いちいちぜろ

 うとうととベッドでまどろんでいたら電話がなった。深夜に迷惑もかえりみず電話してくる相手なんて一人しか浮かばない。たぶん向日だ。こんな時間にかけてくるくらいなら明日にすればいいのに、どうせ朝には教室で会えるのに。またいつもの下らないバカ話にきまってるし。
 眠い目をこすりながら、相手も確認せずごそごそと布団に潜ったまま通話ボタンをおした。

「どしたの、がっくん」
「………」
「こんな時間になに、私眠いんだけどもう寝てたんだけど今にもまた眠りの大魔神さまにさらわれそうなところなんだけど」
「………」
「なんなの、とっておきの忍足くん情報教えてくれるとかじゃなかったら本気で怒るよ」
「……っ!」
「がっ、くん?」
「…ちゃう」

 ものすごい低音の心地好い声が耳元でひびいた。バリトンっていうのかなこれ、それともバスかな。音域の区分はよくわからないけどとりあえず低くて、耳たぶからじわじわ下腹部に這い降りていくような声。
 ああ、眠りの大魔神さまはいい声なのね。その声で迷える子羊チャンたちを深いふかい眠りの淵に引きずり込むんだ。じわじわ力を吸い取って起き上がれなくするんだ。きっとこれ夢なんだ。
 あれ?
 でも、たしか私いま向日と電話してたような。ぜんぜん喋らないなんていつもの彼らしくないなあ。自分からかけてきたのに。

「…んー?喋ることない、なら 私もう寝る…し……」
「寝んなやボケ」

 いま、ファビュラスマックスなものすごくいい声で蔑まれた気がする。けど、眠い。もしすぐに眠らせてくれるのなら私の全財産を渡してもいいくらい眠くて。

「岳人ちゃう」
「ん…」
「聞いとんのか」
「はいはい もちろん聞いて ますよ大魔神 さ…ま」

 私は従順な子羊ですから。声にならない声でむにゃむにゃとつづける。

「おいおい、頼むからもうちょい起きててえな。俺がどんな想いで自分に電話した思とんねん」

 それにしても大魔神さま、ホントにいい声。ゆるやかに耳元でささやかれたら、だんだん、眠く、

「ん…む……」

 眠、く…なって きた、よ。
 わたし もう だめ だ…――


 お
  や す

  な
   さ

 い


「あーあ、寝てもうた。すうすう寝息聞こえとるわ。しゃーないなァこのお嬢ちゃんはほんまに」

 まるで私を寝かしつけるような優しい低音に耳も身体も全部委ねて。ゆりかごみたいにゆらゆら揺られる。

「おやすみ。ええ夢みてな」

 意識がとろとろに溶けてほどけて、薄まってなくなる寸前。ひときわ低くつやのある声が 「好きやで」 と囁くのを聞いた。 ような気がした。





「昨日なんかものすごく幸せな夢を見ながら寝た気がするんだよね」
「なになに?」
「犯罪級の美声の大魔神さまに寝物語でやさしくねかしつけられて」
「なんで大魔神?そこは王子様とか言うところでしょ」
「たしかに、そうかも」
「まったく。あんたは」

 朝の教室で女友達とつかの間のガールズトークを楽しんでいたら、朝練を終えた向日と忍足くんが教室へ戻ってきた。

「おはようがっくん、昨日ごめん」
「昨日?」
「うん。電話くれたでしょ私途中で寝落ちしたみたい、で」

 向日の後ろで忍足くんがものっそ眉間にシワを寄せていらっしゃるんですけどこれはいったい。
 それにしても忍足王子様。汗をかいて暑いのか、ゆるめに締められたネクタイの首もとがまぶしい。その肌、非常に神々しいです。

「急ぎの用事とかじゃないの?」
「いや、別に用事ないぜ」
「じゃあなにあれ嫌がらせ?」
「まっ、待て!つか、そもそもお前に電話した覚えねぇけど」

 え。

「じゃあ、あれ夢か。やっぱり」
「なに、もしかしてお前俺の夢とか見たのか?」
「ち、ちがう!私は!ものすごくうっとりするような低音美声の眠りの大魔神さまの夢を、だな」

 見ていただけで、違うから向日じゃないから。だって私が向日の夢をみたとか誤解されたら困るじゃないか。忍足くんに、誤解された…ら。いやだ。
 必死で言い訳をしている私のほうへ、一歩、忍足くんが近づいた。さっきまで眉間に刻まれていたシワは、もうない。
 ひそかな私の王子様は今朝も一段とうるわしくて。わ、近い近いちかい。またすこし近づいた彼を見上げたら、腰を折って顔を覗きこまれる。ばっちり目が合った。

「な、なに…忍足くん」
「いや。もしかしたらその声、こんなこと言うてたんちゃうかなあ思て」
「え」
「耳、かしてみ」

 や、いやいやいや無理だから耳かすとかぜったいムリ。だいたいなんで忍足くんが私の夢の内容知ってるの。いや知ってるわけないでしょ、ないないないない有り得ないよそんなこと。私どんだけ夢見がちなアホなんだ、まったく。忍足病末期だなこれ。
 これ以上近くでその顔を見ていられなくてぎゅうっと目を閉じたら、さらり、髪を掻き分けるやさしい指の感触のあと 耳たぶに ふっ、と息がかかって。私にしか聞こえないような掠れ声で忍足くんが低くささやいた。

「好きやで」

「……!?!!!」
「な。当たったやろ?」
「・・・・・・・」

 大 魔 神 い た。

 いましたここに大魔神。
 ということは昨日の電話の相手は向日じゃなくて忍足くんで。私、だいぶ寝ぼけたまま本人にむかってとんでもないことを口走ってしまった、ような遠い記憶が。あるような ないような ある、ような。
 な!忘れ、たい。忘れさせてくださいいいあわわわわ、っていまさら頭を抱えても一度口にだしたことは消せないわけで。
 動揺しすぎてじたばたしている私をみて、忍足くんがくつくつと笑っている。悔しい。けど、悔しいくらいカッコイイなあ。なんでこんなに。ため息といっしょに口からなんか出てきそうだよ。

「ちなみに」

 再び聞こえた彼の声に、抱えていた頭をガバッとあげる。そのまま固まっている私に、ひそひそ話の要領で彼がそっと身をよせたので、脊髄反射で耳をすます。


「昨日のあれ、 夢ちゃうで」

 喉のおくで溜めに溜めて絞った声にわざとらしいくらい息をたっぷり混ぜて、忍足くんが低い声を注ぎ込むから。全身の毛穴はぞわぞわと逆立っているし、腰はすっかりくだけた。たてない。私もう立てません。

 骨抜き、ってきっとこれ。

「せやせや、」

 朝の爽やかなはずの空気が、私の周りだけ真っピンクにみえます。網膜もこわれたみたいです。だれか救急車よんでください。いやむしろいますぐ逮捕してくださいこの人。


いちいちぜろ
(とっておきの忍足くん情報、教えたろか)
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2012.01.16
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