捕食者の憂欝

 非常に厄介な状況になっている。まずはじめに思ったのはそれだった。
 この世のすべては必然だか、偶然だか、知らないけれど。そんなのどっちでもいい。
 必然なら、その理由を誰か教えてください。偶然なら、こんな状況に私をほうり込んだ神様を、怨んでもいいですか。本気で死ぬまで怨んでやる。
 私は、落とし物を届けにきただけなんです。ただの親切心で。そりゃあ、すこしはお礼的なものを期待もしたけれど。そんなのより先に、この人きっと困ってるだろうなと思って。だからバイトに遅刻しそうになりながら、わざわざ持ってきただけ。それだけ、です。ただの善意のかたまりで。

「…っ、」
「きゃああああ」

 なのになぜこんな目にあってるんですか、神様はどこまで悪戯好きなんだろう。



 真昼間の雑踏で、ちいさな物体を拾った。誰かになんどもふみつけられたらしい免許証。足型のついた汚れたそれには、銀髪でまったくやる気のなさそうな男の写真。
 だいたい証明写真というのはどこの誰が撮っても写りが悪くなるものだけれど、たとえばこの顔を5割り増しにしたところで、死んだ瞳はそのままなんだろう、と余計なことを思った。
 だらしない天然パーマの男の名は、坂田銀時。住まいはそう遠くない。届けてあげようと思ったのはほんの出来心。というか親切心。私はもともと結構お人よしなのだ。

 書かれた住所をたよりに訪れた家は、なんの変哲もない日本家屋。ちょうど一階の居酒屋らしき扉がひらいて、ひとりの女性が姿をあらわした。

「銀時なら二階だよ。多分いるんじゃないかい」

 悪いが直接渡してやっておくれよ、あの馬鹿に。私は店の仕込みで忙しくてね。と彼女は笑顔できっぱり言う。
 それで、女に手渡してさっさと帰ろうという目論みははずれてしまった。けれど、ここまで来てしまえば、帰るわけにもいかない。
 坂田銀時というのは、銀髪で天パで免許証を落としてしまうようなマヌケで、おまけにこの女性のことばによれば、馬鹿なのらしい。そんな予備知識をかみしめながら、二階への階段をのぼる。
 かんかんかん、乾いたやすっぽい音。万事屋と看板のあがる扉を開けば、なかからはかすかに人の気配。ぬぎちらかされたままのブーツが一揃いだけ。これは彼のものだろうか。

「ごめんください」

 声をかけて、数十秒待つ。人の出てくる様子はない。たしかに誰かがそこにいる気配、多分テレビのものだろう薄明かりが部屋のむこうでちらついている。

「ごめんください。坂田さーん」

 免許証から得た知識。名前を呼んでみる。ふたたび数十秒待つ。やはり人の出てくる様子はない。
 坂田銀時というのは、銀髪で天パで免許証を落としてしまうようなマヌケで馬鹿で、おまけに耳が遠いらしい。もしかしたら昼寝でもしているのだろうか。
 いい歳をした男(これも免許証から得た知識だ)が、昼の日中に働きもせず家にいて惰眠を貪っているなんてどういうことだろう。世も末だ。世紀末はすぎてしまったけれど、世も末。付き合っていられない。
 これ以上待っていても仕方がない。あまりゆっくりしていると、バイトにも遅れてしまいそうだし、見ず知らずの男のために遅刻するなんてまっぴらごめんだ。

「免許証、ここに置きますねー」

 一応声をはりあげて、玄関先にブツを置き、立ち去った。立ち去ろうとした。まさにその瞬間、部屋の奥から苦しげな呻き声が聞こえたのだ。

「坂田さん?」

 返事は相変わらずなにもない。
 もしかしたら具合が悪くて倒れているんだろうか。それくらい苦しそうな声。そんなものを聞かされて、だまって立ち去れるほど冷血ではない。もともと私はお人よしな性なのだ。

「大丈夫ですか?」

 お邪魔しますね。返事のない家主にむかって詫びながら、履物をぬぐ。外よりは幾分ひんやりとした家のなかを進めば、すぐに彼のいる部屋の前にたどり着いた。
 扉を隔てたまま、なかの気配をうかがう。とぎれとぎれの苦しげな呻きは、まだ続いている。

「失礼します」

 するり、たいした抵抗もなくひらいた戸の向こうには、免許証の写真どおりの銀髪頭。
 角度的によく見えない横顔は、やはり苦しげに歪んでいる。

「坂田…さん。あの、」

 薄くひらいた唇から、漏れる吐息は熱っぽい。眉間に刻まれたシワ、うっすらと汗ばむ額。不謹慎だけど、なんて艶っぽい顔で苦しむ男の人なんだろう。一瞬。ほんの一瞬だけ見惚れた。
 彼はまだ、私の存在に気づいていないようだ。
 お節介だけど布団を敷いて無理やり寝かせるか、お医者さまを呼ぶほうがいいかもしれない。
 と思ったところで、妙な音が耳にすべりこむ。明らかに女の声、それもわざとらしく媚びた、演技まるわかりの甘ったるい声。

「え?」

 部屋には銀髪男と私しかいないはず。私の出した声じゃないとしたら、この男の声だろうか。免許証の写真と名前をみて、男性だと思いこんでしまったけれど、もしかして目の前の男は男じゃなくて女なんだろうか。

「っ。う…」

 今度は低い呻き声が聞こえた。やっぱり男は女じゃなくて男のようだ。
 ホッとして、でもホッとしている場合じゃなくて、お布団とお医者さまだと彼に近づいたら、重なって聞こえる女の声。

 ――なに…どこから?

 よく見れば、つけっぱなしのテレビの画面に写るのは、男と女のいわゆるアノ行為。坂田銀時の右手は、腰の辺りで、不自然なうごきを繰り返していた。

「…っ、」
「きゃああああ」

 かくて私は大声を出す。
 神様、私がいったい何をしたというんですか。うらわかい乙女の瞳に、なんてものを映してくれたんですか、ばかやろう(よく見えなかったけど)。
 やっと私の存在に気づいた男は、カチャカチャとベルトの音を響かせながら振り返る。

「…な!なんですかァ、アンタは。なに、泥棒?」
「へ、変態っ!」

 色白の肌はほんのり上気して、彼がいままでここでなにをやっていたのか、言葉にしなくてもわかってしまう。わかりたくないのに。

「勝手に覗いといて変態はないでしょー、銀さんちょっと傷ついたんですけど」
 いや、かなり傷ついたよコレは。男が覗かれちゃいちばんイヤなとこ、見られちゃったからねえ。

 せっかくもう少しだったのに。続く独り言をききながら、おなかがいたくなる。というか、せめてAVをとめてください。その卑猥な映像みてたら頭がくらくらします。わざとらしい喘ぎ声にもいらいらします。

「…見たく、なかったです」

 見たくないよホントにそんなもの。運命の悪戯だかなんだかしらないけど、こんな状況、本気で勘弁してください。
 おなかいたい。鳩尾の奥のほうが、しくしくと痛い。子供のころから、だいたい、いやなことに直面するとおなかが痛くなるのだけれど、今回の痛みはハンパない。つまりはそれくらい厭なものを見せられたということで。
 坂田銀時というのは、銀髪で天パで免許証を落としてしまうようなマヌケで馬鹿で耳が遠くて、おまけにかなりの変態らしい。ついでに自分のことを銀さんなんて一人称で呼ぶし、空気は読めないし、最悪だ。なんでこんな男のために、回り道までして落とし物を届けにきてしまったんだろう私は。

「…あっれー、大丈夫?」
「………じゃ、ない です」

 極度のショックと腹痛で、立っていられなくなる。ぺたりと座り込んだ床は、やけにつめたかった。余計痛みによくない。
 おなかいたい。額に脂汗がにじむ。しくしくだった痛みは、ずくんずくんと激しさを増している。
 痛みを感じるときにいつも思い出すのは、ちいさいころ母に言われたことば。痛いいたいって騒いじゃだめ。それはね、生きてるって証拠なんだよ。
 お母さん。これが生きている証拠なら、私もうこのまま意識を手放してもいい気がします。目の前の天パ男のことも、さっき見た光景も、免許証届けにきた事実も全部忘れて、ぱったり倒れてしまってもいいですか。というよりも、もう倒れそうです、ごめんなさい。

「…っ、おい!?」

 ぐらり、視界がゆれる。ああ、このまま倒れたらつめたい床に頭ぶつけるな。この床かたそうだし、痛いんだろうな。でも気持ち悪い、もう無理みたい。
 ふ、薄れてゆく意識の片隅に、さっき見たよりはずっと真剣な表情の坂田銀時が映って。そのまま目を閉じた。



「こーゆう事情で、銀さんたちは付き合いはじめたわけ」
「なんだよそのめちゃくちゃな始まりは!彼女可哀相じゃないか」
「なに言ってんの新八クン。こんなドラマチックな始まり、どこ探したってないよォ?」
 運命以外のなにものでもないだろ。

「あんたの頭はどこまでオメデタイんですか」
「銀ちゃんにマトモな感覚を求めるのはムリね。新八もまだまだアル」
「偶然の落とし物が繋ぐ愛、最高じゃねえか」
「出会いの瞬間にひとりHしてるあんたは、最低だけどな」

 でもそんな最低な男に、なぜか惚れてしまった私なのです。腹痛で倒れて目覚めた瞬間に、あまりにもやわらかい表情で私を見つめるその目にやられました。食べられてもいいと思いました。
 このめちゃくちゃな出会いは偶然なのか、必然なのか。どっちだかよくわからないけれど、神様には感謝しようと思ったのでした(ん?作文?)。

「つう訳で、お子様ふたりはそろそろ出てってくれる?」
 銀さんたちは、これから愛し合う時間だから。

「銀さんのばか」
「だって、ホントのことだろー」
 今日もたっぷり、な。


捕食
(愛しいキミのことさえも、食べたくて仕方がないんだ!)
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