9cm
別に後ろめたさなんて全くないのに、鋭い視線を感じた瞬間、背筋に悪寒が走った。
「あれ、土方さんは貰ってねぇんですかィ」
「うるせーぞ、総悟」
ワザと煽るような事を言わないで欲しい。
切実に思いながら、沖田さんを睨むと、なんともサディスティックな笑みを向けられた。
義理チョコなんて、用意するんじゃなかった(特に十四郎の天敵の沖田さんには)。
痛いほど腕を引かれながら、頭を支配するのは自分の浅はかさばかりで。
「副長、痛いです」
「文句言うな」
「どこに行くんですか」
「黙って付いてくれば分かんだろ」
「……」
連れて来られた屯所裏は人気なく、まるで副長が意図的に人払いをしたんじゃないかと疑ってしまうほどに静まり返っている。
吹き抜ける真冬の風は、乾いたつめたい匂いを乗せて鼻先を凍らせる。
「寒くないですか?」
「そんなこたぁ、どうでもいい」
「屯所に戻りましょうよ」
「簡単には返してやれねぇな」
ずいっと近付く身体に、一歩だけ後退する。
「何で俺以外の男にあんなモン渡してんだ?」
「あれは…ただの義理で」
私の返事を聞きながら、ふん、と小さく吐き出されたため息には、蔑みの色。
尖った視界に滲む艶。
私の名を呼ぶ、掠れた声。
銜えていた煙草を揉み消す些細な動作にさえも、彼の圧倒的な機嫌の悪さが透けて見えるのに気づいてしまえば、私には謝ることしかできなくて。
「ごめん なさ、」
「ホントにわりぃと思ってんのか?」
「もちろ、」
言葉を遮るように、ぐいと顔が近付いて。
境界は10cm。
まだその距離だと顔の輪郭も表情もはっきり認識できる。
なのに、それ以上近づくと途端に何もかもがぼやけて、薄い唇がゆるやかに歪んでいる様だとか、すらりと通った鼻筋だとかのパーツしか見えなくなるものなんだ。
はじめて気づいた事実を冷静に分析している場合じゃない。
背中には壁、身体の正面には不敵な表情の十四郎。
逃げ場は、
なかった――
9cm
(許してほしけりゃ唇寄こせ)