ハートは眼で撃ち抜け

「……市丸隊長」

 廊下からか細い声が聞こえて、市丸はいそいそと立ち上がる。ちりん、鈴の音を鳴らして愛猫が後ろを続いた。

「よう来たね、入り」

 月の綺麗な夜、燭台に照らされた室内は仄かな温かい色に染まっている。羽織も死霸装も脱いで寛いだ着流し姿の市丸は、いつもより柔らかい空気を纏っていた。

「お邪魔します」
「全然お邪魔ちがうよ」

 ニッコリと張り付けられた胡散臭い笑みの裏で、市丸はかなりそわそわしているのだが、彼女がそれに気付く様子はない。足元に擦り寄る子猫を抱き上げて、市丸の後に続いた。

 こん子を拾てから早数週間。彼女がいつ訪ねてくれるんかて首を長うして待っててんけど、やっとほんまに遊びに来てくれたんやな。と思たら、心臓がバクバクして何を喋ったらええか全然分からへん。

「………」
「…………」
「……………」
「………………」
「………あの」
「……ん?」
「…いえ」

 向かい合う座布団に二人揃ってきっちり正座したまま、無言でどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。優雅にこの夜を楽しんでいるのは多分ハクだけ。さっきから彼女の膝の上で優しく撫でられて、ごろごろと咽喉を鳴らしている。
 ほんまにお前はええなァ。ボクも猫になりたい。

「あ、あああ…あん な」
「はい」
「……ん゙、んん゙っ」

 何を喋ればよいのかわからないまま取り敢えず口を開いてみたが、言葉は上手く出て来ない。急に塞がってしまった器官に空気をとりこむように、市丸は何度か咳ばらいを繰り返した。

「市丸隊長。咽喉が…」
「…っ堪忍!咽喉渇いたよな、ボクお客サンにお茶も出さんと」
「い、いえ。そういうことではなく」
「お茶じゃないほうがええん?夜やからお酒とか、気ィきかんでごめんな」
「それも違います…」
「ちゃうの?」
「ええ、喉は渇いてませんよ」

 そう言ってやわらかく微笑む彼女に見惚れ、胸の奥がきゅうっと音を立てた。いつ見てもええ笑顔やなァ。

「それより市丸隊長、具合でもお悪いのでは」
「ボクはなんでもあれへんよ」
「でも咳が。まだ冷えますし、お風邪でも召されたのではありませんか?」
「………いや」
「油断大敵と言いますし、早めに横になられた方がよろしいかと」

 せっかくキミが来てくれてるんに寝るやなんて勿体ない。いや、待て…もしかしたらこれって照れ屋サンな彼女なりの精一杯の誘い文句なん違うやろか。まさか……な。
 こんなんイヅルに話したら「貴方はどうしていつも自分に都合の良いようにばかり解釈なさるんですか!?」って、また怒られてまう。せや、ボクの考えすぎや。

「お布団のご用意は、私がいたしますので」
「………あの」
「一緒に参りましょう。寝所はどちらですか?」

 って……いま彼女なんて言うた?寝所へ行きたい言われた気ィするんやけど、空耳やろか。

「……え?」
「寝所はどちらなのでしょうか?」
「………っ」
「一般隊士や席官の部屋と違って隊長のお部屋というのは広くて立派なのですね」

 空耳やない。空耳ちゃう、寝所に一緒に行こ て、誘われてるボク。夜に男の部屋訪ねてそうそうに "一緒に布団に入りましょう" って、やっぱりそういうことなんやろか?
 この前イヅルに話した推論は間違うてなかったんや!「バカなことばかり考えるな」て怒られたけど、バカなんはイヅルの方やないの。彼女はほんまにボクの子供姿見たいんや、ボクの子供が欲しいて思てんねや!

「…隊長?」
「…………」
「お顔も赤いようですが」

 熱を計るのに額へそっと触れた手の平がひんやりと心地よい。
 彼女が本気やとしたら、ボクがもしここで衝動任せに押し倒しても文句は言われへんのやろけど、告白もしてへんのにそんなことするんは不本意や。別に身体が目当てちゃうから。
 彼女にはそない非道なこと絶対したないし。せやかて今すぐ告白するには心の準備が足りひん。
 どないしょー……。

「熱はないみたいですね」
「あるよ!アツアツや」
「え?」
「まだ余熱状態なだけやねん」
「あの……」
「そのうち加熱して準備万端になるさかい、」

 額から離れていく手首を咄嗟に掴んではみたけれど、心臓が騒ぐばかりでそれ以上のことはできない。まだ準備中や。

「…………」
「せやから、ちょこっと待って」

 もうあとちょっとやから。えーっとまずは何から言うたらええんかな。

 ――ずっと前からキミんことめっちゃ好きでした、ボクと付き合うてください。て言うか結婚してください!子供はたくさん欲しいです、キミんためならボクなんぼでも頑張ります。頑張れます!せやからいますぐ一緒に寝所いきましょう――

 こんな感じでええんやろか?頭んなかぐるぐるのまま、すうっと息を吸い込んで。燭台の光に照らされたやわらかい表情を見つめた。


「ずっと、ずーっと前からな」
「はい?」
「………」
「あ! 分かりました」
「へ……な、なにを?」
「ずっと前からお気づきなんですね」
「……いや、まあ」

 自分の気持ちやから、気付いてんのは当たり前や思うけど、彼女にはとっくにバレバレやった言うことやろか。

「もうすぐ風邪が発症する、ということまでお分かりなんでしょう?」
「風邪て…なんのこと?」

 謙遜なさらないで下さい。と言葉を続ける彼女に、首を傾げる。謙遜言うか、ボクはいまから一世一代の大告白しよ思ててんけど。

「市丸隊長クラスになると病原菌の体内侵入予知まで出来る、しかも菌の影響が現れる瞬間までわかってしまうんですね」
「いや……」

 そんなん違うけど。目ェキラキラさせて言われてしもたら、反論もできひんやないの。
 もれそうなため息を飲み込んだら、一瞬だけちらと片目を開けたハクと目が合うた。「失敗だにゃぁ、残念…」て声聞こえてんけど。なんや、バカにされた気ィするわ。

「さすが市丸隊長です」
「あ、はは……」

 すごい!と目を輝かせる彼女に苦笑いしながら、どこで会話が食い違ったのか振り返ってみたけれどまったくわからなかった。



「ところでキミ、なんや用事あったん違うの?」
「そうだ、忘れるところでした」

 ボクが掴んでいた手首をやんわりと解き、彼女はごそごそ袂を探ってちいさな物体を取り出した。

「なんやのそれ?」
「ハクちゃんに、と思って」

 ほらハクちゃん見てごらん。膝上の子猫にその物体を差し出してゆらゆらと揺らせば、さっきまでおとなしく目を閉じていたハクは途端に生き生きと動きはじめる。

「……ハクに、ね」
「ええ。お魚の形の玩具なんですが」
「へぇー…おおきに」
「これ、お風呂でも使えるんですよ」

 ボクは彼女が部屋を訪ねてきた目的が自分ではなく子猫の方がメインだったと気付いて、こっそり凹んでいた。おかげで彼女の言葉も半分くらいしか耳に入ってこない。

「ほら、猫はお風呂苦手でしょう?」
「ああ。せやね」
「でもこれがあれば一緒に入るのも便利かと思って…」
「………っ!?」

 どうぞ、と手渡されるちいさな玩具を受け取りながら、頭の中が真っ白になる。
 え?いま、彼女 僕と一緒にお風呂言うたんちゃう?「隊長、そろそろお背中流しましょうか」てアレやってくれんのやろか。それとも「一緒に百まで数えましょうね、それまで上がっちゃダメですよ」て湯舟に浸かってくれたりするん?
 アカンアカン、そんなんボク恥ずかしいわ。やって……お風呂って裸やねんで?何にも身につけずに入るんやで、そないなことしたらボクどうなってしまうか分からへんやないの。


「隊長?」
「………」
「市丸隊長」
「……え、あ」
「どうかなさったんですか?」


「……ボクまだ覚悟できてません!」
「え…と」
「お風呂なんて、そんなん無理や」

 ぶるぶると頭を振って、市丸のくせのない銀髪がさらりと揺れた。

「そんなにハクちゃんと一緒にお風呂に入るのは大変でしたか?」
「…………」
「猫は水があんまり得意じゃないですからね」

 市丸の耳にはまったく言葉が届いていないことにも気付かず、お風呂で暴れる子猫相手に手を焼く彼の姿を思い浮かべて、彼女はくつくつと笑う。

「無理や、ムリや…」
「そんなに苦手ですか?」
「無理無理……まだ無理」

 呟き続ける市丸の頭のなかでは彼女の想像とはまったく別の有り得ない思考が繰り広げられているのだが、思い込みとは怖いもの。彼女には「無理」という市丸の台詞が、子猫をお風呂に入れるという行為への言葉としか思えなかった。


「お茶でも入れて来ますね」

 返事のない市丸を見ながら、彼女は立ち上がる。
 彼が必死で握りしめているちいさな物体へハクがふわふわの手を伸ばしてじゃれつく光景に、彼女はそっと微笑んだ。

「お勝手はどちらですか?」
「……へ」
「お湯を沸かそうと思いまして」

 お湯を沸かすって、なんやの?ほんまに彼女はボクと一緒に今からお風呂入る気ィなん?湯舟に水貯めて沸かそうとしてる 言うことやろか。

「アカンアカン、そない自分を安売りするモン違うよ!」

 ボクがいきなり立ち上がった拍子に手からは玩具が転げ落ちる。ころころと畳の上を移動するそれを追ってハクが走り回り、ちりんちりん、ちいさな鈴の音が響いた。

「安売りって…」
「ボクに勇気出るまで、もう少し待っててな」

 そう言って後ろから細い手首をふたたび掴むと、いつも閉じたままの両目をしっかり開いて。不思議そうに振り返った彼女の瞳をじっと見つめた。



ハートは眼でち抜け

(心臓にくる熱視線あげる)


「あの…ただ、お茶入れようと思っただけなんですが――」
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