おたがいさま。
「桃城くんってそこそこだよね」
「そこそこって何だよそれ」
「成績もビジュアルも?」
「ひでーなお前」
「褒めてるのに」
「それ褒めてねえよ全然」
「そう、かな」
身の程を弁えている私としてはあまりに高望みするなんておこがましいから、たとえば恋をするのなら桃城くんレベルがちょうどいいバランスかなあなんて思っていたのだけれど。まあ、恋なんてまださっぱり分からないし女友達の恋バナにはぜんぜんついていけない。胸きゅんとか切ない想いとか一生自分には縁がないような気がするから、あくまでも仮定の話。
不二先輩や菊丸先輩にキラキラの眼差しを注ぐ彼女たちは本当に可愛いし微笑ましいなって思う。思うだけで私には理解できないから、あんたは誰が好きなの?と聞かれてもちっとも適当な人が浮かばなくて、それでも詰め寄ってくる彼女たちに「強いて言うなら誰よ?」と追い詰められた末にやっと浮かんできたのがクラスメイトで隣の席の桃城くん。
恋とは違うかもしれないけど、明るくて爽やかでいろんな意味でそこそこな彼となら気負いもなく楽しい学園生活が送れそうな気がする、ってそう思った。それがとんでもない身の程知らずな思い上がりだったと気がついたのはその日の夜のこと。
「わりいな、待たせて」
爽やかボイスでそう言って、桃城くんがうちの近くの公園まで息を切らせて走ってきたのは、もう夜の10時すぎ。ブンブン手を振る仕草がかわいい。
突然の電話呼出しにびっくりしていたら、なにを間違えたのか英和辞典を私の分まで2冊持ち帰っていたことにそんな時間になってやっと気付いたのらしい。重さで気づくだろ普通。
明日でいいよ、と言ったのに「英語の宿題できねーだろ?」と答えが返ってきて、ああ桃城くんは案外真面目サンなんだなあ、って感心した。一日くらい宿題サボってもいいじゃんと思ってた自分パンチ。部活も勉強も頑張ってる桃城くんを見習えよ。
「いやいや、私の方こそこんな時間にわざわざごめ……」
シルエットと声だけで遠目に認識していた桃城くんがだんだんと近づいてくる。公園の薄ぼんやりした街灯の下でやっと顔が見えた。
みた瞬間、あ!と息を飲んだ。
「ん…なさ、い」
「いやいや謝んの俺の方だって」
なんで!なんでなん!?何が起こったんだこれ。
いつもあんな鬼みたいにテニスで汗かきまくっても、まったく1ミリも髪型崩れないくせに。どうやって固めてるんだろうって不思議になるくらいツンツンヘアーなのに。
「桃城、くん?」
「は?」
目の前には、さらさらヘアーの見知らぬ男子がいた。
「桃城くん。ですか?」
「こんな時間にお前の辞書持ってお前んとこ走ってくる奴なんて、ほかに誰がいんだよ」
「だよ、ね」
「ばかなこと言ってんなー」
「………」
「もう寝ぼけてんのか?」と額を突かれて、口からなんかとんでもないものが飛び出しそうになった。
いつもおでこ全開で気合いの入った厳つい髪型をしてるけど、いまはお風呂上がりなのだろうか。ほんのりまだ湿って、ぺたんこの髪。前髪がさらさらにおりていて、乾ききらないしずくがぽたりと滴る姿はまるで別人だ。
「どーしたんだ?急に無口になって」
「…いや」
お風呂あがりの髪の毛さらさら桃城くんに見とれていました、とはとても言えなくて唇をきゅっと噛み締める。桃城くんの声を借りた別人かと思ったのも無理はないくらい、目の前の男子のイケメン度合いはハンパない。うつくしすぎてちょっと近寄り難い程の美形オーラを振り撒いていることに気づいていないのは本人だけ。
「変なの」
「…ヘン、ですよね」
「ほい。これ、辞書」
いつものちょっと野生的で尖った空気がやわらいで、声まで甘ったるく聞こえる。さっきからまれに通り掛かる仕事帰りのOLさんたちがちらちらこっち見てる。こんな男子に向かって"そこそこ"なんて失礼な言葉吐いたアホいったい誰やねん、私か。私がアホか。アホです…はい。
「あ、ありがと…」
「ついでだし家まで送ってやるよ」
ビシッと決まったいつものツンツンヘアーだって鋭い目つきとか男らしい眉毛にベストマッチで桃城くんらしくて似合ってるよ。元気な運動部男子そのもので心安らぐ出で立ちだと思うよ。だから私がもし好きになるなら桃城くんなのかもしれないなあ、って思った訳だし。そんなことを初めて考えた日にこんな姿見せられたからきっと心臓が過敏反応してるだけだよ。きっとそうだよ。
それにしてもさっきから、鼓動が不規則になって胸の辺りがぎゅうってして苦しい。ものすごい苦しい。自分の心臓のカタチがはっきり分かりそうなくらい、外側からかかる圧に過敏反応している。このままだと鼓動の音、桃城くんにも聞こえるんじゃないかな。
「お前、ガッコ出ると途端におとなしいのな」
「え…いや」
ねえ、みんなの言ってた"胸きゅん"って、もしかしてこれ?これなの?
「昼間は俺のこと"そこそこ"とか毒吐いてたくせによ」
「……」
「あれ結構傷ついたんだぜー」
喋りながら、ぬれた前髪の間から桃城くんの悪戯っ子のような眼差しが私を射る。ズキューーン!!いま心臓も射抜かれたよ私。だめだそんな目もう見せないで、胸がいたい。
「……取り消す」
「ん?聞こえねーな」
「そこそこ、取り消す」
「よくできました」
ニッコリ笑った桃城くんが、私の頭をぽんぽんと撫でた。撫でられた。撫でながら屈んで、もっと近くで私の目を見下ろしてくる。長いまつげ越しに透き通る深紫の瞳がこっちをみている。だからまた息を飲む。
なんなのこの前髪の破壊力。落ち着け私、冷静にいまの状況を整理してみよう。物理的にいうならば、桃城くんがいつもと違ってみえる理由は、ただ額を黒髪が覆ってるだけ。剥き出しの顔の面積が通常よりちょっと狭まっただけ。
それだけ、なのに。
とたんにやわらかい優男風超絶イケメンになるなんて、反則でしょ!聞いてないよ!
「……反則」
「何がだよ」
「その前髪反則」
「なんで」
「やたらドキドキするから」
「ばっ!おま、」
「桃城くんじゃないみたいだから」
「それ言うなら……」
言葉を切った桃城くんの大きな手が髪をひとふさ掴んで搦め捕る。心臓が破裂しそうに騒いでいる。
「髪ほどいてるお前も反則だっつの」
「え…?」
「まだぬれてんな。風邪ひくなよ」
そう言った声が、たまらなく優しいから本気で泣きそうになった。
おたがいさま。なんだ。恋におちるって意外と簡単