けんか

 緩やかな川の流れのような関係が、荒れ狂うのは意外に簡単で。
 あない些細なことが、まさかこんなデカい波紋を起こすなんて、思ってもみぃひんかった。


「真子ってホントにいつもお洒落だよね」
「よう分かってるやん」
「まあね。詳しくはないけど、」

 真子がセンス良いってことは分かるよ、と続けて彼女は笑顔を見せる。

「せやねん!この服もな、元はめちゃめちゃ高いねんで」
「元は…って?」

 その日着ていたギャルソンのシャツも、実はかなりお気に入りの一品で。別にブランド思考の強い方じゃないけれど、やっぱりプリントや襟のカットにも小技が利いているし、流石にそこらで買うのとは明らかに違う。

 不思議そうに首を傾げるお前に、俺は得意げな表情を向けた。

「前に付き合うとった女がショップ店員でな、」
「……うん」
「社員販売とかでめっちゃ安く服手に入れててん」
「……」
「びっくりすんで、7パーセントとかで手に入んねんから」
「へぇー…」
「へぇって、もっと驚けへんのか?7割引ちゃうで、7パー言うたら5万のモンが3500円で買えんねん」

 普通に服買うてんのがアホらしなるで、と言葉を続けながら俺は彼女の反応を見る余裕がなかった。

「そうだね」
「めっちゃ得さしてもろたわ。あいつ今どないしてんねやろ」


 不用意に昔の女の話なんてしたんは、確かに俺が悪かったけど。お前別に、普段ならそんなん気にするタイプちゃうやん。

「さあ、ね。 私、お風呂入って来るから」

 だから、読みかけの文庫本を手に、彼女がバスルームに向かう姿も、不自然には思わなかった。
 だいたい彼女はいつも長風呂で、風呂入るために生きてんちゃうかと思てまう位やし。

 それにしても…なんやねんあいつ、愛想ないやっちゃなあ。
もっとノリのええ女やと思ててんけど。俺が機嫌よう喋ってんねんから、もう少し付き合うてくれへんかなあ。
 まあ、ええわ。どうせなかなか上がってけえへんやろうから、一眠りしたろ。
 そんなことを脳天気に考えていた俺はなんて大馬鹿者だったのだろう。







 1LDKというのは、こういうとき不便だ。家の中心であるリビングを陣取られている今、私の逃げ場は寝室かバスルームしかない。
 寝室に逃げ込めば、一番困るのはトイレで(LDKを横切らないと行けないから)、まだ夕暮れ時のいま、そこへ逃げ込むのは得策じゃないと思えた。
 というより、そもそも真子には何の悪気もなくて、私が気分を害していることにも気付いていないに違いない。自分でもこんな気分になっているのが不思議な位だから。

 多分、いまの不快感は色恋絡みの単純な嫉妬というよりも、私では手の出せない範囲で真子の役に立ち、笑みを向けられる対象があるということへの嫉妬なんだと思う。
 人と人が一緒にいることの意味が、役に立つか否かなんて分かり易い尺度で決まるものだと思ったことはないのに。

 我ながら、馬鹿みたいだけど。言葉では上手く説明できない想いに揺さぶられている。

 いまは、顔を見たくない。



 意地を張って何時間でもお風呂に篭ってやろうかと思っていたのに、持ち込んだ本が余りにくだらなくて、早々にやる気をなくした。
 真子の事だ、後ろめたい感情があればあんなにさらりと過去の女の話をするはずもない。


 ほんの少しのぼせた頭を抱えて、リビングへ戻りながら、短絡的な自らの行動を悔いていた。
 戻ったら謝って、今夜は真子の好きなモノでも作ろう。



 笑顔でドアを開けたら、真子ひとりきりのはずの部屋から聞こえる楽しそうな声。
 いくらお喋りと言っても、独り言でこのボリュームはないよね?

「ほんまに難儀なやっちゃなあ、飯くらい奢ったるから。そん代わりまた、服安う手に入れてや」

 ぱたりと後ろ手にドアを閉める。彼女……だ。

 気付いた瞬間に、謝ろうと思ってたことも、真子の好きな料理を作ろうと思っていたことも、すっぽり抜け落ちて。

「ああ、ほんならまたな。楽しみにしてるわ」

 電話を切った真子の顔に向かって、どんな表情をすれば良いのかわからなかった。


「なんや、もう上がったんかいな」
「ん…夕飯の買い物、行ってくるね」
「びっくりしたわ、さっき話しとったら偶然電話してきよってなぁ」
「……」
「虫の知らせっちゅうやつかな…アパレルの女、全然変わってへんかったわ」

 そう……。相槌の声は自分でもわかるくらい力無く響く。

「ん?元気ないやん」
「ちょっと、のぼせたのかも」

 捕まえるように伸びてきた手を、するりとかわして。髪を拭くふりをしながら、バスタオルで顔を隠した。


けんか
(可愛い顔、隠しなや)

 無理矢理バスタオルを剥いで抱きしめた身体は、小さくふるえていて。
 俺が何したんやとか原因究明する前に、哀しかった。
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