クエスチョンマーク
永遠に変わらないものなんてこの世にはひとつもないんだよ。あなただって知らないはずないでしょう、小太郎。
呼吸をひとつする間にも、なにかが確実に変わっているの。些細な変化かもしれないけれど、それが長年のあいだにいくつもいくつも重なって、やがては大きな変化になるんだよ。
「だから、ごめんね小太郎」
押し殺した声で呟きながら「捜さないでください」と書かれた紙片を前に、そっと鼻をすすった。
その文字は間違いなく私の筆跡で、これを書いたのはたった5分ほど前のことなのに、なんでこんなものを書いたのか既にわからなくなっている。気を抜くと、全く分からなくなる。なかったことにしたくなる。
薄闇のむこうから小太郎のしずかな寝息がきこえて、いつまでもそれを聞いていたいと思った。隣で、いつまでも。
だけど私もう決めたの。バイバイ、小太郎。
という訳で、深夜に家を飛び出した私は、とりあえず万事屋へ身を寄せた。まさか、早速その日の朝はやくに小太郎がやってくるとは思わなかったけれど。
「消えたのだ」
「誰が」
「あいつだよ、あいつ」
「誰」
「俺の可愛い彼女だ!」
隣の部屋で息を潜めて、彼らの会話に気を配る。珍しく小太郎の声が上擦っていた。
「へぇー」
「捜さないでください、という書き置きだけが部屋から見つかったのだが捜すなとは一体何を捜すなということなのだろうか、それとも何を捜してはいけないのか捜している時点で捜してはいけないものを捜していることになってしまうのだろうか、だとしたら何を捜してはいけないのか捜してくれる人を捜しその上で捜してはいけないものを捜さないようにするか捜すことにするか決めたほうがいいのか、その答えを捜してくれる人を捜しているのだがそれすらも捜してはいけないものだとしたらその捜してはいけないものを捜す人を捜す人を捜す人を捜す人を捜す人を捜す人ッ…」
「ややこしい!」
ゴフォワッ、と小太郎の呻く声が聞こえてきて、襖を細くひらく。別れてまだ数時間と経っていないのに、髪を振り乱して鼻血を噴いている小太郎の姿がみょうに懐かしかった。
「なにを捜さないでください迷路に迷い込んでんですかァ?ヅラ。お前ちょっと落ち着けって」
「これが落ち着いていられるか!」
こめかみに筋を浮き立たせた表情すら愛おしい…というか、あれ?いま小太郎あの決まり文句言わなかったよ。「ヅラじゃない、桂だ!」ってアレ、言わなかった。十八番の台詞を忘れてしまうくらい、それくらいに私のことを心配してくれてるってことだろうか。不謹慎だけど嬉しい。
「で、俺たちはどうすりゃいい訳?」
「勿論あいつを捜してほしいと思ってここへ依頼にきたのだが、捜さないでください、という書き置きが見つかった以上捜してはいけないのだろうか、そもそも捜さないでくださいの指し示す対象はあいつ自身のことなのか、それとも全然別のもののことなのか、だとしたら何を捜してはいけないのか捜す人を捜…」
「すとーっぷ!もう捜さないでください迷路いいから。充分だから。俺たちお腹いっぱいだから」
「しかし、」
血走った目の小太郎とは対照的に、銀さんたちの態度は落ち着いたものだ。
それはそうだよね、捜すもなにも当の私は隣の部屋にいるんだから。
「ま、俺がいい方法考えてやっからどーんと大船に乗ったつもりで待ってろ」
「しかしだな、銀時!俺は、」
「いいから、いいから。帰れヅラ」
なおも食い下がる小太郎を無理矢理追い返すと、銀さんは私の隠れていた部屋の襖を開いた。
「お前、これで良かった訳?」
「……いい」
そうか。それだけ呟くと、銀さんはぽんぽんと頭を数回なでる。やさしいてのひら。でも、小太郎とは違うてのひら。
「で?何があったんだよ」
「なにも」
「ああ、あれかァ?あいつのバカさ加減にとうとう愛想尽きたか」
違う。言いながら、ぶるぶると首を振る。バカだけど、小太郎はたしかにどうしようもないバカだけど、違うの。それは違うんだよホントに。何があったわけでもないの。何もなくて、小太郎は何も悪くなくて、私は。私が悪い。
「まあ、話してみ」
「急に…ね。なぜか突然切なくて堪らなくなって、いつかは変わってしまうのが切なくて怖くてどうしようもなくて」
「ああ…」
相槌とともに再び頭をなでる手があたたかくて、心が少しゆるむ。
「ほら、冷蔵庫から取り出したラスト1コの生卵をうっかり床に落としてあたり前みたいに簡単に割れちゃって、盛大に床に飛び散ったでろでろの物体を掃除してるときの切なさって、ハンパないでしょう。なんかそんな感じ」
「は?」
「さっきまで形を保っていたものが一瞬後には壊れてるんだよ。私と小太郎もいつかはそんな風に…変化して、」
「………」
「否応なく訪れる変化で、壊れて、形を失って、なくなって」
「なーに勝手にひとりでアンニュイになって暴走してんだお前は」
はあ、アホらし。わざとらしい位おおきなため息をつくと、銀さんはどっかりソファにのけ反った。
「壊れるのが怖いから、その前に自分で壊してしまえばちょっとくらいラクになるかなって思ったんだけど」
全然うまく行かなかった、小太郎の声きいたらもうダメだ帰りたい。蚊の鳴くような声で続けたら、銀さんにぺしん、と頭を叩かれた。
「ったく、お前らホントお似合いだよこのバカップルが!たわいもない痴話喧嘩に他人を巻き込むなっての。リア充爆発しろ!っつうのはまさにお前らのためにある言葉だな。ふたり揃っていますぐ爆発しろ、爆発して天パになれ、銀さん以上のちりちり天パになっちまえ」
「ひどい!」
「ひどくねぇだろ、」
真剣に心配した銀さんの純粋な気持ち返しやがれコノヤロー。銀さんの言葉を聞きながら反論を考えていたら、玄関からドタドタとやけに焦った足音が近付いてきた。
やばい、これ小太郎の。
慌ててソファの後ろに隠れたのとほぼ同時に、予想通り小太郎が部屋へと入ってくる。
「良いことを思い付いたぞ銀時!」
「はいはい」
「これだよ、これ!」
「グラサンがどうした」
「分からぬのか銀時!これを掛けていれば俺があいつを捜しているのか捜していないのか誰にも気付かれずに捜せるではないか!我ながらこれ以上ない名案だと思うのだが」
そっとソファの影から顔をだせば、嬉々としてグラサンをかけ、熱弁をふるう小太郎の姿があった。見慣れないその姿に、思わず笑いがもれそうになって必死で口を押さえる。
「だってよ?」
「銀時、貴様いったい誰に向かって話しておるのだ」
「さあなァ」
「俺は真剣なのだぞ」
「らしいよォ」
「おい!なんなのだ」
銀さんの言葉はあきらかに私に向けられたもので、小太郎が困惑するのも無理はない。
「もしかしてあれか、いつぞやのスタンド使いの時よろしくこの部屋になにかが居るのか?銀時には見えているのか?その、霊的な…」
「ああ、居るね。ばっちり居ますよォ。なに、ヅラお前見えねぇの?こんなはっきり存在してんのに」
「捜さないでくださいと言われた以上それがなにものであっても捜せぬからな、俺にはなにも見えん。見えんぞなにも」
小太郎はこれでもかってくらいギリギリと歯を食いしばっている。たぶんあのサングラスの向こうでは、しっかり眼もとじているに違いない。本当にわかりやすい人。わかりやすくて、可愛い人。
小太郎みたいな単純思考がグラサンごときで隠せる訳ないよ、バレバレ。グラサンなんて意味ないじゃないそれじゃ。
「そうか、残念だなァ そりゃ」
言いながら、銀さんが私に手招きをする。なにかものすごく楽しい悪戯を思い付いた瞬間の悪ガキみたいな顔で。
首を傾げて顔をだすと、小太郎の後ろの空間を指差した。なんなの、彼の背後に回れってこと?
一宿一飯の恩義の手前、今日の銀さんにはとても逆らえない。足音を殺して移動すると、小太郎を後ろから見下ろす位置に立った。
「超ヅラ好みの別嬪サンなのに勿体ねぇなあ」
「ひ、人妻か…?」
「そうかもな。捜さないでくださいって書き置きして家を出ちまうようなタイプの、な」
銀さん何を言ってるの!それより小太郎のいまの台詞なに!?そんなに人妻が好きか!私が居なくなったことより人妻が大事か、このバカ。人妻フェチの変態野郎!
「いやいや。それよりあいつだよ、俺は彼女を捜さねば。いや捜していることがバレないように捜さないフリをして捜さねば。このグラサンに隠していますぐ捜しにゆかねばならぬのだ俺は!人妻などどうでも良い…ことはないけど彼女のほうが今は、今は」
「ヅラ、後ろ」
「?」
え、ちょっと待って銀さん私まだ心の準備が、ぜんぜん。
あまりにも突然場面が展開しそうになるから、慌てて小太郎の頭を両手で挟み込む。早すぎる。わずか数時間なんて、家出終了フラグの回収にはまだ早すぎるよ。
「ん、んんむむむ」
焦る私の気持ちも知らずに、小太郎は全力で振り返ろうとする。この細い体のどこにこんな力が潜んでいるのだろう。がっしりと手首を掴まれれば、あっさり攻防は終わり。小太郎の顔がこちらを向いて、私のささやかな家出フラグも回収され、た。
か、と思ったのは一瞬。
「むむむ。見えない、俺には見えないぞ何も。まるで真っ暗な闇だ。あいつのいない俺の世界なんてとこしえの闇と同じなのだ」
「目ェ開けろ、バカ」
なにを厨二病男子も真っ青なクセェ台詞吐いてんだ!と銀さんは笑うけど、私は正直こっそり感動している。やっぱり、小太郎と私は似た者同士なのかもしれない。
「い・や・だ!俺が捜したいのはあいつだけであって、断じて美人の人妻幽霊などではない!」
「お前それ幽霊が怖ェだけだろ」
「違う!」
頑なに眼を瞑ったままらしい小太郎の顔から、グラサンをそっと取り去る。その下からいつもの小太郎の目が、
見えないし!まだ目ェ閉じてるしこの男どんだけ怖がりなの…。
「小太郎」
「………」
「こたろう…」
名前を呼んだら、ようやくゆっくりと眼をひらいた。小太郎のいつもの目、やっと見えた。
目の前に私を見つけて、形のよい瞳がみるみる見開かれる。
「さ、捜してはいないぞ俺は。捜さないフリをしてグラサンの影からお前を捜そうなんて思ってないからな」
「うん」
「捜す前にお前があらわれたのだからこれは捜した訳ではない。捜さないでくださいを無視した訳ではないぞ」
「うん」
涙腺にじわじわと体温がせりあがってくる感覚、この感じを知っている。久しぶりのこれは、あれだ。
あれ。
「でも、精神的には…捜した。かもしれない」
「うん」
たぶん私、もうすぐ 泣く。
「知っているか?この国では思想及び信教の自由という権利が保障されていて、心のなかでは何を思おうと自由なのだ。心のなかで捜すことと実際に行動として捜すことの間には深い溝があってだな、それは似て非なるもので…」
「うん」
なんでこんなことで泣きそうになっているのかは自分でもさっぱりわからないけれど、泣く。
おおよそ決壊3秒前。
「捜した ぞ…」
その小太郎のやさしい声で、びっくりするくらい勢いよく涙が溢れ出した。細い指がそれを掬うから、ますます涙が溢れだす。止まらない。
「そんなに泣くくらいならはじめから逃げだすなバカ」
「彼女を捜してるとき位真剣になれこの人妻フェチの変態バカ」
俺から言わせりゃお前らふたり揃って正真正銘の大バカだけどな。銀さんの呆れ果てた声を聞きながら、ぐしゃぐしゃの顔のまま小太郎に抱きついた。
クエスチョンマークいっそこの勢いでお前も人妻になるというのはどうだろうか?- - - - - - -
2011.12.21
「なに人ん家でちゃっかりプロポーズとかかましてくれちゃってんの?まじこのバカップルうぜーんですけど。早くどっかいけ」銀さんの心の声きこえました