絶対服従計画
とりあえず鞄をつかんで、慌てて教室を飛び出した。越前くんをチャリの後ろに乗せて、今にも門を出てしまいそうな桃城くんをみつけたのは、それから10分後。
「かくかくしかじかで、ある勝負の結果 桃城武くんはみごと彼女をチャリの後ろに乗せて帰れる栄冠を手にいれましたおめでとう。やったね!(詳細は>>指定席は君の、)」
勢いこんでそう話せば、いつもは男気たっぷりの彼がはにかむように表情をくずす。照れてる。
神様、やっぱり私の勘はアタリのようです。うんうん。絶対ふたりは両想いだと思ってたんだよね。
「まじかよそれ!」
「まじ。あの子教室で待ってる」
私の言葉を聞いた途端にすごい勢いで校舎に駆けていく桃城くんの背中を、微笑ましい思いで見送った。
いやあ、今日はホントいいことしたなあ私。神様がどこかで見ててくれたらご褒美のひとつやふたつ戴いちゃってもいいレベルのラブキューピッドだよねこれ。
「あーあ、桃先輩行っちゃった」
無言でうんうん、と頷きながら自分の善行に悦に入っていたから周りはぜんぜん見えていなかった。ポケットに片手を突っ込んだ越前くんが、ぽつんと取り残されていることも。
「ねえ」
「………」
「ねえって」
「………」
教室のほうを眺めて、今ごろふたりでどんな会話しているんだろう今夜電話でまた彼女を問い詰めてやらなくちゃ、とか考えながらにやにやしていたらいきなり肩に鈍痛が走る。
「イタッ!」
「さっきから呼んでるんスけど」
見れば、触れそうなくらい近くに立った越前くんが、思いきり私を睨みつけていた。なんでこんなに怖い顔してるのこの子。
「なに?」
肩で軽く小突いただけらしいけど、まったく構えていないところに不意打ちされたから、痛みよりもびっくりして声がでた。
「先輩 気づいてくれないから 実力行使、ってやつ?」
「なんで疑問形なの、越前くん」
私の問い掛けには答えずに、彼はきゅっと口角を歪めて笑った。なにその不敵な笑顔、私なんかそんな顔されるようなこと君にしたかな?
「で?」
「え…?で、ってなに」
「当然この埋め合わせはアンタがしてくれるんっスよね、先輩?」
「埋め合わせ…」
すたすたと自転車置場のほうへ進み始めた彼を追いかければ、一度も振り返らずに2年の置場に着いた。
「アンタのチャリ、どれ」
「あ、あの赤いやつだけど」
「悪くないじゃん」
「え、え、会話が見えません」
「頭は悪いんだね」
ひどい暴言を受けたすえ、心底呆れたように、盛大なため息を頂戴した。君は口が悪いよね、ってよっぽど厭味言ってやろうかと思ったけど、とりあえず飲み込んどくよ。返り討ちに遭いそうだから。
「カギは?」
「これ。って説明してよ越前くん」
カギを受け取ろうとひらいたてのひらは、意外にも骨張っていて私より大きい。越前くんも男の子なんだなあ、と思ったら胸がちょっと跳ねた。ちょっとだけね。
「意味わからないんだけど」
なんの説明もないまま、私の自転車のロックを解除する越前くんに詰め寄れば、またため息がかえってくる。なんなのこの子、可愛くない。可愛い顔してるくせに可愛くないよ。
「一回しか言わないっスからね。あと反論は却下だから。いい?」
「う…ん」
そんな鋭い目をして言われたら頷くしかないじゃない。なんでこんなことになってるの、私今日すごくいいことをしてご褒美的なものが貰えるんじゃないかと思ってたのに、全然違う流れだよこれ。
「じゃあ聞いて。俺と桃先輩はさっきまでハードな部活してて疲れてる。俺の家は徒歩通学圏内だからチャリがない。だから疲れてる俺をいつも桃先輩が2ケツで送ってくれる。今日もその予定だったのにいきなり現れた横暴女が桃先輩をチャリのケツごと拉致っていった。俺は歩きたくない。アテが外れた俺、可哀相。だから代わりにアンタが送って。以上」
「………」
「OK?先輩」
いやいや、聞いてる途中で想像はついたし、親友のためとは言え越前くんにはちょっと悪いことしたなあと思ったよ。思ったけど、対価の「送ること」が決定事項になっちゃってるのはどうなの。横暴女とか言ってくれちゃってるけど、むしろ越前くんのほうが横暴でしょ。私やだ。ことわる。
「……絶対?」
「当然でしょ」
一刀両断でことわってやろうと思っていたのに、自信満々の不敵フェイスで言い切られたら、ついうっかり「はい」と返事していた。半分脅迫みたいなもんだよね。食えない子だなあ、まったく。
仕方がないから通路まで引っ張り出された自転車の後ろに回って、越前くんが乗るのを待つ。じっとおとなしく待っていた、ら。
「なにやってんスか先輩」
「いや、越前くんが乗る前に私乗れないでしょ。後ろ不安定だし」
「は?アンタが前」
また横暴でたよ。
あの…男女がチャリに二人乗りって言ったら、一般的には男子が運転するパターンのほうが多くないですかね。
反論してやろうと口をひらきかけたら、まるで私の考えをぜんぶ見透かしたように彼から鋭い視線が飛んでくる。迫力があってこわい。
「なに?」
「いや…」
「反論なら聞かないっスよ」
そうですよね、すみません私が間違ってました。前、行きます。部活でお疲れなんですよね。送らせていただきます越前くん。
すごすごと前に移ったら、分かればいいんだよとでも言いたげに「ふん」と鼻を鳴らされた。
いつか男の子と自転車二人乗りするときは、大きな背中をこっそり観察したり道路の段差にまかせてギュッとしがみついてみたりしてやるんだ、って乙女チックに夢みていたのに。
初二人乗り体験は自分が前になりました。ああ…なんて残念なの、ちょっとせつない。
「腰、掴んでいいスか?」
「ど…どうぞ」
学ランの腕が、自分の腰にゆるくまわされる。女の子以外を後ろに乗せるのは初めてで、こんな体勢いつもは何とも思わないのに、なんだか。あれ?妙にドキドキする。まるで後ろから抱きしめられてるみたいな感じだよね。いや、実際抱きしめられているのか。
一度そう意識してしまうと、ドキドキがとめどない。身体がヘンに強張って動けなくなる。
「ずっと止まってるつもりっスか」
頭のすぐ後ろで声がひびく。まだ低くなりきっていない微妙な音域が心地好い。いままで気づかなかったけど 私 越前くんの醒めたこの声、結構すきかもしれない。
とか思ってしまったら、また鼓動が跳ね上がった。
「先輩、聞いてる?」
「う、うん。行く。行きます」
勢いつけてペダルを踏みこんだら、男の子っぽい爽やかな香りがふわっと広がる。制汗スプレーか何かだろうか。そんなことひとつでまた、ドキドキが膨らんでゆく。
神様、これご褒美ですか。むしろ新手の拷問というか、ドキドキ耐久レースというか。心臓が悲鳴あげてるんですけど。壊れそうなんですけど。
スピードに乗って走り出してしまえばすこしはラクになると思ったのに、曲がり角のたびに「右」とか「次、左っス」とかそっけなく告げられる声にいちいち引き戻される。
途中でおまわりさんに二人乗りを注意されるし、なんだかんだで結構重たいし、心臓はドキドキしっぱなしだし、とりあえず疲れた。ものすごく疲れたよ。
おかしいな。今日私いいことしたはずなのに、なんだか逆に散々な目にあってる。
「ここ俺ん家」
「お、お疲れさまでした」
ホントお疲れさま私。後部席の重みがなくなりがっくり力の抜けた私を見て、越前くんはくつくつと笑う。
笑いごとじゃないのですよ、越前くん。私のなかはいまカオスです。他人の恋愛話でにやにやしてる場合じゃなかった。たった数十分で越前くんが気になって仕方なくなってる。
やばい。これって、もしかして。
「桃先輩がダメなときは、またよろしくっス」
「か、考えとく」
「ところで」
「ん?」
「先輩の髪、いい匂いっスよね」
だめだ。
私、堕ちた。
絶対服従計画生意気な後輩にぶんぶん振り回される予感でいっぱいです。