15文字以内で

 あんまり無音状態が長くつづくものだから、数十分前に消したチョークの粉が空気にふわふわ舞っているのすらみえる気がする。もしかしたら、自分の耳のほうがイカれてしまったのではないかと錯覚しそうになったけれど、グラウンドから部活動をしているらしい物音が届いて、その仮説はたったいま取り下げた。

 気が遠くなる。それくらい長い沈黙がつづいているからには、なにかワケがありそうなものだけれど、生憎私にはさっぱり心あたりがないのだ。

 忍足くんは無表情のまま、だんまりを決め込んでいるし、このおそろしく頭のきれる男に下手な言葉をかけたところで、薮蛇というか、屈辱的な議論を吹っかけられて、めためたに打ちのめされた末に凹みまくる未来が待っているだけの気がするから、いまはおとなしく様子をみることにするよ。

 うん、私かしこい。私オトナ。

 それにしてもなんなのこの人。なんなのこの状況。いつもはあんなに女の子にやさしい顔ばかり見せているくせに。模範解答みたいな紳士的応対をするくせに。意味ありげな熱視線を注がれるのにはすっかり慣れきったスマートな態度で、あきれるほど上手にすべてを流すくせに。私にはどうして、こんな。


 状況を整理しよう。
 私はいま、特に仲良くもないただのクラスメート・忍足侑士くんと放課後の教室で無言のまま睨み合っている。正確にいうならば腕組みして立ったまま睨みつけているのは忍足くんだけで、私は困惑しつつその綺麗な顔をみあげているのだけれど。まあ、とにかく二人とも視線を相手から外さないまま黙り込んでいるところ。
 もう15分くらいは経ったんじゃないかなあ。いつまで続くんだろう、この沈黙の攻防。

 ことの起こりは………
 ………全くわかりません。

 それにしてもこんなに刺々しい忍足くんは、はじめてみた。たぶんこの状況はかなり貴重だと思うし、本当は写真にとりたいくらいなのだけれど、なにを怒ってるのかよくわからないのにそんなことをしたら火に油を注ぐことになりそうだから、涙をのんで我慢する。我慢している。
 そのかわりに、忍足侑士の隠れた素顔観察でもしてやろうと思います。気づかれたらまずいから、こっそり。こっそり。

 そうと決めたら、途端に沈黙が楽しくなってきた。ポジティブシンキング万歳だよね。

 光のあたり具合のせいかレンズが反射して瞳はほとんど見えないけれど、夕陽をあびて陰る頬の輪郭が絶妙のラインを描いている。いますぐデッサンしたくなるくらい好みの曲線。なんと言うか、審美眼をくすぐられるね、このラインには。
 さっき面倒臭げにゆるめたネクタイのせいで、いつもより首筋がよくみえる。その真ん中できれいな喉仏が存在感をはなつ。

 ああ、あれが巷で有名な低音エロティックボイスを生み出す源の器官ですか。なるほど。心で頷いたのと同時に、喉仏がちいさく隆起した。

 ついに口をひらく気になってくれたのかとくちびるに視線をうつせば、閉じたまま口角の下がったそれは微動だにしない。

 ただでさえ長身の忍足くんに立ったまま見下ろされれば、座っている私はのけ反るように見上げるしかない訳で、不自然な姿勢の負担を一身にうけつづけている首がだんだん痛みを訴えはじめる。もうすぐピークだ、たぶん我慢の限界も近い。

 首は痛いが、オレンジ色の空のせいで感情がやわらかく丸くなる。つくづく自分は抗戦的な才能に欠けているようだ。一方の忍足くんからは、あいかわらず鋭利な刃物のようにするどくて、繊細な気があふれている。

 その気配は物騒で恐ろしい。恐ろしいのに哀しい。哀しいのに優しくて、危うく脆い。まるで強がる子供が泣くのを必死で堪えている姿みたいで、いますぐ抱きしめなくては壊れて消えそうな気がした。

 さすがにいきなり抱きしめたりはできないから、彼が口火を切れないのならせめて私から手をさしのべよう、と口をひらきかけたら何かが聞こえた。


「なんでやねん」

 さんざん続いた沈黙に、珍しくするどい声がピリオドをうつ。普段は腰がくだけそうな甘い声ばかり惜し気なくふりまいているのが嘘みたいな低い声。この人、本気で怒ってる。いつもやわらかく人当たりのいい好青年の仮面をつけている彼が、分かりやすくエゴをさらしている。

 怒ってることは分かった。でも理由が分からない。そもそも、なんで?とはなんのことだろう。彼は何を聞きたいのだろう。あまり接点のなかった過去をふりかえってみたけれど、思いあたることひとつ浮かばない。

「なんで…って、何?」

 忍足くんの顔を見上げたら、いつもに増して表情のよめないポーカーフェイスが張り付いているだけだった。

「まだ白切るやなんて、ほんま自分ええ根性しとんなァ」
「………」

 お腹の底にひびく低音。いくら脅されても、分からないものは分からない。脅しているのに泣きそうにみえるから、やっぱりこの人を抱きしめなくてはならないと思った。

 どうしてそんな風に感じるのか自分でも分からないまま立ち上がる。椅子の足が床に擦れて、ギギッと無機質な音を立てた。一歩近づけば、忍足くんが微かにひるむ。かまわず手をのばして二の腕を掴んだ。

「シラなんて切ってないよ」
「嘘や」
「嘘じゃない」

 掴んだ手をひきよせるより早く、腕のなかに捕らえられていた。背中に回った腕に我にかえる。身じろいでみたが、忍足くんの力は強くて抗えない。

「俺に納得いくように説明して」
「なにを」
「なんで自分が必要以上に俺を避けてるんか」
「………」
「さんざん避けとったくせに、なんで今になって抱きしめようとするんか」

 かたい胸がおどろくほど不規則にふるえている。低い声が頭の後ろからひびいて、ぐらぐらと揺さぶられる。なんなんだこの公然猥褻物陳列罪現行犯逮捕レベルの美声は。間近で聞かされたらこんなに、こんなに。

「……っ」

 苦しいほどに胸郭をしめつけられれば、喘ぐような声がもれる。これでは喋ることもできないし、第一いま胸がいたいのは物理的な苦しさのせいなのかそれとも別のなにかが原因なのか、さっぱり分からない。忍足くんに抱きしめられて、苦しい。
 苦しいけれど、さっき忍足くんを抱きしめなくてはならないと危機感に苛まれたのは、この人が自分を必要としてくれていたからではないか、と思った。自分もこの人が必要だからではないか、と。
 それってつまり、

 私は、忍足くんが…好き?

 そういうことなのだろうか。
 こんな状況で気づかされた自らの心の内に焦る。焦ってもがけばいっそう抱きしめられる。

 私は忍足くんが好きで、だから無意識に避けていたのに、いまその張本人に抱きしめられていて、彼の胸の音がダイレクトにひびいていて、いくら身を捩ってもはなしてもらえなくて。それはなぜかと考えたら、つまり、つまり彼も…?
 パニック寸前の私を弄ぶように、頭の裏側で一際低い掠れ声がひびいた。

「説明、しろ」


15文字以内で
と、とりあえずその声反則です。
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