聞き飽きた五文字
お前の考えてることなら、手に取るように分かった。
誤解させていることも、我慢させていることも。苦しんでることも…な。
でも、わざと煙に巻くつもりは微塵もなくて。心の中では何度目かの同じ台詞を呟いていた。
――やべえなあ…。
聞き飽きた五文字 薄いアルコールの匂いに混じって、頭の芯が痺れるような甘い香りが空気を揺らす。
綺麗な肉付きとくびれた腰が、腕の中でくたりと力を失っていた。
見なくとも、胸や腕に触れるその感触が、先程映したなめらかなラインを脳裏に再現する。
記憶の中の映像だけで、目眩がしそうなこの気持ちを、何と呼べば良いだろう。
浅い呼吸を繰り返す身体に、身を擦り寄せると、
――本気でやべえよなァ。
首筋に顔を埋めたまま、深いため息を吐き出した。
「奈良さ…ん?」
「なんだァ」
足りねえか。
足りないのは俺の方だ。
焦がれる指で、なめらかな肌に触れる。ぴくりと揺れる肩に同調するように、身体の奥で欲情が震えた。
細い首筋に歯を立てれば、何もかもを受け入れるように両腕が背中に絡んで。愚かだと知りながら、我儘と熱をさらけ出してしまいそうになる。
柔らかく頭を包みこむ腕の意味を言葉にはしない女が、無言を貫く時間の長ければ長いほどに、一層その気持ちが嘘ではないと思えて。黙って髪を梳かれながら、指先から与えられる感触のひとつも忘れたくないと、意識を集中する。
生え際にそっと押し当てられた唇、ゆっくりと傷痕を辿る掌、時折漏れる吐息…――
息を飲み込むたびに、語られず消えていく言葉たちが、愛おしさを煽るなどと、知っての事ではないのだろうが。
その意図の無さが、尚更愛おしい。
それを意識してしまったら、込み上げる情動を、もうどうしようも無くなった。
「付き合え…」
返事も聞かずに唇を塞ぐ。
華奢な身体を組み敷いて、上から見下ろせば、縋るような視線が絡み付く。
「いや、か?」
拒むはずがないと分かっていてそんな問いを掛ける男の狡さを、知ってか知らずか、左右に振られる首。
いいんだな?重ねて問うと、頷く仕草で肯定の意志を引き出した。
従順な膝を割り、再び彼女の中へ入り込む。
乱れるシーツの上で、もっと乱れる心に、ため息ひとつで蓋をして。ぐい、と突き上げる腰の動きが、もたらす快感に集中する。
身体の下で、色付く肌。
切なげな表情。
揺さぶる波で、ゆれる意識。
「な、ら……さ」
「そうじゃねえだろうが」
俺の名、忘れちまったかァ?
口端を持ち上げて問い掛けながら、くびれた腰を強く引き寄せて。
快感に歪む唇で、彼女の名を呼ぶ。
ゆっくりと、愛おしさを込めて紡がれるその名に、華奢な身体が大きく震える。
「シカ…クっ」
「言えんじゃねぇか」
呼ばれた自分の名は、まるで何かの薬物作用のように、耳に入った瞬間、繋がった部分の感覚を尖らせる。
「もっと呼んでみろ」
「シカク……っ」
どくり、騒ぐ胸。
目眩のしそうな快感に、飲み込まれる。
硬い熱で最奥を穿てば、絡み付く襞。
がくがくと震える身体を押さえ付け、弄ぶように粘膜を刔る。
意識が淡く溶け始め、脊椎を走り抜ける衝撃に全身が泡立つ。
繋がった部分は熱を持ち、痛いほどに腰が痺れる。
こんな感覚は、いつ以来だろうか。
霞んで行く意識の中、辿る記憶は遥か彼方のそれで。そんなに長い間、俺は本気になったことがなかったのかと思えば、快感の片隅で自嘲の笑みが漏れた。
打ち付ける度に、内壁が収縮して、肌の密着度が増して行く。
どくどくと荒い呼吸、泣きそうな彼女の顔。
そんな目で見上げられたら、コントロール出来なくなる。
必死で別のことを考えては、見抜かれない程度に無表情を保った。
「もう、下らねえ事考えんな」
途切れそうな息を何とか整えて、出来るだけ何気なく告げる。
泣きそうな顔は苦手だ。
その切なさを取り除けたらと願ってしまうのは、自分にとって彼女が他の女とは違うことの証拠になるんだろう。
――やべえ…なァ。
もう一度腹の中だけで独り言を吐き出して、そっと頬に触れる。何よりも大切な物を扱うように優しく。
「ただ感じてればいい」
―俺をしっかり味わいやがれ…
唇を噛み締める表情の裏で、お前が何を考えているのか。
それが痛いほどに分かるから、早くお前の中を(身体も頭も)快楽でいっぱいにしたいと思う。
考えても無駄なことを、考えなくても済むように。
苦しみを感じなくても済むように。
そう思う一方で、溶け合う肌の境界面に齎される快楽の大きければ大きいほどに、切なさも愛しさも増すものだと分かっていて。相性が良いなんて、単純な言葉では片付けられない感情が、そこに生まれるのだけれど。今はまだ、そんなことは考える時じゃねえ。
だから
「黙って感じてろ」
徐々に律動を速めれば、脳は正常な働きを放棄して。言葉は意味を失う。
返事の代わりに漏れるのは、ただの嬌声。
吐息を掬うように塞いだ唇で、聞き飽きた言葉をも飲み込んで行く。
近付きたいのなら、上っ面の言葉じゃ役不足で。かと言って、身体だけでも足りない。
ぴったりと隙間なく繋がりながら、見つめる視線で告げるのは。
音にするよりも、もっと雄弁な愛情。
聞き飽きた五文字
(伝わってるから、言うな)
余計なことは考えずに、俺の愛情だけ感じやがれ。
遊び相手が欲しい訳じゃねえぞ。
2009.02.05
五文字は「愛してる」なのか「やべえなあ」なのか「本気です」なのか「何故ですか」なのか…はたまた別の言葉なのか。お好きな解釈で。