omnibusバレキス@氷帝

【case01.跡部景吾】

 跡部先輩がテニス部の部長として氷帝テニス部員215人全員の顔と名前を覚えている、というのは有名な話だけど、実は生徒会長の彼は全校生徒の顔と名前すら覚えているらしいのです。信じられますか?だって1600人以上いるんだよこの学校。その分の演算領域、別のことに回せばいいのに。
 ってことは、毎日まいにち届けられるラブレターの数々も、毎年山のように届くバレンタインのチョコレートも、誕生日プレゼントも、全部どこのどんな子からのものなのか把握してるってことで。
 つまりは私なんかの顔も、あの跡部先輩のハイスペックな脳みそのどこかには記憶されている、のだろうか。そうなんだろうね、きっと。
 それってちょっと怖いなあ、と思いながら校内を歩いていたら何の前触れもなく「そこのメス猫!」と呼ぶ神々しい声がひびき渡った。威圧感があるのに空間をやわらかくなめるような声、跡部先輩の声だ。とたんに学校のその一角に、きらきらとスポットライトが当たっているような錯覚に陥る。

 何の接点もない私が、まさか呼ばれているとは思わなくて。左右を見回しながら、目立たぬように通り過ぎようとした…ら。肩がすれ違った瞬間、突然フルネームを二度、連呼された。
 え?私?

「なんでしょうか」
「ちょっと顔を貸しな」

 正直、跡部先輩にお貸しするような大層な顔ではありませんのでと辞退する気満々だった。なのに、振り向いて間近な彼を見たらその顔のあまりの麗しさにぼうっとなった。目鼻立ち、頬の輪郭、くちびるの描く丘陵。目元のほくろが表情とともにわずかに動くさま、額にかかる前髪の動き、いちいちすべてにため息がでる。顔にも黄金比率というのがあるとしたら、それをコンピューターに入力すればきっとこういう形にできあがるんだろうな、と思えるほどのパーフェクトバランス。プラス威圧感。
 気がついたら、命じられるままに頷いていた。

 なにしてるの私。

 ちなみに、私はべつに跡部先輩のことを恋愛感情的な意味で好きだと思ったことは一度もない。テニス部の部長や生徒会長として実績を残していることは、純粋に尊敬するけれど。


「お前だけなんだよ」
「何が、でしょうか」

 連行された生徒会室で、なぜかアフタヌーンティーセットなんて豪勢な代物をいただきながら跡部先輩と向かい合っている。ふかふかの跡部専用ソファはものすごく座り心地がいいが、会話はさっぱり要領を得ない。

「媚びねえメス猫は」
「はあ」

 もしかしたら、跡部先輩はすでに氷帝学園の女子生徒600余名すべてから何らかのアプローチをされた、ということだろうか。そう言えばあの子も、あの子も自分の知っている女友達ほとんどすべてがこれまでに何かしらアクションを起こしていた、ような記憶がある。
 私は残された一人、ってこと?やっぱりすごいな、跡部先輩。

「今日こそはお前からも奪ってやろうと思ってな」
「いや、それはどうかと」
「反論は聞かねえ」
「そういう物事には、本人の意志が重要ですし」

 私がそう言えば跡部先輩はハーッハッハァ!とものすごく楽しそうに笑った。イマイチ何がツボだったのかわからない。

「意志は尊重するぜ」
「安心いたしました」
「それすら俺様が捻じ曲げてやろうじゃねーの」

 自分で 様 って言った。それに全く違和感がない。それにしても、割合に乱暴な言葉遣いなのにこの溢れる気品はなんなのだろう。やはり育ちのせいだろうか。美形のせいで私の知覚受容器官にフィルターがかかってるのだろうか。などと、のんびり構えてガトーショコラを味わう。ものすごく繊細で深みのある味。おいしい。さすが跡部家御用達って感じだな。

「これはどちらで手に入るんですか」
「お前が望むなら、毎日でも食わせてやるよ」

 言いながら、跡部先輩の指が私の手からナイフとフォークを奪う。
 食べさせてやるって言いつつ、その仕打ちはなんですか先輩。私はまだ食している途中なんですけど。

「は?」
「うちのお抱えパティシエのもんだ」

 一言喋るたびに、跡部先輩との物理的な距離が縮まってゆく。さら、と前髪が揺れて色素の薄い肌がじりじりと近づいてくる。
 至近距離で目元のほくろがくっきり見えた。彼が強気な笑顔を作るたび、泣きぼくろがちいさく動いてほんの少しだけ瞳に近づく。その動きを、とてもいいなと思った。

「いやいや」
「だから、寄越せ」

 透き通るアイスブルーの双眸に射抜かれる。なんだこれ 催眠術かなにか?
 跡部先輩の目に自分が映っているのに気付いたら、とたんに胸が苦しい。ギシ、とソファのスプリングが鳴くのにあわせて、私の心臓もきしむ。彼の口角が皮肉げに持ち上がった。
「寄越せ」って。このあと何をされるかおおよその見当はつくのに、逃げられない。ぜんぜん逃げられなかった。

「なにを、ですか」
「心ごと全部、だ」

 ものすごくクサイ台詞なのに、この人が言うとこんなに様になるのはなぜだろう。様になる=俺様 跡部様だからか。なんてバカな等式を思いうかべていたら、おそらくガトーショコラの欠片が付着していたであろうくちびるの端をそっと舐めとられた。猫同士が毛づくろいするみたいに、丁寧に。

 舐め、とられた。

 この人いったい何してるの、と思うくせに全然いやではなくて。ざらり、肌に残る一瞬の感触をなんども脳内で反芻している。たどるたび呼吸が苦しくなる。
 とりあえず、私もこれで今年は跡部先輩にチョコレートを渡した女子、ということになるんでしょうか。

「こんなモンで満足すんじゃねーぞ」

 満足もなにも、私いま動揺しすぎてどうしたらいいのか分からないんですけど。何をされたのかすら半分くらいしか理解できなくて脳みそショート寸前です跡部先輩。
 とゆうか私これからどうなるの。この心臓、壊れるの。
 困惑したまま端正なその顔を見上げたら、彼はふっ、と笑って。それはそれはもう、ひどくやさしい眼差しが降ってきた。

 跡部マジック 仕込完了のお知らせ。


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【case02.忍足侑士】

 耳が悪いほうではない自覚はあるけれど、とりたてて私の聴覚が他人より敏感なわけではないと思う。いわば私は普通。ノーマルな感覚とノーマルな知覚を持ったごくありふれた人間だ。だから、今の状況がもしアブノーマルだとしたら、おかしいのは彼のほうに違いない。

「ちょ、警察!だれか警察呼んでください」
「なんや急に」
「歩く猥褻罪オトコいますここに!早く捕まえて」
「いきなり何言うねん」
「だって」
「あんまデカい声出しなや、ほんまに呼ばれてしもたらどないすんねん」
「忍足くんが悪い」
「おっそろしいお嬢ちゃんやで」

 真昼のカラオケボックスにはもっともそぐわない声を垂れ流す忍足くんを止めたくてワンコーラスで無理矢理演奏停止ボタンを押した。なんなのその声は、ここは深夜のクラブかなにかですか。なんでそんなに息を混ぜるの、勘弁してよ。
 バレンタイン当日、忍足くんへのチョコレートなんて当然用意していなかった私は、「代わりにサボってちょっと付き合ってえや」と言われるままに学校を抜け出した。なんで言いなりになってしまったのかは、分からない。声に酔わされたのか、もしくはただの気の迷いだと思う。

「ひとつ聞いてええか?」
「聞くのは忍足くんの自由、答えるのは私の自由。どうぞご自由に」
「拗ねてんか」
「拗ねてない」

 音のないカラオケボックスで二人、隣室から響いてくるへたくそな歌を聴きながら氷の解けたアイスコーヒーを啜る。

「俺のこと、キライなん」
「……」
「答えたないんか」
「…声は、すき」
「そうか」

 言ったきり、忍足くんは黙り込んでコーヒーを啜っている。ストローを支える指がきれいだ、と思った。

 声は、すき。
 だから考えてみた。
 自分がどうして忍足くんの声に弱いのか。心がぐらぐらに揺さぶられるのか。心ってどこにあるのか、どこの器官に属するのか。
 胸が痛くなるのも、動悸がはやくなるのも全部脳からの指令によるものだとすれば、つまり、心とは脳にあって。忍足くんの声を聞くたびに脳がぐらぐらにゆさぶられるから、きっと酔うのだ。勝手に酔わされてしまうのだ。

「声は、すきなん?」

 さっきより少し近づいて、忍足くんが問う。弱みを見せてしまったのは失敗かもしれない、と思った。だって営業ボイスですか!って言いたくなるくらいいい声作ってる、これ。抵抗できなくなる声。だから、嘘はつけなかった。

「すき。ものすごく好き」
「今はそれだけでもええわ」

 ストローを支えていた指が、ふっと空を切って髪をなでた。そうされるのにも、弱い。

「指も、すき」

 ぽろっと言ってしまったら、「これか?」と言いながら長い指を目の前に一度かざして。膝の上に置いたままだった私のてのひらにするりと絡んだ。肌と肌のふれあう感じに、背中がぞくぞくして肩がゆれる。また脳みそがゆすぶられている。
 なんでこの人の言動はいちいちえろいんだろう、って睨みつけたら眼鏡の奥の切なそうな視線とぶつかった。その目も好きだと思った。

「前言撤回してええかな」
「どうぞご自由に」
「やっぱ、それだけやったらアカン」
「……」

「それだけやったらアカンわ俺」と繰り返す忍足くんの言葉をききながら、それは自分の気持ちだと思った。それだけだったら嫌なのは、私。このまんまじゃ嫌だと思っているのは、私。
 大切なことはいつだって、突然気づくのだ。
 ぶわわ、とあふれ出てきたものをどうしたら良いか分からなくて私は忍足くんの指を握り締めた。
 それでも、ぶわわ、が止まらないので俯いて顔を隠した。

 二人して指を絡めたまま、音のない部屋で1時間とすこし。
 ひたすら名前を呼び合って、キスばかりくりかえした、そんなバレンタインの午後。



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【case03.宍戸&鳳&向日】

「いま生徒会室立入禁止らしいですよ宍戸さん」
「樺地も可哀相に」
「見張りに立たされて、ひどいことになってました」
「ひどいって、ああ…跡部宛のチョコまみれってことか」
「また今年もトラックで収集運搬に来るんですかね」
「だろ」

 うんざりした顔の宍戸と鳳の元へご機嫌斜めの向日が現れる。

「くそくそっ!侑士め!」
「忍足さんがどうかしたんですか、向日先輩」
「アイツもどうせ今ごろチョコまみれじゃねえの」
「午後の授業、女子と二人で抜け出して帰って来ねえ!アイツ!」
「本当ですか」
「跡部も忍足もただれまくってんな…激ダサだぜ」

 無言で頷く3人。

「つか、ジローは?」
「校庭の木の陰で仏像へのお供えみたいに寝たまんまチョコの群れに囲まれてました」
「「ああ…この寒いのに」」
「あと、誰かいたっけ長太郎」
「もうこれで全員じゃないですか宍戸さん」

 いやいや日吉くん忘れてるよ。下剋上されちゃうよみんな。というか鳳くんは笑顔でサラっと黒い。
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2012.02.14
happy valentine's day!!&長太郎はぴば
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