正しい夜の歩き方

 お風呂あがりの髪をごしごし拭いながら毎晩電話越しに会話する。かけてくるのは、いつも彼から。桃城くんいわく、愛の定期連絡ってやつらしい。ほとんど毎日顔を合わせるくせになにが定期連絡なのと思うけど、耳元で声が聞こえればやっぱり無条件で口端がゆるむ。私は桃城くんの声がすきだ。

「そのあとにな、あのストリートテニス場で越前の奴が…」
「そういえば前にデートしたって」
「は!?」
「杏ちゃんと」
「…何でそれを」
「聞いた」
「だ、誰に」
「ないしょ」
「あーーっその、あれは誤解だから!そんなんじゃねえから全然っ」

 電話の向こうで、桃城くんのやわらかい声がひっくり返る。焦ってるその声もすきだなあ、と悠長に構えている私とは対照的に、桃城くんはいまごろ冷や汗でも垂らしているのかもしれない。
 質問にふかい意味はなくて、ただの会話の流れなのに。そんなに焦って声を上擦らせなくても。ホント桃城くんってかわいいなあ。

「気にしてないし」
「えええええ、そこは気にしろよ」

 おまけにヤキモチ妬いて欲しいと言わんばかりのその反応、なんなのそんなに私が好きか!堪らないよかわいいよ大好き!

「気にしなきゃならないようなこと、何かあるんだ?」
「なっ!ないないないねえよ何も」
「じゃあいいじゃない」
「…いや、でもそれは、その ほら 微妙な男心っつうかなんつうか」
「はいはい」
「あれだよあれっ!橘妹のことはまあ可愛くないことはないし、いいヤツだと思うけど、でも、ただそれだけで。あの日だってアイツが勝手に"デート"とか言ったせいで罪もねえのに神尾にはウザいくらい絡まれるわなんだかんだでエライ目に遭っただけっつうか。どうせデートならお前としたかったっつうか、なんつうか…あの…」
「くどい!」
「ひでぇ…」
「それより、桃城くん全豪オープン見た?ねえ見た?錦織さん超カッコイイよね。あの緊迫した場面できっちりジャックナイフ決めるなんて、さすがプロフェッショナル!ってうっとり」
「………」
「桃城くんのジャックナイフももちろんカッコイイけど、テレビの画面越しにみるとまたひときわ、違って見え」
「………」
「あれ?桃城くん?」

 なんの反応もかえってこない受話器に耳をすますと、ツーツーツーと通話終了をしめす機械音だけがむなしくひびいている。
 ちょっと怒らせたかなあ。でもまあ明日謝ればいいか、と思った瞬間に携帯がけたたましく鳴いた。
 メールの着信音だ。

『まったく。俺に会いたいなら素直に言えばいいのに。仕方がねーな、今から行くからあったかい格好で待ってろよ。着いたら連絡すっから!』

 は?桃城くんどうした!?いま夜中の23時すぎなんですけど。それに私会いたいなんて全っ然、1ミクロンも思ってない…ことはないけど。そりゃあ会いたいけど。でも。一言も口にした覚えないよ。
 どこをどう勘違いして彼の中ではこんな話になったのか、たいして意味もない会話の内容を辿ってみたけれど、理由はさっぱりわからなかった。

『気をつけて、待ってる』

 それだけ返信して、とりあえずパジャマを脱ぐ。ここから桃城くんの家までは約1キロ。彼のいつもの速度なら、5分とかからずに着くはずだ。急がないと。

 慌てて着替えてダッシュで髪を乾かして、まだ余裕あるみたいだからお茶の準備をして。それでも来ない彼を待って、手持ち無沙汰に雑誌をめくっていたらあっという間に30分。まだなの、5分の距離だよ?
 さすがに足音が近づいてきてもいい頃だと耳を澄ましてみたけど、何にも聞こえない。窓から外を覗いても、視界にそれらしき人影はなかった。
 さらに10分。まだなんの音沙汰もない。ちょっと心配になってメールを送ってみた。

『大丈夫?迷ってない?』

『こんな短い距離で誰が迷うんだよ』

 だよね。そうだよね。
 うん。私もそう思うよ。

 でも、あなたその短い距離に40分以上かかってるんですよご存知ですか。
 それに、前に越前くんが「モモ先輩の迷子スキルは師範クラスっスね」とかなんとか言ってたのを思い出しちゃったんです私。
 そうなんだよ、桃城くんは天然記念物クラスの方向音痴サンなんだよ、ああ見えて。かわいいぞ、このやろう!とか言ってる場合じゃなくて。
 ダメだ、このまんまじっと待ってたら朝まで会えないかもしれない。というより、朝になっても会えないかもしれない。
 桃城くんの体力なら、大丈夫大丈夫まだまだ全然平気だって!とか言いながら静岡くらいまでなら余裕で走って行っちゃいそうな気がする。そのうち「なんでだか分かんねえけど、いま富士山見てんだぜ!羨ましいだろ」とか呑気にメールしてきそうな予感がひしひし。
 だめだ、止めなきゃ!出来るだけ早く止めなくちゃきっと取り返しのつかないことになる。電話!電話!!

「も、桃城くん!」
「うお、お前かー」
「今どこ!?何が見える?」
「5丁目の角のコンビニだけど。青白い月がみえる」

 顔に似合わず情緒のあることを言うから、つい笑いそうになる。会話をしながらコートを引っ掛けると、ばたばたと慌てて靴をはく。案外近くだ。

「そこにいて!一歩も動かないで」
「な!なに言って」
「今すぐ迎えに行くから!」
「夜遅く 女の子に そんなことさせらんねーな、させらんねーよ」
「いいからとにかく居て!」

 まだ何か言いたそうなのは分かったけど、「じゃあ切るね」と言い放って返事を聞くまえに電話を切った。コンビニまで走れば1分。

 走る、走る。
 慣れない全力疾走のせいで、はあはあと息を切らせて近づけば、コンビニ前の彼はやけに嬉しそうにニヤニヤしている。目的地まではゆるい下り坂で、失速しようとしているのになかなか足が言うことをきかない。運動不足ってこわいね。

「桃城くーん、止まれないーー」
「よしっ、来い!」

 満面の爽やかスマイルを浮かべた桃城くんは受け止め体勢バッチリで大きく両手を広げている。あのなかに、飛び込めって?かりにも公衆の面前なのに?いやいやいやいや。

「むーりーー」

 ギュッと目を閉じたら、走る勢いのまま、転がるように桃城くんの腕にダイブしてやっと止まった。桃城くんの匂いがぶわっと広がって、私のなかに入り込んでくる。

「ナイスキャッチ!俺」

 そのまますぐに離れるかと思った腕はなかなかはなれてくれない。それどころか、ますますぎゅうぎゅうと抱きしめられている。

「も、もう大丈夫…なんだけど」

 桃城くんはコンビニに背中を向けてるから見えないかもしれないけど、あのね、私には店内のお客さんからの視線がイタいです。好奇心たっぷりの眼差しが絡みついてくる。みんなメッチャこっち見てる。

「桃城くん」
「悪ィ、でももうちょっとだけ」
「なんで」
「俺が抱きつきたいから」

 抱きしめたまま、低い声が首筋を直接なでるから、ばかみたいにドキドキした。

「見られてる」
「見せつけてやらぁ」
「………う」
「羨ましいだろ、皆」
「………ん」

 まあ、いいか。
 桃城くんのひろい胸はあったかくてとても心地好いし、なんだか石鹸のいい匂いするし、もう日付の変わりそうな深夜だし。なにより桃城くんがものすごく嬉しそうだから。暫くはこのまんまでも、いいや。羞恥心どっか飛んでけ。

「何でそんなに笑顔?」
「息切らして走って迎えにくるくらい俺に会いたかったのかーって」
「わ、私は桃城くんが迷子になって富士山登ったらどうしようって心配でそれだけで。勘違いしないで!」
「富士山?」
「迷子スキル師範クラスなんでしょ」
「あー、越前か」
「あたり」
「アイツ大袈裟だよなあ」

 まったく気にしてない顔で桃城くんが笑った。何のてらいもない眩しい笑顔が、きれいな月をバックに私だけに注がれる。

「だって遅すぎだよ」
「今後のために近道開拓しようとしたらちょっとだけ迷っちまって」
「やっぱり迷ったんじゃない」
「んで、待たせたお詫びにコンビニスイーツ物色してた」

 ほい、これ土産。と渡されたビニール袋のなかには高級感たっぷりのプリンアラモードがふたつ。

「ゆるす」

 なにを隠そう私はプリンという代物が大好きなのです。この世のスイーツのなかでは五本の指に入るくらい。なかなかやるじゃん桃城くんナイスセレクト!って上機嫌で彼をみあげたら、急につやっぽく目を眇めた彼とバッチリ至近距離で目が合って。その眼差しに、抱きすくめられた。

「ゆるすついでにもう一個」
「なに…」

 問い返す私の言葉をとめるようにごつごつした人差し指がそっとくちびるに触れて。一瞬ではなれていく指を目で追ったら、顎を掬われて。
 真上にある顔があまりに愛おしげに歪むものだから、息をとめたまま眼を細める。形のよい目がきらきら光って私を見てる。むねが裂けそうにドキドキしている。
 いつもの明るい笑顔が嘘みたいな切なそうな表情に、心臓をわしづかまれる。笑顔にごまかされているけど、桃城くんってそうしてるとものすごく端正な顔立ちなんだなあ、なんて改めて実感する。
 見て見て、こんな人が私の彼氏なんだよ。みんな羨ましいでしょ!こっそり心の中だけで呟いて。
 傾きながらゆっくり近づいてくるくちびるを、そっとそっと受け入れた。

(ごちそうさまっした)
(………ゆるす)


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