リップヴァージン
カサコソと音を立てて桃が包みをあけるのをぼんやり見ていた。ふわ、漂う香りは甘ったるくておいしそう。言わずとしれた食いしん坊の桃は、こうしてよく不意打ちでなにかを頬張る。
「お前もいる?」と、差し出されたのはハイチュウ・ピーチ味。もしかして名前とシンクロさせて味を選んでいるのかもしれない、桃のそういうトコかわいいな。と思いながら首を振った。
「いまいらない」
「美味ぇのに、ハイチュウ」
「知ってるけど」
桃は知る人ぞ知るハイチュウ好きらしいが、どちらかと言えば私はぷっちょ派なのだ。あのふにふにのなかに紛れたぷちぷち触感がたまらなくて、今も鞄にしっかり入ってる。もちろんハイチュウだって好きだから、どっちも食べるけど。
「ねえねえ、桃は浮気しないの?」
「う、浮気ィイイ!?」
何気なく問えば、心なしか桃の声が裏返ってきこえる。
「うん浮気」
「そういうお前はどうなんだよ」
「フツーにするかなあ」
「なんで」
「だって、どっちも好きだし」
「………チッ」
すごい悔しそうな舌打ちが聞こえたんですけど、桃のハイチュウ愛ってそこまでなのか。なんかちょっと妬ける。私ハイチュウになりたいとかばかみたいなこと今考えた。イタい。自分イタい。
「え…桃いまチッって言った?まさかの舌打ち?」
「まさかのって何だよ。舌打ちもしたくならぁ」
「なんで?なに怒ってんの」
「逆になんで怒っちゃいけねーのか聞きたいぜ俺は」
けど、たかがお菓子の種類ひとつだよ。話の流れ的にはハイチュウを史上最高のお菓子として崇めないやつなんて信じられない、とかそういうこと?
「ちょ、ごめん桃。私ホントに怒りのポイントが分からないんだけど」
「は…マジで?」
「なんか桃、青筋立ってるし」
「悪ぃかよ」
「いや、悪くは…ないけど、怖い?」
「なんで疑問形なんだよ」
「なんとなく」
「なんか、俺泣きそう」
「怒りの次は涙ですか」
「全部お前のせいだろ」
「私の……?」
「お前がフツーに浮気するとか言うから俺は」
「え、桃そんなに一途だったっけ」
首を傾げて問えば、突然顔を真っ赤にした桃に食ってかかられた。やっぱり妬けます。お菓子に嫉妬するばかな女がここにいます。
「いっ、一途に決まってんだろ」
「よそ見しないんだ?」
「しねーよ」
「まったく?」
「ぜんっぜん。これっぽっちもよそ見する気ねーし」
「すごいね」
「まあ、彼女にはよそ見されっぱなしだけどな」
彼女って。桃のなかではハイチュウは女性名詞なのか。ひそかに彼女とか呼んじゃってるのか。そこまで愛しちゃってるのか。いいなあハイチュウ。やっぱり羨ましい。
「へえ…」
「とぼけんなよ、お前フツーに浮気すんだろ」
お前って、なに?私?いまハイチュウの話してたんじゃないの。
「いや、あの」
「超一途に想ってんのに浮気されまくりの俺可哀相だよなー。それでもお前のこと嫌いになれない俺バカだ。つか、どっちも好きのどっちもって俺と誰だよ白状しろ」
あれ…?なんか話ずれてる。
桃のいう彼女は、ハイチュウじゃなくて私で。という前提を踏まえて会話を振り返ってみたら――私ひどい。ひどい浮気女になってる。
「桃…なんか、ちょっと」
「いーじゃんここまで言ったら全部さらけ出しちまえよ」
「いやいや、あの」
「え?もしかして、どっちもの片方も俺じゃねえとか…そんな。どっちも、って菊丸先輩と海堂の二択とか言うなよな」
「だからね、桃」
「まさか他校か!跡部さんと忍足さんとか」
「違うってば。桃」
「…そんな……俺」
どーすりゃ良いんだよ、と頭を抱えるヘタレ桃はまったく私の言うことが聞こえないみたいで。もしかしたら聞きたくなくて耳にフタをしているのかもしれない。途方にくれそうなのは私だよ。
「桃っ!」
「お前の彼氏だと思ってたのってもしかして俺だけ?勘違いの一人相撲だったってこと?なんだよそれ…」
「あのね、桃」
「まじカッコ悪ぃじゃん俺」
「も、も!」
「…………」
呼びかけても応えないくらい萎れてしまった桃に、まっすぐ向き直る。そっと黒髪に触れて、わしゃわしゃと乱してみたけど、それでも微動だにしない。困った。
「2年8組16番、桃城武くん」
「…はい」
「顔あげて」
「……はい」
「何の話してる?」
「浮気の話だろ」
「なんか話ずれてる」
「え?」
「話、ずれてるよ」
ガタッと椅子を鳴らして、桃が勢いよく立ち上がる。じっと私を見下ろす目に、涙がたまってる。なんというか、ご主人様を必死でみつめる小犬みたい。男っぽいのに意外に涙もろいところ、相変わらずだなあ。
「私、ハイチュウとぷっちょの話してるだけなんだけど」
「………」
「ハイチュウ VS ぷっちょ」
「……これ?」机の上に出しっぱなしだったハイチュウの包みを、桃が指でつまんで私の目の前に突き付ける。
「うん、それ。桃 いっつもハイチュウ食べてるじゃん」
「まあ ハイチュウ好きだからなー」
「だから。たまにはぷっちょ食べないの?ってそういう話なんだけど」
そう言えば、いきなりガバッと抱き着いてきた。何も考えずに体重かけてくるから重い。
「じゃあ どっちも好きってのは」
「私はハイチュウもぷっちょも好きだよ、って話」
「…よかった!」
「彼氏は?」
「桃だけ」
「よかったァア!!」
力任せにぎゅうぎゅうと抱きしめられて息が苦しい。桃、酸欠になるよ私。潰れる。けどしあわせ。
「そういうことかー。おかしいと思ったんだよなぁ」
「まったくだよ。彼女にひどい浮気疑惑かけないでよね」
「悪ぃわりぃ」
「ぷっちょは」
「食ったことねー」
ぜんぜん腹なんて立っていなかったし、一途な桃の気持ちに本当はすごく感動してたけど。
ニコニコ満点で見下ろす桃のオデコをピン、と軽く弾いて。
「イテッ!」
「おしおき」と言いながら、唇に挟んだぷっちょを差し出した。
リップヴァージン(初体験はいかが?)(悪くねーな、悪くねーよ)