曇りガラスをなぞる指

 果てしない。気の遠くなりそうな時の連続を意識した直後に、まったく逆の感覚にとらわれる。
 目を閉じて。そっと開いた次の瞬間には、真子がそこから消えているんじゃないか、と。

 相反するふたつの感情はぐらぐらと天秤のように揺れて。いつまで続くんだろう。いつ終わるんだろう。
 だから、いつまでも絡めた指をほどけなかった。もう、空は暗い。水滴のびっしりついた窓ガラスは、外との温度差をつたえる。

「どないしてん」
「……上手く、言えない」

 窓越しに淡い月光。こんなガラスを見たら、つい落書きをしたくなる。幼い頃なんてもうずいぶん遠すぎて、忘れてしまったはずなのに。つきん、胸に刺さる棘にすこしでも抵抗しようと、古い記憶を引きずり出す。

 いま、ここに書くとしたら何だろう。


「別に、うまく言わんでもええから」
 痞えてるモン、ぜんぶ吐き出してまえ。

 しっとり潤んだ低い声。なにもかもを包み込んで、受け止めてくれそうな声。


「…な?」
「しんじ」

 こんな時に彼を呼ぶ声はいつも頼りなく聞こえて、そんな自分が嫌いだ。甘えた女。
 何年も何十年も死神をやって。ヴァイザードと呼ばれてからも久しい。私たちには、平穏な明日が約束されている訳ではないのに。いつの間に、こんなに弱くなったんだろう。


「なんや」
「うん、バカみたいだから」
 いい。

 ホントにいいと思った。誰かを想うのには、吐き気がするほどの切なさが付き物で。それを抱え込めてこそ、誰かを想う資格があるのだと。

「ええから、言うてまえっちゅうねん」
 そんなん水臭いやんけ、アホ。

 乱暴な口調に、体温のある台詞。繋いだのと反対の指が、ふざけるように頬を摘む。

「焦らす気ぃなんか?」
「そうじゃない、けど…」

 なら、とっとと吐け。やないと、また襲ってまうで。冗談めかした態度なのに、頬を撫でる指も声もおそろしいほどに優しくて。
 そんな真子には、昔から隠し事なんてできないのだ。
 吸い込まれそうな瞳に捕まって、観念した。




「怖い…」

 終わりが見えなくて、怖いと思った。真子の瞳がやわらかく弧をえがく。
 果てしなくて怖いのは、この関係が続いていくことではなくて、真子への想いが少しずつ確実に膨らんでいること。

 一昨日より昨日、昨日より今日のほうがもっと真子を好きで。さっきよりも今のほうが、胸が痛い。一瞬の積み重ねが私たちの人生を作っているというのなら、一秒後の私は今より少しだけ。そのまた一秒後にはまた少しだけ真子を愛おしく想うのだろう。
 だからきっと、今日より明日のほうがもっと。ずっと――

 空気の入り過ぎた風船が、臨界点を超えたら破裂してしまうように、真子を想う感情はどんどん容積を増して、密度を増して。ある瞬間に、ぱちんと弾けてしまうんじゃないだろうか。


「怖い…か」
「ん…」

 恋愛は一時の熱病のようなものと人は言うけれど、それが本当なら、そのうちすとんと冷めるのだろうか。たとえばこれが熱病だとしたら、余りに長くて。重すぎる。不治の病並みに。
 だけどもう、戻れないところまで進んでしまった。それに気付いているからなおさら怖いのかもしれない。

「俺も、おんなしや」

 怖い。絡んだ指にきゅうっと力がこもる。じわりと染み込んでくる痛み、真子が私に触れている。痛い。

「でも」
 いまは此処におるから。

 絡んだ指が、強くベッドに縫われる。心のかわりに、スプリングが小さな悲鳴をあげた。

 私の"怖い"と彼の"怖い"がまったく重なっているなんて思わないけれど。感じる痛みの分だけ、彼の存在が私のなかに残る。たったひとことで心の弱い部分を、引っ掻かれる。

「いまは、それでええんちゃう」

 同意の言葉がこぼれ落ちる前に、やわやわと食まれる唇。触れては離れ、また触れる。半開きの口にするりと侵入してくる舌。強引なのに、頭の芯がとろとろに溶けてしまいそうにやさしい。
 やっぱり、唇が重なるたびに胸がぎゅうぎゅうと苦しくなる。舌先が絡まれば、心まで搦め取られる。息継ぎのために離れることすら、切なくて。

 果てがない――


 吐息で曇った窓に、そっとふたりの掌を重ねて。


曇りガラスをなぞる指
ふるえる指先が描く相合い傘は、泣き出すように すぐ、滲んだ。
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