帰宅
「ただいまー」
「おう、お帰り。って、俺も"ただいま"やんけ。なあ」
自分の台詞に軽いツッコミを入れている真子は、幸せそうに表情を緩ませていて。
その顔を引き出したのが自分なのかと思ったら、自然に私の頬も緩む。
「風呂も入ったし、飯も食うたし、今日はさっさと寝んで」
「ん。そうだね」
手を繋いだまま靴を脱いで、上がった部屋にはほのかな温もりが残っていた。
◆
ただいま。って、お前の声を聞いた瞬間に、胸の奥がめっちゃ痛なってん。
やっぱりこの部屋は、ふたりのための部屋で、お前が居ぃひんかったら何かが欠けたみたいに不完全やったんやと、改めて気付かされる。
「先に歯ミガキして来るね」
「ほな、俺はベッドでも整えといたるわ」
「ありがと」
自然に風景に溶け込んでいるお前の背中を、見えなくなるまで見つめると、寝室のドアを開けた。
ほんまに、帰って来てくれてめちゃめちゃ嬉しいんやで。
素直に100%は気持ち表わされへんけど、多分ちゃんとお前には伝わってるやんな? ベッドを整えて、加湿器に水をセットすると、スイッチを入れる。
こぽこぽと音を立てて始動した機械からは、幸せの象徴のような湯気が立ち上って淡く靄を作る。
明日もまたおかえりと言えるなら。
少し位の焦燥も、今度は易しく呑み込んでしまえるんだろう お前は俺が、どんだけ焦ってたかなんて知れへんのやろけど。その焦燥のゲージの振れ幅分だけ、俺はお前の事を愛しとるっちゅうこっちゃ。
今夜はそれがどれだけのモンなんか、思い知らせたるから。覚悟しときや?
洗面所からは、お前のうがいする音が穏やかに響いていた。
◆
ふたりで入るには少し狭いベッドも、くっついていられる理由になるのならその方が都合がいい。
「もっとこっち寄りぃや。落ちてまうで」
「大丈夫だって」
「ええから、来い」
ぐいと引き寄せられた腰に、喰い込む指の感触。
「俺がもっとくっつきたい、言うとんねん」
「エロ真子…」
「そんなんちゃうわ。純粋に温もりを求めとるだけや」
「はいはい、」
分かりました。と、言葉を続けながら真子の胸に寄り添えば、温もりを求めていたという割に、彼の体温は私よりずっと高くて。
体温が高い方が、寒さには弱いんだろうか?
あたたかい肌に頬を擦り寄せて、そっと目を閉じた。
「お前抱いとると、ホッとするわ」
「…抱き枕みたいに言わないで」
「そんなん思てへんて」
「ホント?」
「ああ。精神安定剤みたいなもんとちゃうか」
きっと真子は、ニッと歯を出して笑っているんだろう。
「それって…抱き枕とどう違うの?」
「全然ちゃうやんけ。ちゅうか、そんなんどうでもええし」
お前のこと、堪能さしてくれ。
低い声が耳の中に入り込むと、この腕に帰って来られた事が、本当に嬉しくて。
「ん…どうぞ。心行くまで」
「おおきに」
額に軽く触れた唇を追いかけるように、閉じていた目をうっすらと開く。
明かりの消えた室内には、淡く差し込む月光。
ぼんやりとした視界に目を凝らすと、胸が痛くなるほどの表情を浮かべて、真子は私を見つめていた。
真子の目を見つめ返して、胸板に添えていた指にきゅっと力を入れたら、行為が誘因する感情に息が苦しくなる。
「どないしたんや?」
眉を顰めた私の顔へ、少しだけ近付きながら吐き出された真子の声は、優しい労わりに満ちている。
「なんでもない」
軽く首を振って、もう一度さっきと同じ台詞を繰り返す。
「ただいま……真子」
短い言葉を告げ終えた瞬間、切れ長な琥珀の瞳は、限りなくやわらかい弧を描いて。細いのに筋肉質な腕が、ぎゅっと私を抱き締める痛みに、切なくて堪らなくなった。
帰宅(おかえり…もう、俺置いて黙って出て行きなや)
仲直りの印、身体で確かめさしてもろてもええやんな?