ないしょの遊びかた

 眼鏡をかけたまま寝てしまったらしい。深夜にもかかわらず煌々とあかりの灯った部屋で、鏡をのぞいたら右のこめかみに浅くフレームの跡がついていた。最悪だ。
 と思った瞬間にインターホンがなって「はいはい、ちょお待ってやァ」と呟きながらモニターのほうへ進む。とっくに24時を回っとんのに誰やねんいったい。ポチリとモニター下の通話ボタンを押せば、訪問者を映すより先に待ちきれないようなノック音が聞こえる。
 ドンドンドドドンってなんやそれ四天宝寺かいな、お前は謙也か。ほんま近所迷惑甚だしい。
 オートロックで外部の者は簡単に入り込めないセキュリティ万全のマンションで、こんな傍若無人な振る舞いをする相手なんて一人しか思い浮かばない。同じマンションに住むあいつ。

「なんやねんこんな時間に」

 面倒臭さ満載の顔を作ってドアをあければ、いまにも飛びつきそうな勢いで彼女が転がりこんでくる。

「侑士くんよかったいた!」
「いてるに決まっとるやろ」
「会いたかった」
「!」
「早く入れてよ」
「アホか」

 どきっとするようなことを平気でこぼす女の口を慌てて手で塞ぐ。後ろめたいことなどこれっぽっちもないが、いかんせん声がでかい。だいたい「早く入れて」てなんやねん。そこだけ録音したるからもっかい言えとか思いつつ腕を引いてドアを閉めた。まだドキドキしとる。

「でもホント良かったいてくれて」
「俺はどこぞの不良女子大生とはちゃうからなァ。真面目な高校生やし」

 厭味で返したのに笑顔でサラっと流されて、これが俺と彼女のパワーバランスかと思えば悔しい。
 靴を脱ぎつつバランスを崩す彼女に手をかしたら、かすかにアルコールの匂いがした。

「ごめんごめん。ちょっとだけ話聞いてくれるかなお邪魔します」
「おい」
「酔ったお姉さんは話したがりの寂しがりなのですよ」

 まだ許可も何もしてへんのにヒールを慌ただしく脱ぎ散らかして彼女は上がり込む。持っていた鞄を俺におしつけて、我が物顔でリビングへ進む背中にため息が漏れた。まあ、いつものことやから慣れっこなんやけど。俺は酔っ払い専門の保護者ちゃうで。

「もしかしてもう寝てた?ここ、眼鏡の跡ついてる」

 男前台無し、とくつくつ笑いながらこめかみをすうっと撫でる指がつめたい。きっちりコートを着ているところを見れば、たったいま帰宅したばかりのようだ。正しくは帰宅ではなく、ここは俺の家なのでニアリー帰宅ね。

「誰かさんのせいでばっちり目ェ覚めてもうたわ」

 嘘である。起きたのは彼女の来訪より数分前。目覚めてすぐにセットしたコーヒーがちょうど落ちるところだ。

「ごめん、ホントに」
「ふん」
「眼鏡かけてないところ、見るのはじめて」

 男前は小道具ナシでも男前なんだねえ、カッコイイ。なんて言いつつ感慨深げに見つめる視線を、本気か冗談か計りかねてキッチンへ逃げ込んだ。

「コーヒーでええか」
「お気遣いなく」

 そこが自分の定位置とソファの右隅に陣取った彼女が、さらり、コートをぬぐ。下からあらわれた冬にしては薄着の姿に、こいつには危機感とか貞操観念というものはないのかと説教をしてやりたくなった。
 デコルテのきれいに見えるトップスにきわどい長さのミニスカート。もしかしたら俺が脚フェチだと知っていてわざとこんな格好を見せるのかと短いスカートの裾にこっそり視線をさ迷わせる。何度みても好みの脚だ。

「それにしても殺風景な部屋だよね、うちと同じ間取りに全然みえない」
「そらどうも」
「別に褒めてないけど」

 すっかり彼女専用になってしまったマグカップを手渡しながら、隣に腰をおろす。ふわっと笑顔をこぼしたその下へ視点をおとせば、生の太腿がふれそうに近い。
 彼女は本当にわかっているのだろうか、俺が大人へ成長する過程にあるただの男だと。こうも無防備に二人きりの空間で安らがれると困るというか、とりあえず目のやり場にものすごく困る。昼間のテニスコートでテニスウェアから生える健康的な脚たちを観察しているのとは明らかに違う感覚。透けるほど白いその肌が、息苦しい。
 見せんな。ほんま、隠せ。

「聞いて欲しいことて何なん」
「侑士くんの顔見たら忘れた」

 けたけたと笑う彼女は明らかに酔っている。いつもよりずっと。そもそも彼女がここへ来るのはたいてい飲んだ後なのだが。酔って勢いつけないと来られないくらい、自分を異性として意識してくれているのならいいのにと甘い妄想に羽ばたきかけた俺を彼女の鼻声が引き留める。

「侑士くんの煎れてくれるコーヒーほんと美味しいよね」

 飲んだあとに最高!と心ない言葉をつづけ、両手でマグカップを支えてちびちびと液体を啜る。

「うちは喫茶店ちゃうで」

 腹立ちをめいっぱい混ぜたはずの言葉は、不器用にふるえた。

「知ってる」
「ほななんで毎度毎度うち寄るんや。用もあらへんのに、こんな夜中に来るなんて嫌がらせか」
「まさか」
「ほんなら何やねん」
「………」

 どうせ酔って訪れるのならば、もっと酒に呑まれて、いつもの良いお姉さんの仮面を外してくれればええのに。ここで 俺に会いたかった とか嘘でも言うてくれたらええのに。

「さっきまで泣いとったんやろ」
「なんで」
「前髪、湿っとる」

 俺が手ェだしても酒のせいやししゃあないな、って流せるくらい呑まれて前後不覚になってくれればええのに。せめて、歳下男に付け入る隙くらい与えてくれ。

「侑士、くん…」
「慰めへんで。俺のために泣かへん女なんて」

 思い切り眉間にシワを寄せて見下ろしたら、彼女の白い指が額をピンとはじく。いったいなァと抗議しかけた俺の耳に、意外な台詞がきこえたのはその直後。

「じゃあ慰めなさい」

 ことり、音をたてて彼女がカップをおろす。なめらかな動きとは裏腹に、目が据わっている。

「は?」
「慰めろ、と言ったんですが聞こえませんでしたか忍足侑士のアホ」
「なに言うて、」
「こっちが……」

 こっちが毎回持ってるもん全部使って青少年を誑かそうとしてるのに全然気づいてくれないアホ。ちっとも罠にかかってくれない鈍ちん。聖人君子ぶったアホゆーし。寝る!

 言いたいことだけ言い終えるといまにも泣き出しそうな潤んだ目を見せてぱたりと膝に倒れこんできた彼女は、すぐさま寝息をたてはじめる。

 え、ここで、いま寝るか?

 核心はうやむやにされたまま。やっかいなお嬢ちゃんは安らかな顔で膝のうえを占領して。俺をさんざん引っ掻きまわしたうえに、心までぜんぶ占領して。

 なんやこれ。
 もしかして、もしかせんでも俺イケナイ狼さんになってええの?
 いや、もう返事なんて聞いたるつもりないし今さら逃がすつもりもさらさらないけどなァ。



(侑士くんは、いつもこうなの?)
(なにが)
(こんなふうに女の子を甘やかすの?)
(さあ、どやろな)


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