1秒間の窒息死
真冬の張り込みは確かに好きじゃないけど、今感じている不快感は、目の前に押し付けられた(半ば理不尽な)仕事だとか、鼻先の凍りそうな気温だとかが理由じゃなくて。
「寒いですよね」
「そうかな」
予め肯定の言葉が返ってくるものと決め付けたような、君のその疑問形に益々不快感が募る。
こんなこと位で苛々してるなんて、悟られたら更に不愉快だから、そっと笑顔を作って頭を撫でてみた。
「ええ!?ザキさんは寒くないんですか?」
私はもう凍えちゃいそうですよ。
顔の前に翳した掌を温めるように、はあっと息を吹き掛けながら喋っている彼女の周りに、白い靄が広がる。
そんなに寒いのなら、手袋くらい着ければ良いのに。
真っ赤に染まった指先は痛々しくて、白い肌の中、つくりものみたいに見えた。
「帰れば?此処に残るのは俺独りで充分だから」
「え……いえ」
「もう日も変わっちゃったし、」
「でも…」
物陰にふたりで隠れたまま、ターゲットから視線を外さない。
同じ方向に視線を向けているのに、きっと互いの考えていることはバラバラ。
もう、日も変わっちゃったし。って言葉、ただの一般論で口にした訳じゃないんだけど…君は気付いてないよね。たぶん――
「風邪ひかれても困るし」
「大丈夫ですよ」
顔を見なくても分かる、悲しげな声。
「でも、寒いんだろ?」
「そう……ですけど、」
「だけど、何?」
すこしだけ隣に顔を近付けて、ちいさな君の声が聞こえるように耳を澄ます。
相変わらず視線は前に向けたまま。だから彼女がどんな顔をしているのか、どこを見ているのか、まったく分からなかった。
分かるのは、きっと彼女が俺と同じように不愉快な気分を味わっているんだろう、ということだけ。
もう、日も変わっちゃったし。俺の誕生日も、終わっちゃった。
せめて、おめでとうの一言が聞きたかったな。なんて、何処まで情けない男だろう。
言えもしない本音で、勝手に不機嫌になって。
そんなことをいつまでも考えてしまいそうだから、出来れば独りきりにしてくれないかな。
くしゃり、彼女の髪の毛を乱す。
伝わる体温で、尖っていたものは和らいでいく。
「ね。帰りなよ」
俺の最大限の優しさを込めて紡いだ言葉は、意図せず取り違えられたみたい。
「私、足手まといですか?」
「いや」
「じゃあ…何で、先に帰れなんて?」
まるで抗議してるのかと疑いたくなるほどの涙声。
見下ろすと、唇がいびつに歪んだ表情が俺を見つめていて。
左右非対照なそのバランスは、びっくりするほど綺麗に見えた。
「何故なにも言ってくれないんですか」
「………」
「私、おかしいですか?」
「いや」
おかしいと言うよりも綺麗で、噛み締められた唇に見惚れる。
寒さですこし染まった鼻先と、ちいさくふるえる睫毛に触れたくて。
代わりにそっと掴んだ指先は、驚くほど冷たかった。
――くしゅん……
小さな破裂音に、張り詰めかけた空気が、一瞬で弾ける。
繋いだ指を滑らせて、ゆっくり(でも、しっかり)絡めて。
大きな瞳を見つめながら俺のポケットにイン。
「ザキさん?」
どうしたんですか、って問われる前に口を開いたのは、せめてもの照れ隠し。
君も照れて見えるのは、気のせいじゃないよね?
「昨日、ひとつ歳をとったんだ」
「知ってます。だから…」
ふわり細い身体を抱きしめる。
1秒間の窒息死
(こうしてたら少しは温かい?)
君の寒さがどうだとかいう前に、抱きしめたかった。
遮った言葉の続きは、あとでちゃんと聞くから――