは、やっぱり…、やっぱりボクとの夜を想定してんやろか?」
「違うと思います」
「やっぱり彼女はボクん子供がほしかったんちゃう!?せや、絶対そうに決まってる」
「違うと思います」
「そんなんやったらプレゼントはボクの子供やとかなんとか言うたほうがよかったんちゃうやろか?」
「違うと思います」
「ああ…ボクとしたことが失敗や!!」
「そうですね、大失敗だと思います」
「きっとなんやヘンな罠に落ちてん」

 すっかり妄想世界へ飛んでしまった隊長に、僕の厭味の言葉はまったく届かない。

「いや、むしろ神様の善意にもとづく遊び心満載の悪戯かもしれん」
「……ギンって、本気でおバカなのね」
「今頃お気づきですか、松本副隊長」
「知ってた…けど」

 イヅルは思い切り呆れたまま、乱菊とふたり深いふかいため息をついた。



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