惚れた弱み
有無を言わさずのしかかってくる真子の身体は、その重みの分だけ胸を締め付けて、苦しいのに幸せだった。
口許から漂うのは、爽やかなミントの香り。なのに、全身からはいつになく猛った空気が溢れている。
「ちょっと…待って」
止めて――
条件反射で飛び出した拒否の言葉には意味など最初からなくて、それは響きの持つ糖度を聞けば誰の耳にも明らか。
いくら強がってはいても、それだけ真子が私を欲し、不在の数時間を早く埋めたいと思ってくれるのは嬉しい。
止めて欲しいとは少しも思わなかったけれど、ベッドに入って僅か5秒では、余りに性急過ぎる気もした。
「何があかんねん」
「なにって……雰囲気も甘いムードもなにもないじゃない」
自分でも、何をまわりくどい事言い出すんだろうって戸惑いながら言葉を続ける。
一度始めてしまえば、物事は簡単に終わりに出来ない。そういうものだ。
言葉もそれと一緒。
自分の口から零れたものに縛られて、本心がそれとはズレていても後には引けなくなる。
「はあ?」
「ガツガツしてるだけ…と、言うか」
「俺は自分の気持ちに素直なだけやんか」
進む方向が違うと気付いていても、軌道修正は案外困難で。
ほんとはそんなことどうでも良くて、私だって早く真子に触れられたい。隙間なくぴったりと繋がって、肌の細胞から染み込んでくる愛情を感じたいと思っているのに。
「そういう即物的なのって、どうかと思……っ」
仕方なく続けていた台詞を遮ったのは、泣きたくなるくらいに優しいキスだった。
「めんどいやっちゃなぁ」
薄明かりに照らされて私を見下ろす真子は、小さく唇を歪めて。
でも、吐き出された声は、なにもかも見透かしているように、やわらかい。
「しん…じ、ごめ」
「ええねん。お前の本心なんて分かっとる」
「え?」
見上げた視界には、ニッと歯を出して悪戯に笑う彼の顔。
こつんと額がぶつかって。
「ほんまは、大好きな真子くんに"早く抱かれたい"思てんねやろ?」
分かり易いのう。
くつくつと笑う顔は、冗談か本気か分からない。
でも、いつもの真子らしいその笑顔がどうしようもなく嬉しくて、そんな風に思ってしまう自分が不思議だ。
「違います、真子の馬鹿」
「"馬鹿"っていうな、言うてるやん」
「だってほんとでしょう?そんなナルシスト馬鹿男に抱かれたくなんてな…い……」
なんでまたこんなこと言ってるんだろ、私。
その微妙な戸惑いを見透かすように唇を塞がれて。
「アホか」
「……」
「そんな潤んだ目で言われても、説得力あれへんっちゅうねん」
「真子が不意打ちなんてするからでしょ」
狡い。
狡いと思うのに、頬に額にと降ってくるキスを避ける気にはならなくて。
やわらかい唇が触れては離れるたびに、次の刺激を待ち詫びるように口が開く。
吐息は糖度を増しながら、真子の動きを追いかける。
(なんや、もう息上がっとるやんけ) 耳たぶを食まれ、いつになく甘ったるい声が低く忍び込めば、寝室には一気に艶っぽい空気が溢れて。
ムードとか雰囲気に本気でこだわっていた訳ではないのに、真子の作り出す空気に酔いそうになる。
「し…んじ、」
耳の窪みに這う舌の温度も、ざらざらとした感触も、すごく厭らしいのにどこか優しい。
小刻みに震える肩をやわらかく押さえ付けられて、見上げれば乱れた胸元から覗くしなやかな胸筋。
「…っ、ま…だ」
「可愛いやっちゃなぁ、ほんま分かり易いねんから」
"まだ"ちゃうやろ?
さらり髪を割って差し込まれた掌に、後頭部を支えられたら、もう彼からは逃げられない。
(それとも"まだ抱いてくれへんの"って、催促しとんのか?)
「ちが…」
耳たぶに触れていた唇で、軽く首筋に歯を立てられたら、噛まれた部分から痛み混じりの快感が流れ込んでくる。
眉を顰めた顔を覗き込む真子の瞳は、愛おしくて堪らないものを見つめるように、細められて
「すまんなぁ、強過ぎたんとちゃうか?」
せやけど、
「……」
「喰うてまいたなる位お前が可愛いのが悪いねん」
「……っ!!」
「お前のせいや」
至近距離の視線に潜む色気に、目眩がしそうだと思った瞬間。
貪るように唇を奪われて、思わず首筋に縋り付いた。
「しん……」
歯磨き粉の匂いが強すぎる、とか。やっぱりガツガツしてるだけじゃない、とか。
どうでも良い事が、頭に浮かんでは消える。
その代りに、私の中に流れ込んで来るのは、真子の想い。
時折開いた目に映る、眉を顰めた顔。
絡みついて吸い上げられる舌も、カチリとぶつかる歯も。
ぞくぞくする位、愛おしくて仕方がなくて。
結局は、こんなに惚れてしまっている私の負けなのかもしれない。
そう思うのに、全然悔しいなんて感じなかった。
(嫉妬して、ごめんね) キスの合間に小さく呟いたら
「やっと素直になりよった」
ほな、こっから本気で攻めさして貰うで。
やけに強気な彼に、着ているものを剥がされるのはあっという間。
「そうかぁ、嫉妬しとったんか。お前…やっぱ可愛いのう」
ニヤニヤと表情を崩さない彼に、半ば呆れながら。それでも、抱き締められるのは嬉しくて堪らなかった。
惚れた弱み(俺ってめっちゃ愛されとってんなァ…気ぃつけへんかったわ)
嫉妬、か。でも、それなら俺かて一緒やねんで…ほんまは。
どっちの方が愛情が深いかなんて、分かれへんし。多分俺の方がお前に溺れとる(これは自信ある。だって、お前の泣きそうな顔にはめっちゃ弱いねん)。