たなごころ

 狭いベッドは嫌いだからと、一人にしては大きめなものを選んだ。なのにいつの間にか思惑が外れ、週末は同じ匂いに包まれて、身動きすら取れなくなっている。
 誰かを自分の領域に侵入させるつもりはなかったのに、気が付いたら踏み込まれていた。


「寝るぞ」

 身体を重ね、そのまま腕に抱かれて眠る。
 それが、まるで自分の願いだったかのように自然に受け入れている私と、初めからそうなるものだったかのように泰然とした表情の彼と。
 深夜の閉ざされた空間にふたりきりで居ると言うのに、全く違和感もなく。静かで心地よい空気だけがふたりの間を満たしている。
 何なんだろうこの人は。何でこんなに簡単に入り込んでいるんだろう。


「明日は起こすなよ」
「分かった。でも私は休日出勤する予定だから」

 不思議だなあ、と思う。当たり前のような顔をして私の部屋にいるシカクも。それに普通の反応を返している自分も。
 彼と私は、ごくありふれた上司と部下だったはずで。それ以上でも以下でもない。否、なかったはずなのに。少し前まで。

「オメェも休め」
「そんな訳には…」
「命令されてえのか」

 こんなところで「命令」という言葉が飛び出す辺りは、この日常にもまだ上司と部下の関係が尾を引いているということなのだろう。
 彼に命令されれば断れない私がいる。

 頭を委ねている腕にぎゅうと力が篭る。
 やっぱり不思議だ。それだけで胸がふるえるほど嬉しいと思う私も、女を喜ばすだけだと分かっていてそんなことをするシカクも。

 そもそも、そこらじゅうに転がっている不思議の大半は、実際は不思議でもなんでもなくて。
 ただ単に、勝手な思い込みを裏切られただけだったりする。
 こういうものだと思っていたのに、実際それとはまったく逆だった、とか。こうする筈だと思っていたのに、それとはまったく逆の反応をされた、とか。結局は、自分の思い込みが間違っていただけ、というのが"不思議"の正体。
 私たちの関係も、その類のものだろうか。単に私が奈良シカクという男の読みを誤っていただけで。あるいは、私が自分を買い被っていただけで。

「命令…ですか」
「おう」

 こんなことになっているのは何故だろうかと、自分の言動を反芻してみるけれど、理由なんて思い浮かばない。
 媚びるような台詞を零した記憶はない。必要以上の隙を作った覚えもない、むしろこれまでの他人の評価から類推する限り、隙はない方だと思う。
 彼に何か伝わるものがあったとするならば、それは言葉や行動などの直接的なものではなく、音や形にはならない何か。
 どうしようもなく心を伝えてしまう視線だとか、想いを凝固させたようなため息だとか。

「その命令は上司として?それとも…」
「どっちでもねえな」
 黙って言うこと聞きやがれ。

 引き寄せる腕が首筋に頭を押し付けて、後頭部に感じる圧迫感と噎せるようなシカクの匂い。そんな事をされれば、黙って彼のなすがままにならざるを得ない。


たなごころ
強いて言やァ、俺がオメェと一緒に居てえから

結局、手の平の上で躍らされているだけ。

2009.03.25
[補足]たなごころ=てのひら
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