指先で感情表現

「ただいまァ」
「おかえり。早かったね」
「これ、土産や」

 玄関先まで迎えに出てきた彼女に、帰りしな買ったたこ焼きを差し出す。ソースの匂いで、言わんでも中身はバレバレなんやろけど。

「ありがと、たこ焼き?」
「おう。お前この店のン、好っきゃろ」

 上着を脱いで、ネクタイをゆるめながら、並んで歩けば、ほのかに漂ってくるお香のかおり。ふたりでいるときには滅多に焚かないそれに、俺のいない間の彼女の姿が浮かんでくる。
 匂いには記憶を引きずり出す効果があるらしい。まだ一緒に暮らす前にお前の家で嗅いだ匂い。これを、俺じゃないオトコもお前の隣で嗅いでたんやろか、と思ったら、心臓がぎゅうっとなる。
 ひとりでこの部屋でなにしとってんやろ。
 体調悪い、言うてたけど、思ったより元気そうで、安心した。

 お茶でも入れるね。キッチンに向かう細い背中。いつも凛とのびたそれの上、白いうなじには半渇きの後れ毛がおちている。
 水滴がひとしずく、首筋を伝った。

「悪かったなァ」
「なにが?」

 振り返った彼女は、やわらかく微笑む。ひとりきりの時間をすっかり満喫しましたと言わんばかりの、満たされた笑顔。
 なんや、寂しそうな顔して待ってるんちゃうかと思てたのに。ちょっと裏切られた気分やんけ。
 妙にすっきりした表情を見せられると、よーわからんけどちょっと悔しい。とか思てまう俺は、情けない。嫉妬、やろか?

「ひとりにしてもうて、すまん」
「そんな。別に真子悪いことしてないんだから」

 謝らないで。ことり、カップを置きながらの言葉はやさしい。強がりではなさそうだ。

「お前ひとりで何しとったん?」
「真子がいたらできないこと」
 掃除してファブリックかえて、お風呂ゆっくり浸かって、本読んで、ネイルケアとか――。

 寂しなかったんか。全然そんな感じちゃうなァ。

「へえ…」

 なんやねん、それ。出掛けのお前の表情見て、あんな意味深な態度とるから、柄にもなく焦って戻ってきた俺がアホみたいやないか。すっかり踊らされとんのか。

「真子は、楽しかった?」
「おう。それなりに、な」
「それはよかった」

 って、おい!俺、さっきまで元カノに会うててんぞ、分かってんのか?もっと気になれへんのんか。嫉妬とかするモンちゃうの?それとも、気になるけど聞きたないだけなんやろか。

「たまにはひとりもいいかもね」
「せやな」

 後ろめたさなんてカケラもないから、責められても困るけど。逆にそんな平然としてんの見せられたら見せられたで腹たつやんけ。
 お一人様時間を満喫しましたって顔のお前に、ヤキモチ妬くやなんて、俺、どこまでちっちゃいオトコなんやろ。

「しゃーけどやっぱし、ふたりのンがええわ」

 うん。相槌を打ちながら、たこ焼きの包みにのびた手の平を包みこむ。爪には、この前俺が塗ったったのとちゃう色のエナメル。
 先っぽのほうだけシルバーラメのフレンチネイルが、キラキラ光ってきれいや、と思った瞬間。どくん。胸が跳ねる。

「せやから…たこ焼きは後、な」
「真子…?」
「先に、お前堪能さしてんか」

 手首を引き寄せて、テーブル越しにキス。軽くふれて、はなれるのと一緒に、くちびるが薄く開く。つややかな唇。

「その爪、ええ感じやな」
「真子は、キラキラしてんの好きだもんね」

 一度触れたら、はなれたくなくなる。身を乗り出して、なんどもなんどもキスをして。
 頬に額に、鼻の頭に瞼に、キス。掌を引き寄せて、指先にキス。きれいに塗られた爪にも、キス。

「俺のために塗ってくれてんやろ?」
「……ん。気付いてくれると思った」

 うれしい。って、キスで湿った唇が告げるから、また心臓が跳ねている。ほんのり上気した顔は、風呂上がりのせいなのか、それとも俺のキスのせい?

「アホかお前、んなこと言われたら堪らんやん」
「だってホントだし」

 ほんま可愛ええやっちゃなあ。俺のこと、どないするつもりや。

 ひとりきりの部屋で、どんな顔してその爪を仕上げたんだろう。この数時間、なにを聞いてなにを見てなにを考えて過ごしたんだろう。そこに俺は、どれくらいいた?

「なんか妬けんねん」
「なに に」
「お前の、ひとりの時間に」
 ほんまアホやなァ、俺。

「だったら、私だっておんなじ」

 ふっ、と、表情を崩したお前を引き寄せて。至近距離で瞳を見つめて。なによりも大切な壊れやすい宝物のように、
そっと、やわらかく胸に収めて。

「ほな、俺ら一緒の気持ちなんやな」
「さあ ね」

 強がりに似た台詞を吐きながら、彼女の身体は震えているから。

「そんなん言うな、ボケ」
 心臓こわれてまうやんけ。

 抱きしめる俺の心もふるえているから。
 自分よりずっと細い身体を、そっとそっと包みこんだまま、淡い月光のさす寝室に連れ込んだ。







 声はないまま手さぐりで腕を伸ばす。視界を閉ざされた暗闇のなか、互いの唇を探りあてる。あつく、潤んだくちびる。やわらかい、感触。貪るように、重ねる。それしか求めていない獣のようだ、と思った。でも、欲しかった。
 ひやり。冷えたシーツは、ふたりの熱ですぐにあたたまる。ぎしぎしと軋み続けるベッドは、匂い立つように厭らしさをあおる。
 青白い月光を浴びた真子は、きれいだった。

「今夜は簡単には放せへんで」
「…っ、今夜も。で しょ」

 細身だけど筋肉質な身体が、私の上でしなやかに動き続ける。さらさらの金髪が闇のなかで揺れる。

「んなこと言うてられんのも、」
「…シン ジ」
「今のうち、だけ や!」

 ぐぐ、奥を刔られてのけ反れば、無防備な首筋を甘噛み。ざらりと舐められた鎖骨に、ピアスの硬い感触が快い。

 ぎゅ、と胸板に縋り付く。指先を掬われる。きつく指を絡めたまま、胸と胸を密着させる。どくんどくん、鼓動がシンクロ。いつもより早い鼓動。

「嫉妬の効果、味おうてや…っ」

 続く水音。与えられる快感のおおきさに身をよじる。待って、まって、まだ。
 喉の奥からは、甘ったるい吐息。頭のなかが、だんだん霞んで。なにも出来ず、ただ、真子の背中に爪を立てる。

「待っ て」
「待たへんわ」

 身体を起こされて、真子の膝のうえ。座位で抱き合ったまま、突き上げられる。揺れる、ゆれる。

「 真子…っ」
「ほら、見てみィ」
 ちゃんと繋がっとるやろ。

 声につられて視線を落とす。
 粘膜を刔り割り込まれる感触。熱い肉がめり込んでくる感触。突き上げられるたび、響く音。
 続く動き。見える。繋がっている。
 見えた瞬間に、身体の奥がきゅっと締まって。私のなかで真子が質量を増す。

「っく、…見えた か」
「…ん、っ。み える」

 見える。繋がっている、真子と私。
 深く、浅く、深く。もっと深く。いっそう深いところを刔られて、真子の肩口に歯を立てる。
 肌の上をあちらこちらと、辿り続ける指。脇腹をなぞり、敏感な部分を掠め、腰を掴んで放さない掌。

「ほんまに、」
「……ん?」

 顎を掬われて、口を塞がれて。

「寂しなかったんかい」
「難し…い」

 揺れる。ゆれながら、舌を絡める。吸い上げて、突いて、からませて。
 濁った頭で、問いの意味を考える。

「なんや、それ」
「単純じゃ…ないの」

 元カノに会うことは、単純に嫌だからやめて、というものではなくて。嫉妬とも違って。
 考えようとするけれど、こう揺らされていたら、むり。思考が快感に引きずられる。

「でも、」
「なんや」

 おまけに真子は、キスが上手い。上手すぎる。いつも、唇も心も身体も、私のなかのすべてがとろけてしまいそうなキスをする。
 だから、無理。もう、むりです。

「真子が…す、き」

 頭に残った、たったひとつの言葉を吐き出す。
 一瞬だけ、真子の動きが止まる。ゆるく眇めたきれいな目が私を見つめて、長い指は愛おしげに頬をなでて。

「俺も、や」
 欲しいのンは、お前だけ。

 低い掠れ声。
 途端に真子は動きを早めて。キスの合間に、なんどもなんども囁かれる名前。奥へ奥へと穿たれ、境界を侵して入り込んでくる感覚。執拗に敏感な部分ばかりを攻め立てる指先。恐ろしいほどにやさしいやり方で抱きしめる腕。
 すべてが一気に押し寄せて。まるで酔ったように真子にしがみつく。
 もっと、もっと、もっと。欲しい。ほしい、もっと。

 欲しいのは、真子だけ――







「ほんで、難しいってなんやねん」

 慣れた腕に抱かれたまま、乱れた呼吸を整える。情事後の真子の声は、いつも甘く掠れている。

「曖昧で微妙な感覚、かな。寂しいとも嫉妬ともすこし違ってて」
 彼女と過ごした自分の知らない時間を纏ってる真子を見たくない、そんな感覚。

「簡単に言葉にはなれへん、ちゅうこっちゃな」
「ん…独占欲にも似てるけど、違う」
 真子を独り占めできるなんて思ってもいないし。そもそも、独占出来るようなちっぽけなオトコなら要らないから。

 ゆっくり髪を梳いていた真子の手が肩にすべりおちて、息が止まるほどに抱きしめられた。

「なんかめっちゃグっと来てんけど」
「ホントのことだから」

 これだけ長く生きていれば、独り占めが自分自身にも負担になるものだということは知っている。それに、たとえば、独り占めができたところで、そんなにイイものでもないのだ。想像するより虚しいものだってことも知っている。

「あかんわ、俺」
「なにが?」

 ゆるんだ腕。顔をあげて真子を見つめたら、降ってくるやわらかい眼差し。
 まだ熱を持つ指先が、唇のりんかくを、ゆっくりとなぞった。



指先で感情表現

愛おしすぎて、頭ン中 可笑しなる。

fin
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2009.10.13
お付き合いありがとうございました。
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