モラルハザード

 酔った勢いで侑士くんの部屋へ訪問するのが恒例行事になっていたある夜のこと。彼はいつものように、酔い醒ましのコーヒーを煎れてくれていた。私の定位置はソファの左側。

 部屋には良い香りがこうばしく漂う。渋々かもしれないけれど、侑士くんが私のために立ち働いている姿を見ながら、ひとときの至福を味わう。

「この時間、好きだなあ」
「どういうことや」

 お待たせ、と目の前にカップを置いた侑士くんが問いかける。落ち着いたいい声が耳をなでた。

「もうすぐコーヒーが出てくるのを待ってるこの感じが、いいなあって」
「そうなん」
「出てくるコーヒーは絶対美味しいって分かってるし、それを予感させる香りを吸い込むのもいい」

 おまけに煎れてくれるのは侑士くんだし、飲み終えるまでは侑士くんの傍にいられるから、というのは流石に恥ずかしいので言わなかった。

「なんやそれわかるわ」と言いながら侑士くんが私の右隣に腰をおろす。ゆらっとソファがすこし撓んだ。

「俺な、本読み終わる最後の50ページくらいが一番すきやねん」
「へえ」
「もうすぐ終わりそうで、やけど終わるんがいやで微妙に焦れてる感じ」
「焦らされるのが好き、ってこと?」
「うーん、女の子口説いてて"ああ、もうすぐ落ちるな"言うタイミングが一番楽しいのと似たような感じかもしらんな」
「ちょ、侑士くん幾つですか」
「現役高校生やけど」

 それ何かものすごく場数を踏んできた渋いおじさまとかが言いそうなセリフだよ。高校生がさらっと言うようなことじゃないよ。まったくこの子はこれまでどんな生活を送ってきたの。と思っていたら、さりげなくソファーの背もたれに侑士くんが手を伸ばした。あと少しで肩を抱かれそうな姿勢にどきどきする。

「自分はどんな時間が一番すきなん?」

 すこしだけ背中を丸めて、斜め下から顔を覗きこまれたらますます心臓が暴れるので、怖くてカップをそっとテーブルへおろした。
 この子、高校生。私、大学生。
 この子、歳下。私、歳上…だよね。
 落ち着け、おちつけ。

「どんな時間、って聞いてんけど」
「美容院、かな」
「頭触られんの好きなんや?」
「うん、すき。特にシャンプーされてるときの、頭皮から頭の中までじわじわほぐされて異次元にとびそうなかんじが一番すきかな」

 あの独特の感覚を思い出して、ちょっとうっとりしていたら低い声が耳のそばで聞こえた。

「やったろか」
「え、いやいや侑士くん言うと冗談に聞こえないし」
「冗談ちゃうねんけど」
「や、それは…ダメでしょう」
「うまいで、俺」
「上手いとか下手とかじゃなくて、何というか道徳的に…ほら」
「なんでやねん」
「とにかく、断固拒否!」
「一番すきなんやろ、必死で拒否るなんてけったいな子やなあ」

 なんなのこの子!歳上の私をすっかり子供扱いだし。べつにいいけど。でも、ちょっと腹立つ。

「だって、だから、モラルが」
「さっきから道徳的とかモラルとかって、畏まった単語持ち出して自分なに考えとるん」
「いや…洗ってもらうなら一緒にお風呂、とかそういう流れでしょ」

 ニヤリ、侑士くんが意地悪そうに薄いくちびるを歪めた。眼鏡の奥の瞳が、楽しげにゆるんでいる。なんだ、そのいかにも何か悪いこと企んでますよ、って顔。いやな予感する。

「うち、シャンプードレッサーなんやけど」
「へ?」
「洗面台で髪の毛洗えんねん」
「あ…」
「なんや、期待してたん?」
「う、」
「ほなさっさと行こか」

 そんな顔とそんな声で言われたら誰でも誤解するわこの変態策士忍足侑士め。
 私、絶対はめられた。


モラルハザード
ご希望なら、べつに風呂で洗ったってもええけどな
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